暫く廊下を進んだところで、竜胆がふと立ち止まる。
「——ここだ」
そこにあったのは『A班待機室』と書かれた一室だった。
部屋の前には銃で武装した軍人二人が立っており、警戒心丸出しの目で僕を睨んでいる。
「どうした? さっさと中に入れ」
「は、はーい……」
威圧的な雰囲気の軍人たちにビクビクしながらそっとドアを開けると、中はムショの雑居房より少し広いくらいの空間が広がっていた。内装は雑居房などより遥かに豪華で、奥の方には病院の待合室にありそうな長椅子と、それに向き合うように設置された液晶テレビがあり、手前にはお茶菓子の置かれた会議室風の折りたたみテーブルと、その両サイドにパイプ椅子が四脚置かれていた。
そして、長椅子とパイプ椅子の上にはそれぞれ一人ずつ——合計二人の先客がいた。
「チッ……新入りかよ。聞いてねぇぞ、メンドクセェ」
長椅子の方、特務部隊の白い軍服をだらしなく着崩しているガラの悪い男性は、僕をチラと見たきりすぐにテレビ鑑賞に戻った。
「おお、遂に私にも後輩が!? これも神の思し召しでしょうか!」
パイプ椅子の方、お茶菓子を堪能していた女性はなぜか修道服を着ており、糸目がちな微笑みを浮かべて興味津々と僕を見る。
どちらも僕と同年代くらいの若者で、僕と同じく手錠をはめられていた。
「奴らは、これから貴様の同僚となる連中だ。特務部隊にいる以上、当たり前だが二人とも罪を犯した
つまり、彼らも異能の力を持っているということか。
一体、どんな能力なのだろう。
「暫くは、その二人とシフトを合わせる。愛想よくしておけ」
「了解でーす」
「いいか。くれぐれも揉め事は起こすなよ」
竜胆は、軍人らしく強めの口調でそう言い含めると、用は済んだとばかりにさっさと踵を返した。
(え、紹介とかナシ?)
流石に仲立ちまでは期待しすぎたか。
しかし、愛想よくしろと言われても……僕はそう対人関係に自信があるわけではない。
というか、向こうもそうだろう。犯罪者だし。
(仲良くできるかな……)
竜胆が退室し、バタンと乱暴にドアが閉められる。
すると、竜胆が居なくなるのを待っていたかのように、修道服の女性がズイッと僕の前に歩み出た。その動きにつられて、ネックレスの赤い宝石が首元で揺れ、ルーズに被った頭巾から溢れた品の良い金髪がふわりと宙を舞う。そして、そこはかとなく香る柑橘系の甘い匂いが僕の鼻孔をくすぐった。
最終学歴院卒の僕だ。
女性耐性など無に等しく、彼女を構成する全てが僕の目には毒々しいほど魅力的に映った。
だが、そんな僕が無様に舞い上がらなかった理由は——彼女の『左腕』にある。
修道服の袖から覗く左腕——それは悍ましき『異形』と化していた。
全体が動物的な白い和毛にびっちりと覆われ、右腕よりも一回り長く、太く、また指先からは黒々とした硬質な爪——いや、これはもはや「爪」というより「蹄」と称すべきものだろう——が生えている。
そこに気付いた途端、僕の意識は他の全てが目に入らなくなるほど、その部位に釘付けになった。
恐々とする僕の前で、彼女はお行儀の良すぎる小学生みたいに深々とお辞儀をした。
「お初にお目にかかります! 私は
「あ、これはどうも、ご丁寧に。僕は上門礼士と……ぶらふまー?」
聞き慣れぬ響きに思わず自己紹介を中断して聞き返してしまう。
ブラフマー……もしや、彼女は外国の血が入っているのだろうか?
髪も金髪だし……なんだか親近感!
その時、横合いから「——おい」と脅迫めいた声がかかる。
部屋の奥へ視線をやると、長椅子の男性が睨むようにこちらを見ていた。彼は着崩した軍服から覗く真っ赤なTシャツの襟元をつまみ、気怠げにパタパタと服の下へ空気を送り込む。
「そいつの名前、馬鹿にすンなよ。分かるだろ? オメェの同僚、同類だぞ」
「えーっと……」
「チッ……察しの悪い野郎だな。すっとろい!」
彼は、異様に鋭い犬歯の並ぶ歯列を剥き出しにして、その苛つきを隠すことなく続けた。
「神辺
「マジですか」
よく家庭裁判所がそんな改名を認めたものだ。
「あと、宗教関係の話は振るな。『導きの光』とかいうカル——新興宗教にハマってて、話が長くなる」
彼は捲し立てるようにそう言った後、プイッと顔を背けて再びテレビ鑑賞に戻った。
これは……忠告をしてくれた、と受け取って良いのだろうか。
話を聞くに、神辺は新興宗教の信者であり、基督教の
(つまり、コスプレか。コスプレシスターさんか)
観察を終えて視線を上げると、神辺は黄金色の瞳を糸目の隙間から僅かに覗かせ、困り眉で僕を見ていた。
「彼は
女を殴る男にも二種類——キノコマッシュとヤンキーだ。
戈賀直人という男は見た目通り後者、ヤンキーのパターンにあたるらしい。
「彼の戯言はお気になさらず……。それとも、礼士さん……貴方も私の名前に何か?」
「い、いえ……何も!」
所謂、
まあ、神辺の場合は改名だが……。
「チッ、似非シスターが……」
「はあ……私は貴方が哀れに思えてなりません。愛を知らぬ、ケダモノめ!」
バチバチと二人の間に火花が散る。
その間に挟まれた新入りの僕は困ったように苦笑いを浮かべるしかなかった。