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第1話 10月7日:氷室 響也

 氷室にとって、人の死は特別なものではなかった。

いや、それは語弊がある。むしろ――執着に近かいとも言える。


 他殺、自殺、不審死。

 それらがただの出来事ではなく、『兆し』として立ち現れる瞬間が彼にとっては至福だった。

 人が死ぬとき、何かが漏れ出る。


 醜さ、恐怖、罪、欲望、憎悪。


 氷室はそれを嗅ぎ取り、拾い集めるのが得意だった。


 そしてなにより、それが氷室の飯のタネであり最高の娯楽だったのだ。

 人の闇に首を突っ込み、醜い人間関係を暴くことに時間を忘れて熱中する。

 それさえあれば、他に何もいらなかった。

 それをやるためだけに生まれてきた、とさえ思っているほどだ。


 だが氷室はそれを奪われた。

 あまりにも優秀だったために。


「ぷはー……」


 ウォッカを飲み干し、乱暴にテーブルの上にグラスを置く。

 もう一杯飲もうと瓶を手に取るが空だったことがわかり、舌打ちして床に放り投げる。

 ゴン、と鈍い音を立て瓶が転がっていくが、すぐに空き缶にぶつかって止まった。


 20畳ほどあるリビング。

 一人で住むには広すぎるが、すでにゴミで埋め尽くされている。

 足の踏み場もほぼない。

 唯一、綺麗な場所といえばベッドを兼ねているソファーの上だけだ。

 定期的に片付ける人間がいなければ、すぐに立派なゴミ屋敷になるだろう。


 物が乱雑に置かれたテーブルの上を探り、テレビのリモコンを手に取る。

 先ほどからテレビに流れている、深夜のバラエティ番組からチャンネルを変えていく。


「……」


 そそられる番組がない。

 というより、氷室はテレビを見ているわけではなく、単にBGMとして流しているだけである。


 何回かチャンネルを切り替えているが、その手がピタリと止まった。

 過去の事件を追うという番組だ。

 10年前、ある一家が全員謎の死を遂げたという内容だった。

 タレントが、その事件が起きた南瓶堀(みなみかめほり)町に行って様々な人に話を聞いている。

 だが、10年前のことで当時のことを知っている人はほとんどいないようだった。


 それを見て、氷室は舌打ちをする。


「闇雲に聞いてどうすんだよ。足を使うにしたってもう少しやりようはあるだろ」


 氷室は「俺なら……」と考えたところでハッとし、テレビを消してからリモコンを乱暴に床に叩きつける。

 そしてソファーに横になった。


 まだ全然酔っていないせいか、眠気が来ない。

 とはいえ、起き上がって酒を取りにいくのも面倒くさかった。


(目を瞑ってれば、そのうち寝れるだろ)


 そう思い、何度も寝返りをうつが眠れない。

 次第に先ほどのテレビ番組の事件が頭に過ぎる。


 例え事件の謎を解いたところで10年前のことであり、なにより依頼人がいない。

 氷室にとって1銭も入って来ない案件だ。

 それは仕事ではなく、単なる趣味になる。

 それでも今の、このダラダラとした生活を送るよりはよっぽど有意義な時間だ。


 氷室にとってこの村は退屈そのものだった。


 この村で起こる人間の死。

 それは事故死、病死、老衰のどれかだ。

 そこには闇もなければ謎もない。

 氷室には無価値な死だ。


(こんな村で残りの人生を過ごすのか……)


 そんなことをぼんやりと考える。

 すると途端に恐怖に襲われた。

 ある意味、自分の死よりも恐ろしい。


 氷室は勢いよく起き上がり、酒を取りに行くのだった。



 ***



 朝の7時。

 カーテンの隙間からは太陽の光が差し込んでいる。

 だが、氷室が目を覚ましたのは光のせいではなく、鍵を開ける音とドアが開く音のせいだった。


「氷室さん、今日は資源ごみの日……って、うわ! 3日前に片付けたのに……」


 氷室の家に入ってきたのはスーツ姿の若い女だった。

 眠気で目が開かない氷室はなんとか声を絞り出す。


「……来週出すよ」

「来週は資源ごみの日じゃありません! 資源ごみは月に2回しかないんですよ!」

「次……次は絶対に出すから」

「ダメです! この前もそう言ったじゃないですか!」


 氷室が寝ているソファーのところへ来て、がなり立ててくる。

 女の名前は笹塚若菜。

 村役場の新人で、支援センターに所属している。

 一度、氷室の家がゴミ屋敷になり、近所から苦情が来たことがあったことから定期的にやってくるようになった。


 若菜も2年前にこの村に人事交流で出向してきている。

 同じよそ者ということで、氷室に対してシンパシーを感じているのだろう。


 だからこそ、元々世話焼きの若菜は何かと理由をつけて、氷室の家にやってきていた。

 毎回、インターフォンで起こされてドアを開けるのが面倒くさくなり、合鍵を渡してしまったことを氷室は後悔している。


「ほら、氷室さん、起きてください!」


 そう大声で言いながら、若菜は戸棚を開けてゴミ袋を出して床に散乱している空き缶や瓶を入れていく。


「キッチンの方にもあるからよろしく」

「何言ってるんですか、氷室さんも手伝うんです!」


 再びズカズカとソファーのところへ来て、寝ている氷室の耳を引っ張る。


「いででで!」

「はい、起きてください! 収集車が来るまであと40分しかないんですよ!」

「……わかったよ」


 氷室はため息をつき、重い体を起こす。

 もう二度と非日常的なことなどは起こらず、平凡で変わらない日常が続くのだろうと思いながら。

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