若菜によって早朝から叩き起こされた氷室は、何とか収集車が来る前に資源ごみを出すことができた。
そのことに満足した若菜は意気揚々と役所に出勤していった。
(役所って暇なのか?)
若菜の後ろ姿を見送りながら、ぼんやりとそんなことを考える。
なにか事あるごとに氷室のところに顔を出す若菜。
本音を言うと合鍵を返してほしかったが、さっきのように部屋を片付けてくれるのは助かっている。
だから邪険にはできないし、一応は氷室なりに若菜に対して気を使っているつもりだった。
興味のないことにはとことん自堕落になる氷室にとって、部屋の掃除の優先度は一番下だ。
現にそれが原因で、一度役所の人間が押しかけてきて清掃業者を依頼させられている。
そのときに過去の事件のファイルなども勝手に処分されたということもあり、もう業者には頼りたくない。
となると若菜が来るのを受け入れるしかないのだった。
「……寝るか」
周りでは学生や会社員が家を出る中、氷室は欠伸をしながら家へと戻って行く。
そしてソファーに身を投げる。
するとまるで気絶するかのように数秒で眠りについたのだった。
***
氷室が目を覚ましたのは夕方だった。
大体8時間くらい寝ていたようだ。
さすがにお腹が減り、何か食べようかと思い戸棚を開ける。
しかし、食べるものが何もない。
そう言えば昨日、晩酌のために買い込んでいたものを食べてしまったことを思い出す。
(面倒だが買いに行くか)
以前であれば配達してもらうところだが、この村ではそのようなサービスはない。
それにコンビニも1つしかなく、一番近いのは歩いて30分ほど先にあるスーパーだ。
そのスーパーも19時には閉店してしまうので、晩飯も買い込んでおかなければならない。
一応はスーパーの前までバスがあるが、待つのが極端に嫌いな氷室にとって選択肢にも入らない。
それはタクシーも同様で、来てもらうための時間が待てない。
なので必然的に歩くことになる。
途中でタクシーが通ればラッキーくらいだ。
寝起きと二日酔いのせいで頭がぼんやりしながらもスーパーに向かって歩く。
(そろそろ酒はやめ時か?)
依然は全く酒を飲むことはなかった氷室。
というより、飲む時間がなかったと言った方が正しい。
飲むとしても付き合いか、情報収集のために相手に飲ませるために飲む程度のものだった。
お酒は嫌いではないが好きでもない。
なのでやめるのは簡単だろう。
しかし、今の氷室の生活で、酒を飲む以外に時間を潰す方法が思い当たらない。
(1年前は寝る時間さえも惜しかったくらいなのにな)
3日徹夜は当たり前。
限界で寝落ちするまで調べ物や情報収集に駆けずり回っていた。
そんな毎日だったことが酷く懐かしく感じる。
「蓮くんは新しい家族が引っ越して来るって話、知ってる?」
遠くからそんな子供の声が聞こえてくる。
(村に家族が引っ越してくる……)
ふと、昨日の深夜番組のことが思い浮かぶ。
閉鎖されたような狭い村。
そんな場所に、何を好き好んでか家族が引っ越してくる。
(ドラマや映画なら事件が起こりそうな話だ)
そんなことを思い浮かべながら、氷室は失笑する。
平穏を求めて一家が田舎に引っ越すなんてありふれた話だ。
そもそも、たった一人で村にやってきて引きこもっている氷室の方がよほど怪しい。
(俺には関係ない話だ)
昨日の番組のことも含めて頭から振り払おうと頭を振る。
だが、そのせいで前から歩いてきた子供にぶつかってしまう。
「すみません」
目が合うと子供は青ざめた顔で謝ってくる。
この場合、氷室も前を見ていなかったのだから同罪だ。
しかし、そんなことを一々言うほど優しい人間でもない。
「気を付けろよ」
そう言い残して、再びスーパーへと向かう。
スーパーに着き、食べ物を籠に入れているとひそひそと噂話が聞こえてくる。
「今日、来るらしいよ。新しい人」
「どんな人たちなんだろうね」
「セレブらしいから、きっと上品な一家なんじゃない?」
「仲良くなりたいな。都会の話とか色々聞きたい」
「そうよね。また、あそこの男の人みたいなのだとちょっと……あっ!」
噂話をしている主婦らしき女が氷室の方に気付いて、慌てて歩き出す。
(嫌われてるな、俺)
ほとんど家から出ず、カップ麺や酒を買い込んでいる無職の中年の男。
どこからどう見ても怪しいという言葉以外見当たらない。
村の人たちから嫌われるのも当然と言えば当然のことだ。
ただ、氷室からすると嫌われていることは全く気にならない。
逆に若菜のように世話を焼かれる方がよっぽど迷惑だ。
結局、大量の酒を買い込んでしまった。
そのせいで袋が破れそうなほど重い。
さすがにタクシーを捕まえようと道路の方を見る。
すると目の前を引っ越し業者のトラックが通り過ぎて行ったのだった。