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第7話 10月8日:杉浦 宗吾

 杉浦にとって、この二日間は46年間生きてきた中で一番刺激的だったと断言出来た。

 妻と見合いし結婚した時よりも、家を買った時よりも、子供が生まれた時よりも遥かに充実感のある二日間だった。


(まさか女性とメッセージのやり取りをするだけで、こんなに心が躍るなんて)


 高校生の頃、密かに好きだった人に勇気を出して連絡先の交換をしていれば、違った人生だったかもしれない。


 だが、終わってしまったことを後悔していても仕方がない。

 今は今を楽しめればいい。


 ソファーに座ったままの状態でそんなことをぼんやりと考えていた。

 するとポケットの中に入れていたスマホが震える。


(来た)


 杉浦はすぐにスマホを取り出しKeepを開く。

 美弥子からのメッセージだ。


 拙い手つきで返信を打ち込む杉浦の後ろから、夕食の洗い物が終わってリビングにやってきた妻に声をかけられる。


「あなたがそんなに携帯を弄ってるなんて珍しいわね」


 思わず体を震わせてしまい、スマホの画面が見えないように膝の上に伏せる。


「ゲームだよ。なんか今、若い子たちの間で流行ってるらしいんだ」

「ふーん。あなたがゲームねぇ」


 妻の手にはビール缶が握られている。

 そして杉浦の隣に座ると、ビールを開けてグビグビと飲み始めた。


「……俺のは?」

「あるよ。冷蔵庫に」


 杉浦はため息をついて立ち上がる。

 取ってきてもくれない。

 せめて自分が飲むときに、いるかどうか聞いて欲しかった。


(今に始まったことじゃないが)


 キッチンに行き、冷蔵庫を開けた。

 一本だけ残っていたビールの缶を手に取り、キッチンテーブルの椅子に座り、メッセージの続きを打ち始める。


「あれ? ビールなかった?」


 リビングから妻に声をかけられる。

 杉浦は少しイライラしながらも手短に返信を打ち込んで送信した。

 そして、スマホをポケットに入れてリビングへと戻る。


(家でもゆっくり返せやしない)


 今日は会社でもずっとそうだった。

 ことあるごとにこそこそと美弥子へのメッセージを打っていた。

 それが煩わしくてしょうがない。


「ちょっと、健吾。そろそろ寝なさい」


 妻がテレビゲームに熱中している子供に注意する。

 まだ小学生なのでスマホを持たせていないが、もし持たせたとしたらテレビゲームからスマホのゲームに変わるんだろうなと、思う杉浦。


「んー。あとちょっと……」

「あ、そういえば今日、あんたのクラスに転校生来たでしょ?」

「んー? んー」


 テレビの画面に夢中になっていて、返事もおざなりになっている。

 杉浦は転校生と聞いて、美弥子のことが思い浮かぶ。

 昨日引っ越してきたと言っていた。

 つまり、健吾のクラスに来た転校生は美弥子の子供ということになる。


「どんな子なんだ?」


 杉浦は妻より少し離れた隣に座り、ビールを開ける。


「嫌なヤツだった。先生のことも無視てさ」

「そうなのか。意外だな」


 そんな杉浦の言葉に妻が首を傾げた。


「意外? なにが意外なの?」

「あー、いや、ほら、転校生って最初は愛想振りまいたりするだろ? 学校に慣れようとしてさ」

「そんなの、その子の性格によるんじゃない?」

「まあ、そりゃそうか。そうだな」


 美弥子の子供ならてっきり人懐っこいと思っていた。


 ただ、子供がスレているというのも、妙に納得できる。

 美弥子はどちらかというと、まだまだ自分の生活を楽しもうとしている雰囲気があった。

 もしかしたら、子供ことは放置して、自分のことを優先しているのかもしれない。


(それはそれで、俺にとっては嬉しいことだ)


 そう思うと、自然と顔がにやけてしまう。


「あなたにしては珍しいわね」

「ん? なにがだ?」

「いつも 健吾のことなんて気にしないじゃない」

「そんなことないさ」


 内心図星を突かれ、声が上ずってしまう。


「それより、最近はあの子見ないな。……蓮くんだっけか。よく家に遊びに来てたよな?」

「あー、アイツとはもう友達じゃねーよ」


 急に健吾の声のトーンが下がり、冷たくなる。

 思わず杉浦は妻と顔を見合わせた。


 喧嘩という雰囲気ではない。

 絶交したというくらいの刺々しい言い方だった。


 まだ絶交だけならいい。

 下手をするとイジメになっているようなニュアンスも含まれているような気がした。


 しかもイジメられている側ではなく、イジメている側だ。


「健吾、あんたねぇ……」

「母さん、あんまり子供の問題に首を突っ込むんじゃない」

「でも、あなた……」


 自分の子供がイジメをしているとなれば問題だ。

 だが、今はそういう面倒くさいことには関わりたくない。

 そういう気持ちを優先してしまう杉浦。


「健吾。もし、なにか困ったこととかあればすぐに父さんたちに相談するんだぞ」

「んー。わかった」

「……さてと、そろそろ寝るかな」


 そう言って立ち上がる。

 さっきまたポケットの中のスマホが震えたのだ。


「え? もう? 随分と早いわね」

「……仕事で疲れてさ」


 そう言ってそそくさと寝室に迎い、美弥子への返信を打ち込む杉浦だった。

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