時間は22時になろうとした時だった。
氷室はそろそろ若菜を帰そうと思い、タクシーを呼ぶために携帯に手を伸ばす。
だが、テーブルの上に載せていた若菜の方の携帯が鳴り始めた。
酔い気味で、トロンとしていた若菜の目が急にいつものものに変わる。
すぐに手に取り、通話ボタンを押す。
「はい、笹塚です。はい、はい……」
完全に仕事モードの表情になっている。
先ほどまで浴びるようにビールを飲んでいたようには見えない。
(若いのに立派なもんだ)
この数日で氷室の、若菜に対する評価はうなぎ登りである。
もし、鳳髄家のことで事件が起こったら、本気で助手として雇おうかと思うほどだ。
「え? 鳳髄さんの……?」
ちょうど鳳髄家のことを考えていた氷室は、驚いて思わず体を震わせてしまう。
「わかりました。すぐに行きます」
そう言って電話を切る若菜。
「すみません、氷室さん。私、これで失礼します」
「なにがあった?」
若菜は一瞬迷ったようだったが、すぐに決断を下す。
「氷室さんも来てもらえますか? 途中で話します」
「そうこなきゃな」
例え来るなと言われても尾行してでもついて行くつもりだった。
おそらく若菜もそうするだろうと気付き、それなら協力してもらおうと考えたのだろう。
(若菜の声のトーンからして、仕事ではなく事件が起こったな。……面白くなってきた)
久々の事件の臭いに高揚する氷室であった。
***
鳳髄家の一人息子である祥太郎が行方不明なのだという。
学校に行ったまま帰ってきていないとのことだ。
小学生が22時まで家に帰っていないということは何かあったに違いない。
それでなくても、この村では19時にはほとんどの店が閉まってしまうのだ。
学校に問い合わせても、既に帰ったとのことだった。
つまりは学校からの帰り道になにかあったということだ。
「……騒ぐにしては遅すぎないか?」
タクシーの中で氷室は若菜から事情のあらかたを聞いていた。
「最初は家族で探したみたいなんです。それで20時に警察に連絡したようです」
「それでなぜ、若菜が駆り出されるんだ? 役所には関係ない話だろ」
「役所というより、村人に召集がかかったという感じですね」
「……なるほど」
鳳髄家は村に対して、多額の寄付をしている。
つまり村からしてみれば鳳髄家はVIPということになる。
その一家に何かあれば村全体の問題というわけだ。
今頃、村人総出で大捜索をしているにちがいない。
氷室のところに連絡がなかったのは、誰も連絡先を知らないからだろう。
もしくは村人として認識されていないかだ。
「それで? どこに向かっているんだ?」
「既に祥太郎くんが寄りそうなところ……というより村の建物内は調べたそうです」
「建物の中じゃないとすると外か」
「公園や広場なんかも探し終えてるみたいです」
「となると?」
「裏山ですね」
「山……か」
それを聞いて、氷室は付いてきたことを少しだけ後悔した。
これからは子供が見つかるまで、延々と山の中を捜索させられるということだ。
そんな中では情報収集などできはしないだろう。
(長い一夜になりそうだな)
ぼんやりとタクシーの窓から、星空と煌々と光る月を見上げる氷室であった。
***
山に到着すると、既に中から無数のライトの光が動いているのが見える。
その人数で探しているのに、まだ見つかっていないということだ。
とはいえ、いくら人海戦術を使ったからといって山の中から子供を探し出すなんて一晩で済むとは思えない。
「じゃあ、俺はこっちを探す」
氷室は若菜にそう言って山に入るとするが、すぐに腕を掴まれる。
「私も一緒に行きます」
「手分けした方がいいだろ」
「氷室さん、ライトも持たないで山に入る気ですか?」
いつの間にか、若菜の手には懐中電灯が握られている。
もしかすると先ほど、村の人間に状況を聞きに行ったときにもらったのかもしれない。
それなら自分の分ももらって来てほしかったと、氷室は考える。
だが、それは間違っていたと気付かされることになる。
「この山、初めてですよね? 下手をすると氷室さんも遭難する可能性もありますよ」
それを言われてしまうと、何も返せなかった。
ただ本音はそもそも探すつもりはなく、この近辺で時間を潰すつもりだった。
「なので私も一緒に行きます」
「……若菜も一緒に迷う可能性はないのか?」
「大丈夫です。何度も登っているので」
「そうか。……なら、頼む」
「はい」
そこまで言われてしまえば断る理由がない。
氷室は諦めて子供を探すために山を駆けずり回る覚悟を決める。
そして氷室の予想通り、夜明けまで祥太郎を見つけることはできなかった。