「山火事にならなくてよかったな」
氷室が開口一番にそう言うと、玄関に立つ若菜は驚いて目を丸くした。
「もう知ってるんですか? さすがですね」
「いや、知らない人間の方が少ないだろ」
「あー。……まあ、そうですよね」
若菜は蓮から知らせを受け、すぐに消防車を呼んだ。
10分もしないうちに数台の消防車が駆け付け、すぐに消火活動が行われた。
大勢の野次馬が見守る中で。
野次馬はゆうに百人を超えていて、その数は物凄い勢いで増えて行った。
もちろん、野次馬から噂が流れ、村全体へと行き渡る。
氷室が言うように知らない人間の方が少ないはずだ。
「燃えたのは小屋らしいな」
氷室は中に入るように促しながら若菜に尋ねた。
テーブルの上にはビールとちょっとしたおつまみを用意している。
若菜はショルダーバッグを降ろして床に置くと、テーブルの前に座った。
仕事帰りに氷室の家で晩酌をするというのがすっかり日課になっている。
それは一見すると二人は付き合っていて、若菜が氷室の家に通っているように見える。
だが、実際は氷室がビールで若菜を釣って、情報を収集しているだけだ。
若菜は報酬を受け取るかのようにビールを開けて一口飲んだ後に氷室の質問に答える。
「林業の人の用の休憩所だったらしいです。もう10年以上使ってなかったので廃屋といったほうが正しいかもしれませんが」
「出火の原因は?」
「男の子……嶋村蓮くんの話では、見たことのない誰かが火を付けたと」
「誰か?」
「男性だと言ってました。父親よりも年上だって言ってたから多分、50歳とかそれくらいじゃないですかね」
「ふむ」
腕を組み、頭の中で情報を組み合わせていく氷室。
「鳳髄……誠一郎」
氷室のつぶやきに、チーズへ伸ばしていた若菜の手が止まる。
「どうしてわかるんですか?」
「この村に住んでいれば、名前まではわからないにしても大体の村の人間の顔は分かる。来て一年の俺でもな」
若菜はチーズを手に取り、一口かじりながら頷いた。
「ましてやずっとこの村に住んでいる子供なら尚更だ。それなのに『見たことのない』という言い方をしたのなら、村人じゃない可能性が高い」
「あー、なるほど」
「さらに50代で男といえば、数日前に引っ越してきた鳳髄誠一郎くらいだろう」
「明日、警察に話してきますね」
「いや、それはあまり意味がない」
「なんでですか? 放火ですから犯罪ですよ」
「村長が懇意にしてるんだぞ。警察が調べると思うか?」
「……まあ、無理ですね。せいぜい事情聴取して終わりですかね」
「だろうな。さらに小屋自体もろくに調べないだろうし、下手をすれば残骸を撤去される」
そのことで鳳髄家に何かあるという確信がさらに強まる。
多額の寄付金は、こういうときのために払っていたということだ。
つまりは計画的ということになる。
最初から鳳髄家は『何かをするため』にこの村に来た。
そもそも村人に関わないようにするためだけに多額の寄付金を払うこと自体に違和感があった。
それなら単に無視すればいいだけだ。
そうすれば自ずと村人たちは勝手に離れていく。
(その割にはやっていることがおかしい)
祥太郎が死んだ際の、誠一郎の態度は計画だったと考えると腑に落ちる。
(祥太郎を殺すための計画だったのか? いや、それならなぜわざわざこの村に来る必要がある?)
事故に見せかけたいだけなら、別の場所でもいいはずだ。
わざわざ引っ越ししてまでやる意味がわからない。
(警察を抱き込むためか? いや、それなら担当刑事を一人、二人を金で抱き込んだ方が早い)
しかし推理するにもまだまだピースが足りなさすぎる。
もう少し情報が欲しいところだが、氷室は今、そこで壁に阻まれている。
誰も鳳髄家のことを詳しく知らないし、本人たちから情報を得ようとしてもなかなか近づけない。
なので遠回りだが、些細な情報を拾い上げていき、それを構築していくしかなかった。
「そもそも誠一郎……犯人はなぜ火を付けたんだろうな」
「蓮くんの話では、おそらくですがガソリンを小屋にかけて火を付けたということですから、小屋を燃やすつもりだったということで間違いはないと思います」
「山火事を狙ったわけじゃないってことだな。となれば小屋の中の物、もしくは小屋自体が邪魔で燃やしたかったというわけか」
「おそらくですけど」
小屋があったのは、祥太郎の遺体が見つかった山だ。
とても偶然とは思えない。
(祥太郎の殺害に、その小屋を使ったと考えるのが自然だな)
おそらくは血痕などが見つかるだろう。
しかし、警察は調べるどころか瓦礫自体を撤去する可能性が高い。
大きな手掛かりになるだけに惜しい。
(一応は明日、警察にそのあたりを探りに行くつもりだが無駄だろうな)
そう考えた時、ふとあることに気が付いた。
「その蓮とかいう子供はなんでその山にいたんだ?」
「……そういえば聞いてないですね」
「そいつの住所、調べてくれないか?」
若菜はため息をついて「やっぱりそうなりますよね」とつぶやいたのだった。