若菜がビールを一口飲み、「ふう」とため息をついた。
「疲れましたね」
ぐったりとテーブルの上に突っ伏す若菜。
氷室は「別にいい」と言ったが、若菜は結局休みの間、ずっと捜査に着いてきていた。
そのおかげで捜査は捗った。
氷室はせめてと謝礼を出そうとしたが、「私的に手伝ってるだけですので」と断れた。
つまり若菜は休みの間、ずっと無給で捜査に着き合っていることになる。
もちろん、氷室も依頼されているわけではないので料金が発生するわけではない。
だが、氷室に関してはあくまで好奇心――ある意味趣味でやっているわけなので、苦ではない。
というより、完全に楽しんで捜査をしている。
「若菜はどうして、そこまでして捜査に着き合ってくれるんだ? まさかビールのためとは言わないよな?」
せめてものお礼としてビールを出している。
ただ、それでも休みの間はずっと飲んでも2、3缶までだ。
今も、ビールを一気に飲み干すのではなく、一口一口味わってゆっくり飲んでいる。
氷室は「遠慮しないで飲んで飲んでいいぞ」と言ったが「捜査に影響があるので」と固辞していた。
そして、その言葉通り、晩酌も21時には切り上げて帰り、朝は8時に氷室の家に来ていた。
今日もあまり飲んでないのは明日から仕事だからだろう。
若菜は起き上がり、ビール缶をぎゅっと握りしめた。
「私、氷室さんが大きな事件になるって言ったとき、正直に言ってワクワクしました」
そして少し悔しそうな、自分への怒りのような、そんな表情を浮かべる。
「でも、本当に祥太郎くんが亡くなったとき、思ったんです」
顔を上げてジッと氷室を見てくる。
「もし誰かが祥太郎くんを殺したんだとしたら、絶対に捕まえてやるんだって」
「なぜそこまで入れ込む? 若菜にとって祥太郎は『他人』だろ?」
おそらくは会話を交わしたことさえないはずだ。
顔だって死体で初めて見たかもしれない。
村の中では誰一人、祥太郎が死んだことで悲しんでいる人間はいない。
祥太郎の親である誠一郎でさえも。
もしかしたら若菜こそが唯一、その死を悼んでいるかもしれない。
「確かに祥太郎くんとは一度も会っていません。でも、祥太郎くんは村の人間だったんです。たとえ、2日間だけだったとしても」
さらに若菜は言葉を続ける。
「私も2年前にこの村に来たばかりです。最初は狭い人間関係が面倒くさいと思いましたし、村に来たことを後悔したりもしました。でも、今では来てよかったと思ってます。第二の故郷と思えるくらいに」
「その割にはいつも愚痴ばかり言ってるがな」
「もう! 茶化さないでください!」
氷室の軽口に、若菜はプクっと頬を膨らませる。
しかし、すぐに真剣な表情に戻す。
「村で事件を起こす人を許せません。それに氷室さんは、この事件は続くって言ってました。だから、その前に止めたいんです」
「……そうか」
「……変ですかね? 事件の当事者でもないのにこんなこと言うなんて」
「いいや。立派さ。純粋な興味だけで捜査している俺よりもよっぽど」
「そうですね。氷室さんより立派ですよね」
そう言って胸をグイッと張る。
「おい……」
「あははは。理由はともかく、感謝してるんですよ。調べてくれるのは氷室さんだけですから」
それは若菜の言う通りで、村では祥太郎のことはまるで戒厳令が出ているかのように誰も口にしない。
調べるなんて論外で、祥太郎なんて子供はいなかったかのような扱いをする人間もいる。
「だから、自分のためでもあるんです。氷室さんの捜査を手伝うのは」
「俺も若菜には助けてもらっているし、感謝もしている。だから、あえて言う。ありがとう」
「い、いえ……。なんか、面と向かって言われると照れますね」
「ただ、もう少し俺を信用してほしい。自分で言うのもなんだが、この手の捜査は他の人間よりも秀でていると自負している」
「は、はい。それは私が言うまでもなく。もちろん、氷室さんのことは信頼してますよ」
「なら、もう少し俺に任せろ。自分の時間を犠牲にし過ぎだ」
「うっ。そ、それは……」
若菜はこの数日間、1日の半分どころか3分の2を氷室と共に過ごしている。
家には寝るためだけに帰っている状態だろう。
「明日から仕事だろ? 今日は帰って寝ろ。それで、平日は手伝いに来なくていい」
「で、でも……私だって捜査はしたいです」
「……なら仕事が終わったら家に寄れ。捜査の進捗具合は共有する」
「本当ですか?」
「言っただろ。若菜には感謝してるって。恩は仇で返さないさ。ちゃんと隠し事はしないで全部話す」
「わかりました。氷室さんを信じます」
「よし、なら、今日は帰れ。で、明日に備えてゆっくり寝てくれ」
「あ、でもその前に今日までの捜査を踏まえて、氷室さんの見解を聞きたいです」
ちらりと時計を見る。
時間はまだ20時を過ぎたばかり。
(21時に帰せば明日には響かないだろう)
「わかった。まだ予測の部分が多いが、聞いてくれ」
そうして氷室はゆっくりと考えを整理しながら話し始めた。