巌頭源二は一人、薄暗い資料室で資料を眺めていた。
過去に自分が担当し、解決できなかった事件。
資料には犠牲となった被害者の顔写真が添付されている。
その写真を見ているといたたまれない気持ちになる。
刑事になって45年。
一件だって手を抜いた事件はなかった。
それでも解決できなかった事件はある。
まわりは仕方ないと言う。
警察だって万能ではない、と。
犯人を捕まえられなかった事件もあれば、えん罪の事件だってある。
巌頭にだって、もしかしたらえん罪の犯人もいたかもしれない。
それでもいつも自分の心に正直に仕事をしてきた。
巌頭にとって仕事はまさに人生そのものだったのかもしれない。
家庭や友人も持たず、ひたすら事件を追う日々。
(……いや、友人と言える奴なら、一人いたか)
だが巌頭はすぐに自傷気味に笑う。
(あれは友人というより腐れ縁か)
一緒にいた時は煩わしく思ったりもしたが、いなくなるとそれはそれで寂しい。
その寂しさは巌頭の情熱も奪っていったのか、前ほど事件に全力を注ぐのが難しくなっていた。
(なんてな。実際は年のせいだろうな)
逆に言うとこれまで若い刑事よりも仕事に打ち込めていたのがおかしかったのだと思う。
そんなことをぼんやりと考えていると、資料室のドアが開き、高坂が入ってきた。
高坂は半年前まで巌頭と組んでいた部下だ。
「あれ? 巌さん、こんなところにいたんですか?」
「事件なら手伝わんぞ」
「ははは。違いますよ。ちょっと過去の事件の資料を探しにきただけです」
「それならいい」
巌頭は資料のページをペラリとめくる。
「まさか、過去の事件を洗い直してるとかですか?」
「そんな執念はとっくに無くなったさ。ただのケジメだ。引退する前にな」
「半年前までは巌さんが刑事を辞めるなんて考えられなかったですけどね。刑事辞めても探偵とかになるのかなって」
「はっ! 探偵なんてろくなもんじゃねー。願え下げだね」
「ははは」
そのとき、ピタリと巌頭の、資料をめくる手が止まる。
「……」
「どうしたんですか?」
高坂が巌頭の資料を覗き込んでくる。
「ああ。この事件。……というか、これって事件だったんですかね?」
「……」
南瓶堀という町で起こった、一家全員が死んだ事件。
一人は自動車で崖から転落。
一人は転落死。
溺死。
そして首つり自殺。
状況を見る限り、他殺とは考えられない。
だが、奇妙なのは一連の死が2週間以内に続いたことだった。
しかも、この一家は南瓶堀に引っ越してきたばかりだったのだ。
そんな異様さから、警察は事件として扱い、一応は捜査をした。
その結果、事件性はなしとなり、捜査は終了する。
巌頭自身もただ不幸が重なっただけだと思う。
いや、そう考えざるを得なかった。
なぜなら、一切、不審な点がなかったからだ。
異様なほど、怪しいほどに、何も。
そもそもこの一家は町の人間に関わろうとしなかったことから、どういう人間だったかさえもわからない。
そしてそのとき、女性と子供の失踪事件が重なったこともあり、あまり捜査自体ができなかった。
(そういえば、こっちの失踪事件も奇妙だったな)
同時期に失踪した女性と子供には全く接点がなかった。
下手をしたらそれまでは一度も会ったことさえもなかったのではないだろうか。
だが、バスの車内カメラに、その女性と子供が一緒に乗り込んでいる映像が見つかった。
当初は女性による誘拐なのではと思ったが、身代金などの要求もなく、その後、何の進展もなかったことから結局はただの失踪として片付けられている。
「事件から10年ですか……。もし、あのときの子供が生きてたら成人してますよね」
「22歳だ。生きてるなら、親のところに戻ってこれそうだけどな」
「死んでるんですかね?」
「さあな」
巌頭はパタンと資料を閉じる。
「ああ、そうだ。来週あたり、巌さんの送別会をやろうと思ってるんですけど、お店のリクエストありますか?」
「どこでもいい。というか、お前ら、そんな時間あるのか? 例の骨抜き殺人の捜査、進んでないんだろ?」
「あー、いや。まあ、そうですけど……」
「無理しなくていいぞ。そもそも送別会なんてやらんくていい」
「そんなこと言わないでくださいよ。みんな、ああ見えて寂しがってるんですよ、巌さんの定年退職」
「ふん。そんなこと言って、騒ぐ口実が欲しいだけだろ」
「あはは。まあ、パーッと飲みたいのはありますけどね。でも、巌さんに感謝してるのは本当ですよ。みんな巌さんにはお世話になりましたし」
「おだててもなにも出ないぞ」
そう言って巌頭は立ち上がって資料を元の場所に戻す。
そして資料室から出て行く。
耳を真っ赤にしながら。