目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第36話 10月15日~10月16日:鳳髄 美弥子

 スーツ姿の誠一郎がシルクハットをかぶり、カバンを手に持つ。


「では、先に行っているぞ」

「待って。あなた」


 美弥子が誠一郎に駆け寄って抱き着き、そして濃厚なキスをする。


「私もすぐ行くわ。そしたら、また楽しみましょ」

「ふん。随分と楽しんだくせに」

「あら、妬いてるの?」


 美弥子の悪戯っぽい笑みに、誠一郎が顔をしかめる。


「いいじゃない。もう浮気はしなくて済むんだから」

「……まったく、お前は」


 美弥子がもう一度誠一郎にキスをする。


 そのときにチラリと帽子の下の、額の傷が目に入った。

 美弥子がその傷にそっと触れる。


「……傷になっちゃったわね」

「別にいいさ。返ってよかったかもしれない」

「そう?」


 美弥子が申し訳なさそうな顔をすると、誠一郎が微笑む。

 そして今度は誠一郎の方から、美弥子の頬にキスをする。


「それじゃ、お母さんを頼んだぞ」

「はい。任せておいて」


 誠一郎が家を出て行く。


 それを見送ったあと、美弥子は家の中を見渡す。

 広々とした家の中に残ったのは美弥子とキエだけになった。

 余計な家具も一切置いていないので、なおさら広く感じる。


「なんだか、寂しくなっちゃったわね。あの子でも呼ぼうかしら?」


 すると、ポケットに入れていた携帯に着信が入る。

 表示には『優茉』と出ている。


「もしもーし! ゆまちゃん? ちょうど今、あなたのこと考えていたところなの。遊びに来ない? みんないなくなっちゃって、寂しくって」


 美弥子がそう言うと、電話の先で何やら文句を言われる。


「冗談よ、冗談。そんなに怒らないでー。それより、写真ありがとね。計画通りにいってよかったわ。……うん。うん、うん。わかった。ゆまちゃんも色々ごめんね。大変でしょ? ……うん、うん。それじゃ気を付けてね」


 そう言って電話を切る。


 何気なくため息をつく美弥子。

 すると一気に体が重くなるのを感じる。


「ダメね。それでなくても寝不足なのに」


 時間を見ると、まだ20時を過ぎたくらいだったが、美弥子は寝室へ向かい、眠りについたのだった。



 ***



 次の日。


 美弥子は朝からスーパーへ行き、買い物もせずに店内を歩き回る。

 それでなくても美弥子は目立つのに、さらに奇怪な行動をとっているため、村の人たちは皆、不気味がっていた。


 以前であれば鳳髄家になんとか取り入りたいと考えていた主婦たちも多かったが、今では皆無になっているようだ。

 家に尋ねてくる人間はおろか、近くにさえ来なくなっている。


(不倫もしてるしね。近づくわけないか)


 いい人がいれば話しかけようと考えていた美弥子だったが、諦めてスーパーを出る。


(はあ……。本当に質が低いわね。だからもっと大きなところがいいって言ったのに)


 ため息をつきながら、今日はもう家に帰ろうと思い、タクシーを探す。

 するとちょうどよく、タクシーが通ったので、美弥子は手を上げて、大きく振った。


 タクシーの運転手と目が合いながらも、美弥子の前を通り過ぎていった。


「めんどくさ! これだから田舎者って嫌なのよ!」


 不倫をして、その相手が心中したことで美弥子のことを目の敵にしているのかもしれない。

 小さな村だからこそ、結束が固く、何かをすれば村八分になりやすい。

 今後は何かしら、嫌がらせをしてくる可能性も考慮しておかなければならないだろう。


 美弥子はバス停を見るが、下手をすればバスも乗車拒否される可能性だってある。


「……歩いて帰るしかないわね」


 体を引きずるように重い足取りで家路へと向かう美弥子。

 だが、そのときだった。


「良ければ送っていきましょうか?」


 振り返るとそこには若い男が立っている。

 20代中盤くらいの、背が高い爽やかな青年といった感じだった。


「タクシーに乗りたかったんですよね? 僕、車で来てるんで、送りますよ」


 服装もそうだが、男は雰囲気もどこか垢抜けている。

 第一、村の人間なら今の美弥子に親しげに話しかけてくるわけがない。

 下手をすれば、自分も村八分にされる。


 そう考えると村の人間ではない可能性が高い。


 それなら、なぜ、村以外の人間がいるのか?

 この村は産業と呼べるものもないし、観光地でもない。

 近くの町の人間だって、わざわざ村になんて入ってこないだろう。


(嫌な感じ)


 美弥子は男を無視して歩き始める。


「ちょ、ちょっと! どこ行くの?」


 男が美弥子の腕を掴もうとしたので、乱暴に叩き落とす。


「ガキに興味ないの。消えて頂戴」


 そう言って美弥子が睨むと、男は肩をすくめた。


 ふん、と鼻を鳴らして歩き始める美弥子。


 嫌な予感がすると、美弥子の勘が言っている。


(私も急がないと)


 そう思いつつも、家路へと向かうのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?