杉浦の同僚から話を聞いた後、氷室は若菜と違う場所で飲み直すことにした。
最近は若菜に酒をご馳走していなかったこともあり、捜査協力の礼を兼ねて少し高いお店に入る。
とはいえ、明日も平日のため、量は控えるように促した。
だが。
「うふふ。氷室さん。こんなところに誘って、何を企んでいるんですかぁ?」
店に入って30分もしないうちにスイッチが入ったようで、ペースが上がり完全に酔い始めていた。
「……明日は大丈夫なのか?」
「へ、平気です! ちゃんと捜査は手伝いますよ! 私の役目ですから!」
「そうじゃなくて、仕事だ。明日も平日なんだぞ」
「あー……。まあ、最悪休むんで」
「全然、大丈夫じゃないじゃないか」
「えへへ。固いこといいっこなしです」
「社会人としてどうなんだ?」
「ニートの氷室さんには言われたくないですー!」
若いのにしっかりしていると思っていたが、こういう年相応の一面もあることに氷室はなんだか安堵する。
若菜は時折、氷室が感心するほど肝が据わった一面を見せることがある。
また、応用力や考え方、推理力も氷室と変わらないくらいだと思うときもあった。
(苦労したんだろうな)
若菜のしっかりした部分は、もちろん性格の面もあると思うが経験からくるものだと感じる。
この年齢で、これほどの経験を積んだということはその分、苦労したのだろう。
そもそも、こんな閉鎖された村に来て2年程度で、厄介でありつつも上客である鳳髄家の担当を任されているのは、それなりに信頼を得ている証だ。
それなりに愚痴を吐いてはいるが、見る限り上手くやっている。
たびたび、氷室は若菜が助手に向いていると思うが、その思いは日に日に大きくなっていく。
(……あのとき、若菜がいたらどうなっていたんだろうな)
ふと、そんなことを考えてしまう。
きっと若菜なら、氷室の暴走を上手く止めてくれていたはずだ。
そうなれば、この村に来ることもなく、今も探偵を続けていたかもしれない。
(この村に来なければ若菜と会うこともなかったんだがな)
そんな矛盾する仮定に、馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。
(俺も飲み過ぎか)
いつもは意味のない仮定の話は好きではない。
仮定は推理としてするもので、未来に影響があるからこそ意味がある。
過去に対して、ああすればこうなっていた、なんてことはまるで意味をなさない。
過去は変わることはないのだから。
「あ、すいません。私、余計なこと、言っちゃいましたね」
黙ってしまった氷室に対して、バツが悪そうにしている若菜。
「そうじゃない。本気で若菜を助手に引き抜こうか考えていたんだ」
「ふふ。仕事がないのに、私を雇って大丈夫なんですか?」
「ん? ……ああ、そうか。そうだったな」
今、捜査しているのは単なる氷室の趣味だ。
誰かに依頼されたわけでもなく、報酬があるわけではない。
「……もし、私がオッケーしたら、また探偵始めるんですか?」
「そうだな。それもありかもな」
だが内心、それはないと氷室はわかっている。
というより、できないと言った方が正しいだろう。
だからこそ、こんな辺境の村に来ることになったのだから。
もしかすれば地方都市であれば問題ないかもしれない。
だが、そんな場所で探偵業ができるとも思えない。
「それなら、仕事が安定するまでは私が支えないとですね」
「……さすがに助手に食わせてもらうわけにはいかない。探偵……いや、大人として失格だ」
「それなら……奥さんとして支えると言うのはどうですか?」
氷室は耳を疑った。
今まで氷室は若菜をそういう対象として見たことはない。
若菜も同様に、氷室に対してそのような感情などないと思っていたからだ。
「馬鹿を言うな。一回りも違うのに」
「んー。年齢って、そんなに重要ですか?」
「重要だろ」
「古いなぁ、氷室さんは。私よりも古いです」
「当たり前だ」
若菜はグラスに残っていたワインを飲み干すと、大きく息を吐いた。
「私の両親は、今でも仲がいいんですよ」
「……いいことじゃないのか?」
「いまだに新婚みたいにいちゃいちゃしてるんですよ?」
「それは……まあ、キツイか」
親が仲がいいのはよいと思うが、過剰なスキンシップをしているところを見るのは確かに背筋が寒くなるものがある。
氷室は自分の親が、そのようなことをしているのを想像し、身を震わせる。
「だけど、なんていうか……少し憧れちゃうんです」
「結婚って、どんなものなのかなーって」
「結婚、ね」
「氷室さんはしないんですか? 結婚」
「足枷にしかならないからな」
「あはは。氷室さんらしい」
結婚に憧れる。
それは若菜くらいの年齢であれば少なからず誰でも抱く感情だろう。
「心配するな。若菜だったらきっといい男が見つかるさ」
「……そうだといいんですけどね」
そう言った若菜の目には、どこか諦めが入っているように思えた。