早朝。
氷室は激しいドアのノック音で目を覚ました。
「探偵さん、開けて!」
ドアの向こうから蓮の声が聞こえてくる。
昨日の今日で、若菜は来ないだろうと油断していたが、蓮がいたんだったと思い出す。
氷室はゆっくりとソファーから起き上がり、玄関へ向かう。
体が重い。
昨日は久しぶりに酒を飲んだからだろう。
二日酔いのせいか、僅かに頭痛もする。
(若菜に起こされてた頃を思い出すな)
眠るために酒を飲み、ただただ時間が過ぎるのを待っていた。
そんなだらけ切った生活を、若菜に面倒を見て貰っていた。
(今考えると、最低だな)
今さらのように反省してみるが、意味がないことは氷室自身がわかっている。
今の事件を調べている間は、昨日のようなことがなければ飲まないだろうし、事件が解決すれば、またあの生活に戻る。
そうなるのが火を見るよりも明らかだからだ。
「さ、捜査に行こうよ!」
ドアを開けると、元気というより気合が入った表情をしている蓮が立っている。
「すまん、蓮。今日は学校に行ってくれ」
「なんでだよ!」
昨日は捜査に連れて行ってやると言った手前、氷室も悪いと思っている。
「今日行くところはデリケートなんだ」
「デリケート? ……ってなに?」
「亡くなった人の親族のところだ。子供を連れていける雰囲気じゃないんだ。特にお前みたいな元気なヤツはな」
「……静かにしてるよ」
「子供を連れて行くこと自体が場違いなんだ。杉浦にはお前と同じくらいの子供もいたしな」
「あっ! ……健吾」
蓮が顔をしかめる。
それは同級生の死を悼むものではなく、完全な嫌悪感だ。
(蓮は学校では軽いイジメに遭ってたんだったな。この雰囲気からするとイジメに関わってた奴だったということか)
「わかった。今日は探偵さんにはついて行かないよ」
「助かる。じゃあ、今日は学校に行ってくれるな?」
「行かない」
「おい、俺の話を聞いてたか?」
「探偵さん、お金頂戴」
「話を聞け」
「綫里に行ってくる」
「……」
なるほど、と氷室はため息をつく。
捜査には着いてこないが、一人で西山を探しに行きたいということだ。
氷室はどうするか考える。
子供一人で行かせるのは心もとない。
だが、今日の予定を潰してまで蓮に付き合っても意味がない。
かと言って、蓮を説得して学校に行かせるのも骨が折れし、そもそも説得できる気がしない。
「わかった。その代わり……」
氷室は内ポケットから携帯を出して、蓮に渡す。
何かあったときのために、念のため、もう一台携帯を契約しておいたのだ。
「これを持って行け。あと、2時間置きに連絡しろ。絶対にだ」
「うん。わかった」
「それと、もし西山を見つけたとしても、声をかけるな。俺に連絡しろ」
「なんで?」
「いいから!」
氷室自身、なんでそんなことを言ったのかわからない。
ただ、異常なことが起きている今、安易な行動は命取りになると肌で感じている。
いわゆる『探偵の勘』というものだ。
(俺の勘だから宛てにはならないが)
氷室は蓮に交通費を渡し、まずは杉浦の実家へと向かった。
***
杉浦の実家に着いたとき、家の前には引っ越し業者のトラックが停まっていた。
慌てて覗き込むと、引っ越し業者が家具を運んでいる。
そして、老夫婦が業者に対して、色々と指示をお願いしていた。
(村から出て行くつもりか)
考えてみれば当然だろう。
一人息子が不倫をし、さらに無理心中で妻と子供を殺しているのだ。
しかも、そのことを知らない村人を探す方が大変なくらい、既に情報が行き渡っている。
氷室は町の刑事だと嘘を言って、話す機会を作る。
相手は村から出て行くのだから、嘘を付いても問題ないと計算したのだ。
「……普通なのが取り柄の子だったんですけどね」
杉浦の母親が虚ろな表情をしながらそう言った。
「不倫なんて馬鹿なことを……。ううん、それより何も健吾たちまで殺すなんて……」
息子と孫を同時に失った。
しかも、孫を殺したのが息子なのだから、ショックはかなり大きいはずだ。
当然、杉浦の葬儀はしないとのことだった。
既に死体の処理は警察に任せてしまったらしい。
「墓にも入れられやせんわ、あの馬鹿」
杉浦の父親がそう吐き捨てる。
母親とは違い、ショックよりも怒りの方が勝っているようだ。
「まあ、儂らも入れんのだがね」
そう言って自虐的に笑う。
取り返しのつかないことをした。
その通りだ。
不倫がバレればこうなることは、杉浦自身だってわかっていたはず。
それなのによりにもよって、無理心中だ。
親族全員が村にいられなくなる。
(――待てよ?)
氷室はそこで引っかかりを覚えた。
(杉浦はなぜ、家族を殺す必要があったんだ?)
不倫がバレれば村にはいられないのはわかる。
それならば、単に村を出ればいいだけなのではないか?
親族たちは多少は居づらくはなるが、村を出て行くことにまではならなかったのではないかと思う。
(そうまでして、家族を殺し、自分も死ぬ必要があった……?)
氷室は少しだけ事件の核心に近付いた気がした。