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第42話 10月17日:氷室 響也

 タクシーから降りると、斎場の入り口近くに立っていた若菜が駆け寄ってきた。


「喪服あったんですね」

「いや、買った」


 杉浦の実家で話を聞いた後、若菜から電話がかかってきた。

 今夜、杉浦の妻と子供のお通夜があるとのことだった。


 村の人間はほとんど出席する予定だが、氷室はどうするか聞いておきたかったのだと言う。


 氷室はもちろん、行くと即答する。

 村の人間が集まると言うのなら、行っておいて損はないだろうと思ったのだ。


「それにしても、昨日の今日で通夜か。随分と早いな。まだ検死も終わってないんじゃないのか?」

「親族が早く済ませておきたいと言ったらしくて……」

「死因と犯人はわかっているからな。警察も要望があれば断ることもできなかったんだろうな」


 村人たちの結束は固い。

 それはつまり、警察という組織よりも村の人間との関わりの方が重視されているということだ。

 村の中で起こった事件は、村にとって良い方向に処理されることも少なくないだろう。


 村の駐在所なんてそんなものだ。


「探偵さん!」


 斎場の中から喪服を着た蓮が出てくる。


 氷室は若菜から連絡を貰った後、すぐに蓮に電話をした。

 当然、蓮も葬儀に出ることになる。

 だから、すぐに帰ってくるように言ったのだ。


 最初は「健吾の葬式なんか行きたくない」と言って駄々をこねたが「両親を困らせるな」と言ったら素直に帰ってきた。


「これ、返しておくね」


 蓮が氷室から借りていた携帯を出す。


「いや、そのまま持っておけ。これからも捜査を手伝ってくれるんだろ?」

「うん!」


 嬉しそうに頷いて、携帯をポケットに仕舞いこんだ。


「それで? 西山は見つかりそうか?」

「結翔はいなかったんだけどさ……」


 なにやら難しそうな表情をする蓮。


「どうした?」

「ううん。たぶん、気のせいだと思う」

「……気になることがあるなら言え」

「それが……」

「あ、二人とも、話は後にした方がいいです。氷室さん、早く受付してください」

「おっと、そうだったな」


 氷室は若菜に促されて受付に向かうのだった。



 ***



 通夜は陰鬱な雰囲気が漂っていた。

 話し声はもちろん、すすり泣く声すらしない。

 静まり返った室内で、御経だけが響き渡っている。


 杉浦の妻と子供は焼死で、遺体の損傷が激しいため、棺桶には人形が入っていた。

 それがまた異様な雰囲気を醸し出している。


 無理心中。

 浮気をした夫による理不尽な行動。

 怒りを向けるべき相手は既にこの世にいない。

 そして、その相手の親族も、そそくさと村を出て行った。


 そうなれば、もう忘れるしかない。

 そんな事件があったこと――いや、そんな家族がいたことさえもなかったことにするかもしれない。

 そんな異常なことさえも、この村でなら平気でやってのけてしまうだろう。


 とにかく式をすぐにでも終わらせ、忘れてしまいたい。

 そんな村の人間たちの心の声が聞こえてきそうだった。


 そして、式が終盤に差し掛かったとき。

 突然、部屋のドアが勢いよく開いた。


 部屋にいた人間全員が振り返る。


 なんと、そこに立っていたのは――美弥子だった。


 不倫相手の女がいきなり通夜に押しかけて来た。

 そんな非常識なことに、一同は言葉を失う。


 それどころか美弥子は喪服ではなく、赤い派手なドレスを着ていたのだ。


 呆然とする一同をよそに、美弥子は部屋の中央を歩いて、棺の正面に立つ。

 そして振り返り、座っている村人たちをジッと見始める。


「んー。パッとしないわね。でも、贅沢は言ってられないか」


 そんな大胆な行動と意味不明な言葉に、その場の人間は呆然とし、動きが固まる。

 まるで時が止まったかのように。


 だが、そんな美弥子の不遜な行動に、初老の女性が怒りを露わにして叫んだ。


「何しに来たのよ!」


 親族席に座っていることから、おそらくは杉浦の妻の母親なのだろう。

 怒るのも当然だ。


「お葬式やってるんでしょ? 参加しに来たの」

「お通夜よ!」

「別にどっちでもいいでしょ」

「出て行きなさい!」

「えー? なんで? 今来たばっかりなのに」


 腕を組んでわざとらしく困ったような表情をする美弥子。


「せめて、あの人の奥さんと子供の顔くらい拝ませてもらわないとね」


 そう言って棺を覗き込む。


「あら、お人形さん。ふふ、可愛らしい」


 その言葉に、母親はカッと目を見開いて、ズカズカと美弥子に歩み寄る。

 他の親族たちが慌てて、母親を止める。


「お、おい! 係員! この女、つまみだしてくれ! 早く!」


 近くの男がそう叫ぶと、横に並んでいた斎場のスタッフが美弥子に駆け寄っていく。


「わかった。わかったから。出て行きますよー」


 美弥子はそう言ってから、再び部屋の中央を歩いていき、出て行ってしまった。


「なんなんだ、あいつは!?」

「非常識な女!」


 部屋の中は野次が飛び交う。


(一体、何をしにきたんだ?)


 部屋の中で氷室だけが、美弥子が来たことに何か意味があるのではないかと考えていたのだった。

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