美弥子はリビングで鼻歌交じりで服を脱ぎ始める。
所機嫌で裸になると、用意していた服を着始めた。
明子のために買った服だ。
町で買った服は村で着れないし、買ったことが知られるとあまりいい顔をされないということで預かったのだ。
明子に買ってあげたとき、美弥子自身も気に入っていた服だったので好都合だった。
服を着てみると、胸とウェスト部分が若干キツイ。
どうやら美弥子よりも明子の方がプロポーションがいいみたいだ。
「ふふふっ」
さらに上機嫌になる美弥子。
「あらあら。随分と嬉しそうだね」
リビングにキエがやってくる。
「お母さん、公民館に行ってたんじゃなかったの?」
「なんだか、最近はさらに体が重くてね」
「……そっか。早くなんとかしないとね」
「正直、私は長く生きたから、もういいかなって思うんだけど」
「ダメよ。お母さんにはもっと長生きしてもらわないと」
「あんまりおじいさんを待たせてもねぇ」
「お父さんのことは言わない約束でしょ。私も手伝ってあげるから、少し寝たら?」
「そうだね。そうさせてもらうよ」
ヨタヨタと歩きながら、キエが寝室へと向かう。
(あんまり浮かれてもいられないわね。いくら優茉ちゃんがいるって言っても、もう誠一郎さんも祥太郎もいないんだから、私がしっかりフォローしてあげないと)
美弥子は再び元の服に着替えた。
そしてそろそろ晩御飯の用意をしないと、などと考えていたときだった。
突如、インターフォンが鳴る。
(誰? こんな時間に?)
時刻は17時。
一瞬、明子かと思ったが、まだ仕事中のはず。
そうなると村の連中の可能性が高い。
どうせ嫌がらせに来たんだろうと思い、無視することにした。
しかし、何度もインターフォンが鳴らされる。
「うるさいわね!」
美弥子は黙っているよりも、文句を言ってやった方がけん制になるだろうと考えて玄関に向かう。
「ちょっと! うるさいんだけど!」
勢い良くドアを開けると、そこには見覚えのない男が立っていた。
ヨレヨレのスーツに無精ひげを生やした40代中盤の男。
目の下にはクマが濃く残り、生気を感じられないほど疲れ切っているように見える。
(こんな男、村にいたかしら?)
ただ、美弥子は全くと言っていいほど村人たちには関わっていないので自信はない。
この前の葬儀場でも、女を中心に見ていたので、どういう男がいたのか覚えていなかった。
「何か用?」
美弥子が顔をしかめて言うと、男はポロポロと泣き始めた。
(なんなの、こいつ)
美弥子は関わらない方がいいと思い、ドアを閉めようとした。
しかし、男は美弥子の手を掴む。
「……やっと、会えた」
その男の言葉に美弥子は若干の引っかかりを覚えた。
会えた、と言うことはこの村の人間じゃない。
いくら村人と関わらないようにしているとはいえ、買い物など外に出ることはある。
なにより、数日前にはほとんどの村人が集まっているだろう葬儀場に顔を出している。
それなのに『会えた』なんて言ったということは、その場にいなかったということになり、つまりは村人ではない可能性が高い。
ストーカーという言葉が頭に浮かぶが、ストーカーが発生するほど人と関わっていないし、なにより一つの場所に長い期間いることもない。
それに、鳳髄家に興味を持たれないように気を付けてきた。
美弥子を探し出そうなんて人間は出てこないはず。
いや――そもそもあり得ないはずだ。
美弥子は男に対して不快という感情から、不気味という感情へと変わる。
(さっさと家に入った方がよさそうね)
美弥子は男の手を振り払い、ドアを閉めようとする。
「俺だよ! 基晴だ!」
全く聞き覚えのない名前だ。
だが、そのことで美弥子は、この男が『何者』かを理解した。
(そういうこと。10年もかけてわざわざ探し出すだなんて、凄い執念ね)
美弥子は先ほどとは一転してニコリと微笑む。
「久しぶりね、基晴さん」
「……思い出してくれたのか?」
「ごめんなさい。私……」
「いいんだ。いいんだよ。無事でいてくれたら、それでよかったんだ」
「ねえ、中で話さない? ……ここじゃ、ちょっと」
「あ、ああ。そうだな。わかった」
美弥子は男を家に招き入れる。
「お茶を淹れるわ。座って待ってて」
ソファーに座るように促すと、男は部屋を見渡しながらも腰を落とした。
「……一人で住んでるのか?」
「おか……家政婦さんと、ね。住み込みで働いてもらっているの」
そそくさとキッチンへ向かう美弥子。
(この前、やったばかりなのにまたか。面倒くさいわね)
美弥子は舌打ちしながら、ティーカップを用意する。
紅茶用にお湯を沸かしつつ、戸棚に隠しておいた睡眠薬をティーカップに入れる。
そして、いつでも取り出せるように、ナイフを懐に忍ばせるのだった。