「森林都市フォレスティ」。
近年、膨大な森林資源に目をつけた人々が一気に流入し、今や過去最大の人口を抱えるまでに発展を遂げている。だが人が増えれば、その周辺に棲む魔物との衝突も増える。必然的に冒険者の需要も高まり、結果として街には労働者や職人、そして冒険者が大挙して集まるようになった。
そうした急速な拡大の裏には問題もある。森林を切り拓く作業や新たな建物の建築、増築は日々絶えず行われているが、とても追いつかない。街の至る所で工事が進められているが、住居は常に不足気味で、すでに賃貸物件や宿屋は飽和状態。職人や一般労働者は優先的に集合住宅や貸家に入るが、それでも部屋は足りず、冒険者に回ってくる空き物件はほとんどない。
結果として、多くの冒険者たちは街の広場にテントを張り、“定宿”代わりにしているのが実状だ。ルナたち一行も例外ではなかった。早いところ宿屋を押さえたいところだが、余程の偶然か大金でもない限り、今から予約なしで泊まれる余地はない。街の各地にあるテントサイトも利便の良い場所はすぐに埋まってしまうので、少しでも条件のいい場所を確保するのが先決だ。
「やれやれ、街中の宿は予約で埋まってるらしいな。こりゃ広場のテント街に行くしかないか」
「そうなりますね。水場とか便利な場所は、たぶんもう……」
マルクスたちが聞き込みをしている間にも、通りを歩く人々が「いま工事中の家もあと数棟しか空きがない」「宿屋は二か月先まで予約済み」といった声を漏らしている。ルナとハクは周囲の賑わいに目を奪われつつも、「まずは場所取りだよね……」と気を引き締めた。すでに広場へ向かった冒険者が多いだろうし、水場の近くは争奪戦に違いない。
「行くぞー。なるべく条件のいい場所を探すんだ」
「はーい、隊長ぅ。って言ってももう朝から来てる人たちがたくさんいるだろうけど……」
ジェニーが肩をすくめながら、マルクスとともに街の中心部へ足早に向かう。ルナもそれに続き、ハクをリードしながらついていった。すでに広場の一画には大小さまざまなテントが立ち並び、まるで即席のキャンプ場が形成されている。冒険者らしき姿も多いが、鍛冶や木工の職人仲間が相部屋感覚でテント暮らしをしている姿も見受けられる。
「うわ、ほんとに人が多い……。これだけの冒険者や労働者が集まってれば、魔物退治も工事も進むでしょうけど……住むところが全然足りてないんですね」
「そういうこった。便利な水場の近くとか屋台が並ぶ場所は、もう一週間前から陣取ってる連中がいるって話だ。おれたちもどこか隅のほうで我慢しようぜ」
マルクスが苦笑いしながら、少し広場から外れた一角を見渡す。そこは確かにまだ人が少なく、地面もしっかり固まっているが、水場は遠いし街道へ出るにはやや不便そうだ。しかし、いま贅沢は言っていられない。ここを逃せばもっと条件の悪い場所に追いやられかねない。
「ここにしましょうか? 多少不便でも、地面がしっかりしてるのは良いですよ。雨が降ったら泥沼になるのは嫌ですし」
「うん、そうだな。場所取りは早い者勝ちだ」
そう言いながら、マルクスたちがさっそくテントの配置を確認し、ロープで区画を区切り始める。ルナもマジックバックから自分用のテントを取り出し、「ハク、一緒に場所を押さえておこう」と声をかける。ハクはわふわふと尻尾を振りながら手伝う(?)ようにそこを歩き回る。
「よし、ここなら今夜からしばらくテント泊でも快適だろう。……ルナは、またあの新しいテントだよな。十分広さあるし、問題なしだ」
「はい。おかげで昨日もテントで快適に過ごせましたし、ここでも大丈夫です」
周囲の人々も同じようにテントを張り、わずかに空いたスペースをめぐって小さな交渉や譲り合いが行われているようだ。ルナが目線をめぐらせると、「これだけの人口密度……食糧や水の確保も大変そう」と改めて思う。
「よっし、さっさと設営済ませて、街のほうも一通り見て回ろうぜ。飯も食いたいしな」
マルクスが声をかけ、ジェニーや冒険者仲間も「賛成ー」と応じる。ルナも「じゃあテント張りますね」とさっそく骨組みを組み立て始める。もう慣れた作業で、ハクがちょこまかと周囲を見守る中、あっという間に居住空間が完成していった。
こうして人波に揺れるフォレスティの広場で、ルナたちもなんとかテントの設営場所を確保。周囲には同じように旅の冒険者や、短期労働者が雑多にテントを並べている光景が広がり、改めてこの街の急成長ぶりを感じさせる。しばらくはここを拠点に、薬草採取や街歩きを楽しみつつ、ルナの“秘密の旅”は続くのだ。
森の香りと人々のざわめきが入り交じる活気のなかで、ルナは「よし、まずはごはんをどうしよう」と笑みをこぼしながら骨組みの最後の支柱をしっかり固定するのであった。
テントをしっかり固定したのを確認し、ルナは一息ついた。ハクが「わふ!」と尻尾を振ってそばをウロウロしている。周りを見ると、マルクスたち冒険者パーティーがこれから街に繰り出して酒場巡りをしようと相談しているようだ。隊長であるマルクスが、にこやかに「ルナも一緒に行くか?」と誘ってくれたが、ルナは微笑んで首を振った。
「隊長さんたちはお酒のお店に行かれるんですよね。私は屋台街でいろいろ買い込んで、テントに戻ろうと思います。そのまま休みたいので……」
その言葉に、マルクスやジェニーは残念そうな顔をしながらも、「ま、酒場は深夜まで騒がしいからな。おまえは無理せず休め」と勧めてくれる。ルナは一言お礼を言い、ハクを軽く抱え直すと「ではお先に」と頭を下げて別れを告げた。 屋台街に急ぎ足で向かうハクは、さっそく鼻をひくつかせて「わふわふ!」と喜びを表している。
空には夕焼けが残っていて、フォレスティの木造家屋の間からは焼き肉や炙ったきのこ、香ばしいパンの匂いが漂ってくる。ルナはこの街特有の賑わいを感じつつ、ハクに「好きなもの見つけようね」と声をかけた。少しのあいだ大人びた対応を頑張ったぶん、今夜はテントでのんびりと過ごすつもりだ。結局、どれだけ背伸びしても、空腹と好奇心はごまかせない。そんな少女らしさを胸に、ルナとハクはおいしい食べ物を探しに夜の屋台街へ消えていった。
フォレスティの屋台街は、オーベルのものよりはるかに規模が大きい。人の数だけでなく、そこで消費される食材の量も比べものにならないだろう。肉やきのこを扱う屋台がずらりと並び、看板や呼び声が入り乱れている。その雑踏ぶりに、ルナは少し圧倒されながらも「これはのんびり見てたら売り切れちゃうかも……」と心を急かした。
ハクは「わふわふ!」と鼻をひくつかせ、ますます興奮気味。そんなとき、ちょうどルナの耳に「フォレスティ名物、お肉食べ比べ串焼きセットあるよー!」という声が届く。まさに今の二人(?)が求めるフレーズとしか思えない。
「これだ!」
「わふ!」
声のする方へ一目散に向かうと、屋台には豪快に焼かれた串がずらりと並んでいた。五本組の串焼きセットが陳列されていて、見たからにボリュームたっぷり。5本てことは5種類の肉が使われているのだろう。ルナはもう我慢できないとばかりに足を止めて声をかける。
「おじさん、それください!」
「あいよ、銅貨八枚だよ!」
一瞬、値段に眉をひそめるかどうか迷うが、硬いパンが一個で銅貨一枚と考えれば、肉としては安いくらいかもしれない。きっとフォレスティ周辺の狩猟が盛んだからこその値段なのだろう。ルナはさっそく支払いをし、受け取る。ハクは「わふわふわふ(はやくはやくはやく)」と念話でせがんでくるが、ここで食べ始めたらさらに別の屋台が気になりそうだ。
「はいはい、テントに戻ろうね」
いったんテントで落ち着いて食べようと思ったルナは、途中でスープも一人前だけ追加注文してから広場へ戻る道を急いだ。スープは熱々を注いでもらったので、しばらく冷めないように気をつけて持ち運ぶ。肉の匂いがたまらないせいで、ハクがずっとそわそわしているが、テントにつけばゆっくり味わえるはずだ。
(五本セットの串だし、ハクと一緒に分け合えばちょうどいいかな。スープもあるから満足できるだろう)
そんなことを考えながら、ルナは雑踏を抜け、先ほど確保したテントサイトへと足を速めた。空には夜の帳が降り始め、焚き火や灯りがあちこちで揺れる。フォレスティの夜は、まだまだ賑やかで活気に満ちていそうだが、ルナとハクは早めにテントへ落ち着いて、おいしい食事を堪能する予定だ。
テントに戻り、ランタンを灯してから、ルナはひとまず腰を落ち着けた。マジックバックから簡易テーブル代わりの板を取り出して、その上に串とスープを並べていく。すでに空気はしんと冷え始めていたが、アツアツのスープと肉の香りが、テントの内を一気にあたためるようだ。
「ツノウサギ、ブルファング、ボアウルフ、ガーガーダック、ブリトーン……って書いてあったけど、どれがどれやらさっぱりだね。ま、どれも美味しそうだし気にしないでおこう」
言いながら、ルナはそれぞれの串からお肉を外し、平らな器の上に並べてハクの前へとそっと差し出す。
「ハク、どうぞ。ゆっくり食べるんだよ」
「わふ!」
ハクは嬉しそうに尻尾を振りながら、勢いよくかぶりつき始める。肉汁がジュワッとにじみ出すのを確認するや、さらに食欲が掻き立てられるのか、「わふわふ」と鼻を鳴らして次々と頬張っていく。その姿にルナは微笑ましく目を細める。
一方で自分は、まずスープを試すことにした。きのこがたっぷり入っている岩塩ベースのスープは、よく見ると表面にうっすらと炙り焼きされたきのこの焦げ目が浮かんでいる。ひとくちすすると、香ばしいきのこの風味が湯気とともに広がる。
「すごい……。乾燥きのこもいい味が出るけど、生を炙ってから煮込むと、また全然違う旨みになるんだ……」
感嘆の声が漏れてしまうほど、その深い味わいに驚かされる。香りも豊かで、岩塩のシンプルな塩味が素材本来の旨味を際立たせている。
ルナは「あぁ、おいしい」と何度もうなずきながら、時折ハクの様子をうかがう。ハクはすでに複数種のお肉を食べ比べて、どれも甲乙つけがたいといった風に喜んでいるようだ。串のラベルもないのでどれがどれか判別はつかないが、どれも柔らかくジューシーで間違いなく当たりらしい。
「ちょっとだけわけてもらおうかな……」
自分の分の串も手元に置いていたルナは、一番香ばしそうな焦げ目がついた肉をかじってみる。歯ごたえと甘み、脂がしみ出す感覚――正体はわからないままでも、確かにフォレスティ名物を存分に味わっているのは確かだ。
「うん、これは……きっとブルファングとか、そんな感じかな。ううん、でもツノウサギもアリかも……」
自分の味覚に問いかけながら、ルナは嬉しそうに笑う。普段ならもっと地味な薬草食や干し肉で済ませていたところ、この街では“肉”がとにかく豊富で多彩だと身をもって理解できる。何よりハクと一緒に食べている安心感が大きい。
食事が一段落すると、ルナはスープをすすりつつ、「ああ、今日もよく動いたな」と軽く伸びをする。馬車移動が中心だったとはいえ、いろんな人に出会い、テントを設営して、屋台街へ行って、こうしておいしいものを楽しんでいるうちにだいぶ疲れも溜まっているのを感じる。
「ハク、おいしかった?」
「わふ!(おいしかった!)」
しっぽを振って答えるハクに目を細め、ルナは残ったスープを飲み干す。満たされた胃袋と、外から聞こえるざわめきが心地よい子守唄のように感じられ、自然とまぶたが重くなってくる。明かりを少し落とせば、もうあとは寝るだけ。
「明日は森を軽く探索して、薬草採取してみようかな……。ハクにも危なくない範囲でね……」
そんな計画をつぶやきながら、ルナはマジックバックへ道具類をしまい、片付けを済ませて寝袋を広げる。ハクは食後の満足感と眠気が重なって、すでに大きくあくびをしていた。
「おやすみ、ハク。幸せだね、こんなにおいしい食事ができるのって……」
「わふ……」
互いに安心しきったまま、ルナとハクはテントの中で横になり、ゆっくりとまどろみに落ちていく。遠くからはフォレスティの夜の喧騒がかすかに聞こえるが、それもどこかやわらかい響きに感じられる。今日も無事に終わった、そんな安堵の気持ちに包まれながら、二人は深い眠りへと誘われていった。
◆◆◆
フォレスティのテント広場の朝は、どこかざわついた空気から始まる。
夜明けの冷気が残るなか、すでに冒険者たちの声や笑いが広場中に響き渡る。狩りや依頼に向かう者、テントを片付けて次の街へ旅立つ者、それぞれが朝のうちに準備を整えているからだ。
ルナがテントを出ると、昨日と同じように強烈な朝日が空を染め始めていた。少し肌寒いが、よく眠ったおかげで身体は軽い。テントのそばでは、焚き火にあたりながらぼんやりしているマルクスの姿が見える。夜遅くまで酒を飲んでいたはずだが、やはり早起きして活動を始めるあたり、荒くれ冒険者らしくタフだ。
「おはようございます、隊長さん」
「おう、ルナ。おはよう」
マルクスは振り返り、呑気に焚き火に手をかざしたまま返事をする。
ルナは大きく伸びをしながら、焚き火の温もりにあたるハクをなでた。
「門が混み合いそうなので、先に行きますね。たぶん今が空いてると思うんです」
フォレスティの門は、朝になると人や荷車が大量に出入りして、しばしば大混雑を起こすと聞いている。ルナは人込みで揉まれるのはあまり得意ではないので、混み始める前にサッと出てしまおうという考えだ。
「そうか。まあ、気をつけてな。あまり遠くへ行きすぎると危ないぞ」
マルクスが軽く釘を刺す。
となりのジェニーたちはまだテントの中でごろごろしているようだが、彼らもそのうち魔物討伐に向けて準備を始めるのだろう。ルナとしては、森の入り口近くに薬草を探しに行く程度なので、さほど無茶をするつもりはない。
「はい。ハクと一緒に、森の周辺だけを回って、様子を見てきます」
「わふ!」とハクも元気に返事をする。
ルナは最後にマルクスへ軽く会釈すると、さっそく門のほうへ足を向けた。
門まではテント街を抜ける必要があり、すでに大勢の冒険者がバタバタと移動を始めている。騎士風の人物が馬の世話をしているかと思えば、魔術師風の格好をした少女が大きな杖を担いで朝食の屋台を探している光景もある。
ルナは人混みをよけながら、少しだけ立ち止まってハクを抱え直した。
「よし、空いてるうちに門を出ちゃおう。焦らずゆっくりね」
「わふ!」
ふたりはテント街の雑踏を掻き分けながら、フォレスティの門へ向かう。朝日がまだ斜めに差し込む時間帯だが、門の付近にはすでに商人や行商の馬車が並んでおり、夕方にはますます増えるだろうことが想像できる。
門の衛兵に冒険者登録証を見せてあいさつを済ませると、何事もなくすんなりと通してもらえた。さすがに朝イチは人も少なく、ルナのように早めに動く者だけが外へ出ていく。
振り返れば、フォレスティの街並みが昨日よりも一層活気を帯びようとしていた。
「さ、ハク。森の近くまで行って、まずは薬草を探してみよう。魔石もあれば拾えるかも」
「わふわふ!」
いつもの調子で頷くハクに、ルナは微笑む。今日はどんな発見があるだろう――そんな期待を胸に、まだ薄寒い外気の中を足早に進んでいくのだった。
「まずは、城壁に沿って小川を探そう」
ルナはそうハクに声をかけながら、自然に目印をたどるように道を選ぶ。
大きな街だけに、城壁内を流れる小川は何本もあるはず。
そこから上流へ向かえば自然と森へ続くだろうし、道に迷わず薬草を探せるという算段だ。
しばらく歩くと、小さな橋を渡るほどの幅をもつ小川に行き当たった。
小川のせせらぎが心地よい音を立て、街の喧騒から徐々に遠ざかっていく気配がある。
「よし、じゃあこの川を上流へたどっていくだけだね。傷薬用の薬草や、もしあれば魔石も拾って……」
ルナはハクのリードを外し、自由に動けるようにしてやる。
ハクも「わふ!」と嬉しそうに一鳴きして、先に立って草むらをくんくんと嗅ぎ回る。
川の水面には朝の光が反射してきらきらと揺れ、さわやかな風が緑の葉をそよがせている。
「このあたりなら、きっと採集もはかどりそう。のんびりしつつ、頑張ろうね、ハク」
「わふわふ!」
そんな短いやりとりを交わしつつ、一人と一匹は森へ続く小川を辿り始めた。
フォレスティの街から小川伝いに森へ分け入ると、そこには見渡すかぎり豊かな緑が広がり、目を凝らせば実にさまざまな薬草が存在しているのがわかる。
ルナは嬉々として探索を進めながら、一つひとつ丁寧に確認をしていく。ときには間違えて有毒な植物を摘まないように、葉や茎の色合い、形、手触りや香りを慎重に見極める。
「これ、いけるかも。葉先が丸く、切れ込みが少ないから……たぶん傷薬用のやつだね」
小声で確認しながら、ルナは持っている小さな布袋に薬草を入れていく。ときどきハクは、鼻をくんくん鳴らしてなにやら特定の匂いに反応を示すことがある。
「わふわふっ!(ここ、ありそう!)」
ハクが少し先の草むらを覗き込むように鳴き、ルナが跡を追うと、そこには同じ薬草がかたまって生えていることがしばしばあった。まるで、ハクの鼻が薬草の群生地を感知しているかのようだ。実際は独特の香りや土の湿り具合を感じ取っているのかもしれないが、フェンリルの血を引くハクには、こうした能力が自然に備わっているのかもしれない。
「ハク、ありがとう。助かるよ」
「わふ!」
ハクが尻尾を振りながら得意げに振り返る。その様子を見て、ルナもなんだか誇らしい気分になる。小さな布袋は徐々に薬草で埋まり始め、収穫が順調に進んでいる。
「薬草はこれでだいぶ集まったけど、できれば魔石も少し見つけたいんだよね。まぁ焦らず探そうか。森の奥まで行くのは危険だから、このあたりを中心にゆっくり回ってみよう」
そんな言葉をかけつつ、ルナはハクと共に小川沿いの森を慎重に歩く。広大な森林には、まだ見ぬ生き物や魔物が潜んでいるかもしれないが、いまのところは静かで平穏な空気が漂っていた。葉を揺らす風、流れる水音、かすかに聞こえる鳥のさえずり――五感をフルに使いながら、一人と一匹の小さな採集の旅は続いていくのだった。
「よし、一旦はこれで集めた分を納品できそうだね。ハク、そろそろ休憩にしようか。遅めの朝ごはん? それとも早めのお昼ごはん?」
「わふわふ(どっちもたべるよ)」
ハクが尻尾を振りながら、食欲を前面にアピールしてくるのを見て、ルナは思わず笑ってしまう。そこで、さっそくマジックバックからバゲットを取り出し、厚めにスライス。干し肉を軽く炙り、用意してあったトマトやチーズを合わせてサンドウィッチ風に仕立てることにした。
バゲットの間に挟むのは、スライスしたトマトとほぐした干し肉、そしてすりおろしたチーズをぱらり。オーベル商会が用意してくれた旅用品には思ったより多彩な食材があって、ルナは毎度ながら嬉しくなる。しっかりおいしい食事をとりながら旅を続けられるのはありがたい限りだ。
「はい、ハク。できたよ。私たちも、いただきまーす」
「わふ」
ハクの声を合図に、二人(?)は木陰に腰を下ろし、のんびりとブランチを楽しむ。炭火の香りが残る干し肉は思いのほかやわらかく、トマトの酸味とチーズの塩気がバゲットによく合う。思わずルナは「おいしい……」とほっと息をつく。ハクも夢中になって食べ、鼻先をくすぐるチーズの香りに満足そうな表情だ。
森の中は鳥や虫の声が心地よく響き、小川のせせらぎが聞こえる。街の喧騒とは無縁の空気のなかで、こうしてゆったりと食事ができるのはなかなか贅沢な時間だ。ルナはサンドイッチを頬張りつつ、集めた薬草の布袋をちらりと確認して達成感を覚える。
「ハク、たまにはこういうブランチもいいよね。ゆっくり食べたら、また森を少し回って帰ろうか」
「わふ(うん、たべるー)」
幸せそうに尻尾を揺らすハクを見守りながら、ルナは笑みをこぼす。昨夜のバラエティ豊かな肉串も良かったけれど、こうしてパンを中心にした素朴な食事もまた格別だ。ゆっくりした時間と自然に囲まれて、おいしい食べ物がある──それは、かつての貧しい暮らしからは想像もできなかった贅沢で、今では大切な日常の一部となりつつある。
小鳥のさえずりと、水面を揺らす風の音に包まれながら、一人と一匹のブランチタイムはしばし続いていく。やがて食べ終わった頃に、ルナは満足そうに伸びをして、次の行動を考え始めるのだった。
ブランチを終えたあと、ルナとハクは再び小川沿いを下流へと歩きはじめた。先ほど通った道を戻るかたちだが、目をこらしてみると、まだまだ薬草が豊富に生い茂っている。
ルナは布袋の中身を確かめつつ、一つひとつ丁寧に選別しながら採取を続ける。ごく小さな傷を癒すための葉や、煮詰めると痛み止めになるという根茎など、この辺りの森には役立つ植物が本当に多い。さらに、ハクが鼻を鳴らして「わふ」と鳴く場所に向かうと、たいてい薬草がまとまって生えているから助かる。
「ありがとうね、ハク。またこんなに集まったよ」
「わふ」
尻尾を振って得意げなハクに微笑みかけたところ、突然ハクは足を止め、小川の水面を凝視しはじめた。ルナも「あれ……?」と思い、慎重に近づいてみる。すると、小川の底のほうから、何やら光が透き通るようにして放たれていた。
「わ、わふ……!」
興奮混じりのハクの声に、ルナはじっと目を凝らす。陽の光が差し込む水面を突き破って、青白い光が小さくゆらめいている。まるで川底の小石の中に埋もれるようにして輝いているようだ。
「魔石……? うわ、本当に魔石だ!」
ルナは思わず声を上げた。天然の魔石を、こうして川の中で見つけるのは久しぶりだ。しかも、そこそこ大きい輝きを放っているように見える。
得意げなハクが「わふ!」と鼻先を川に向けるので、ルナは靴と靴下を脱ぎ、慎重に水の中へ足を入れる。さほど深い場所ではないが、足元に気をつけながらゆっくり川底へ手を伸ばした。
「よいしょ……焦らないで……」
指先が石や砂利に触れ、ひやりとした冷たい水に慣れると、すぐに光を放つ固体に触れた。ゴロリとした感触を確かめながら、そっと持ち上げる。すると、水面から出た魔石は外光を受けて、さらに青白いきらめきを発した。
「わあ……きれい……。これだけの大きさなら、そこそこいい値段になるかも」
久々に見つけた天然の魔石に、ルナの胸が高鳴る。旅の費用だけでなく、この先のいろんな出費に役立てられるだろう。必要があれば、ギルドで買い取ってもらえるし、売り時を見計らってもいい。ハクも「わふ!」と喜びの声を上げていて、そのまま川岸に戻ったルナを尻尾でぱたぱたと歓迎するように打っている。
「やったね、ハク。ほんとに助かるよ。これで当分お金に困らなさそう」
ルナは魔石を手のひらで回しながら、マジックバックの小さな内ポケットに大事にしまい込む。濡れた足を軽く拭き、靴を履き直したところで、気づけば太陽が少し高く昇ってきているのを感じた。
「いっぱい薬草も集まったし、魔石も見つけちゃったし、今日は上々の成果だね。そろそろ街に戻ろうか。ハク、歩ける?」
ハクは満面の笑み(?)で「わふ!」と返す。ふたりは城壁を目指してゆっくりと来た道を戻っていく。布袋の中には採りたての薬草、マジックバックには思わぬ大きさの魔石。まだこの森では新しい出会いがたくさんありそうだが、いまのところは十分な手応えを得られた。
ルナは「さて、帰りに屋台で何か買おうかな」とほのかな期待を胸に、ハクの先導に従いながら緑の森を後にする。遠くからは小鳥のさえずりと水のせせらぎが微かに追いかけてくるようで、ルナの足どりにほんのりと弾みがついていた。
フォレスティの城門が見えるころには、すでに街への出入りが盛んになっていた。入場の審査を受けるために行列を作る一般の人々の横で、ルナは冒険者証を提示してスルリと門を通過する。冒険者ランクの証明があればこうして優先的に出入りできるのはありがたい限りだ。
「よし、じゃあギルドで薬草を納品しよう。さっそく報酬がもらえるかもしれないし」
道中で集めた薬草を納めるべく、街の中心部へ足早に向かう。朝よりも活気づいている街中は、さらに行き交う人の数が増えてきた。荷車を押す人、作業服を身につけた労働者、旅姿の冒険者など、多種多様な人々が混じり合っている。
「あんまり人が多いから、ハク、リードをつけさせてね」
「わふ」
ハクに小さな首輪とリードをつけるが、それでもこの雑踏では足に絡まったり、踏まれたりする危険がある。ルナは苦笑いしながら、行き交う人の流れを見極めてハクを両腕に抱き上げた。ハクは「わふ」と軽く鼻を鳴らし、安心したように尻尾をふる。
「よし、これで大丈夫。行こう、ハク」
街のメインストリートを抜け、木造と石造りが混ざった大きな建物――冒険者ギルドが見えてくる。入口の扉を開けると、朝よりもさらに混雑している様子が伝わってきた。カウンターには依頼の相談や報告をする冒険者が列を作り、掲示板の前には数人の冒険者が新たな案件を見比べている。
「すごい人……でも、薬草納品だけだからすぐ終わるよね」
ルナはハクを抱えたまま、慎重に人の群れの合間を縫って受付カウンターへと進む。先ほどの出入り同様、周囲からは「子どもがあんな狼を連れてる……?」と驚きの視線があるものの、冒険者登録の首輪やリードが目立つので、誰もトラブルを起こそうとはしない。
ようやく受付にたどり着き、先ほど受けた「薬草採取の依頼」の書類を取り出す。
「すみません、こちらの薬草を納品したいんです。傷薬の材料だそうで……」
ルナが布袋を広げると、受付の職員が「あら、早かったわね。どれどれ……」と書類を確認しながら薬草の質と数量をチェックし始める。すると、職員は「うん、しっかり量があるわ。状態も悪くない」と頷き、カウンターの奥の計量台で数を数えたり大きさを確かめていく。
「十束単位で銅貨八枚……あら、あなた、しっかり十二束も集めてるのね。なら、銅貨九枚におまけしてあげるわ。状態が良いものが多いからね」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」
思わぬプラスアルファの報酬に、ルナはうれしそうに目を輝かせる。周囲の adventurers も「こんな子どもがひとりで集めたのか?」と半ば感心・半ば不思議そうに囁いているが、ルナは「頑張った甲斐があった……」と内心で安堵していた。
職員が用意した小さな革袋に銅貨を受け取り、魔石の納品についても軽く尋ねてみたが、まだ売るつもりはないので「とりあえず手元にあるだけで大丈夫」と告げるに留めた。もし必要になったら改めて査定してもらえばいい。何しろ、あれは稀少な天然魔石かもしれないから、今焦って売るより後で使い道を考えたほうがよさそうだ。
「ハク、これでまたしばらくやっていけるね」
「わふ!」
お礼を言いつつ受付から離れ、混雑するギルドのロビーを抜け出す。広場に戻るか、あるいは街の別の場所に立ち寄るか――ちょっとした買い物や見物をしてもいいかもしれない。ルナは報酬で得た銅貨が少し財布を重くしているのを感じ、そっと笑みをこぼす。
「さて、どうしようかね、ハク。このままテントに戻ってもいいけど、街中をちょっと覗いてみたい気もする」
「わふ!」
ハクの意見はどちらでもよさそうに見えるが、普段より大きな街だからこそ、もっと散策してみるのも悪くないだろう。ルナは迷いつつも、まずはギルドの扉をくぐり、あふれる活気を背に受けて街の通りへと足を運んだ。
ギルドの用事も終わり、小さな財布の中には薬草採取の報酬が増えた。ルナは、ふと昨日の親子――お父さんに会うためにフォレスティへ来た母子のことを思い出す。彼女たちとは一緒に馬車に揺られて、この街に着いた後は、なんとなく別々に行動していたが、せっかく同じ街に滞在しているのだ。様子を見に行ってみるのも悪くない。
「そういえば、フォレスティに着いたら製材の仕事をしているご主人に会うって言ってたよね。たしか名前は“ダリル”……。製材所に行けばわかるかな?」
ルナはそうハクに問いかけ、地図を広げる。昨日買った簡易版の街案内地図を確認すると、木工職人街が街の東側に広がり、その奥に製材所がいくつか集まっているらしい。比較的規模の大きい製材所が数軒あると記載されている。
「よし、とにかく行ってみよう」
「わふ!」
ハクが小さく吠えて尻尾を振る。ふたりは木造の建物が立ち並ぶ通りを進み、徐々に人影が変わってくるのを感じる。道行く人は、のこぎりや斧を携えたまま歩いていたり、大量の丸太を載せた荷車を押していたりと、いかにも林業や製材業に従事している風だ。
木工職人街に近づくにつれ、空気にはわずかに木の樹皮が焼けるような香りや、木くずが混じるような匂いが漂ってくる。あちこちから“ギコギコ”という切削音や、木を叩く音が聞こえ、慣れていない人には騒々しくも活気にあふれる場所だ。職人の街らしく、腰に木工道具を下げたまま行き交う人々は、どこか逞しく、そして忙しそうに見える。
「ここは……すごいね、ハク。丸太や板がいっぱい……」
「わふ……(きこり!)」
興味津々のハクをなだめながら、ルナは少し道に迷いそうになりながらも製材所を探していく。やがて、地図上でも比較的大きそうな製材所の門が見つかった。入口の看板には粗っぽい文字で「ノーム製材所」と書かれている。ここなら人も多いだろうし、まずは事情を話してみよう。
門のそばには、がっしりした体格の中年男性が丸太をチェックしている最中らしい。ルナが「すみません」と声をかけると、その男性は目を細めて“子ども? 狼?”といった表情を浮かべる。
「なんだい? ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ。見学なら受付を通してくれ。……あんた冒険者か?」
「はい、冒険者です。実は、ここで働いている人を探してるんです。名前は“ダリル”という方なんですが……最近、家族を呼び寄せるために手紙を出したって聞いて……」
ルナが丁寧に説明すると、中年男性は「ダリル……ああ、あの男か」とすぐに分かったようだった。
「あいつは別の製材所に勤めてると聞いたぞ。たしか、この先にある『クゼキ製材』ってところだ。うちには時々応援に来てるが、正規雇用はそっちのはずだな」
「そうなんですか。ありがとうございます!」
「おお、まあ行ってみるといい。そっちはもうちょい奥の方にあるからな。左手の通りをずっと行った先に、看板があるはずだ。若い木工職人が集まってて、ダリルもそこで頑張ってるって噂だよ」
そう言って、男性は手慣れた手つきで書類から一枚破き、簡単な地図を描いてルナに示してくれた。「助かります!」と礼を言って、ルナはさっそくその通りへ急ぐ。ハクが「わふ!」と鼻を鳴らし、忙しそうに丸太を運ぶ人たちを目で追っていた。
ほどなくして、ルナが目指した看板が見えてくる。ここもやはり製材所で、出入り口には丸太や板材が積まれ、数人の作業員が慌ただしく動いている。「クゼキ製材所」の朴訥な看板がかかっており、先ほど聞いた場所に間違いなさそうだ。
「ダリルさん、いるかな……。親子に会わせてあげたいし、とにかく会って話をしてみようか、ハク」
「わふ!」
木の良い香りが漂う現場に近づくと、作業の騒音がだいぶ大きくなる。のこぎりを引く音や、木片を削るカンナの響きがあちこちに飛び交い、声をかけるにもちょっと苦労しそうだ。とりあえず、受付らしきテーブルの前に立っていた若い男性作業員を捕まえて、ルナは大きめの声で呼びかける。
「すみません、ここで働いているダリルさんを探しているんですが……!」
周囲の音がやかましいため、男性は少し驚いた様子で振り返り、ルナとハクを見下ろすようにすると、「ダリルか……今ちょうど休憩に入ったと思うよ。裏の材置き場にいるんじゃないかな。探してきてやろうか?」と声をかけてくれた。
ルナが「もしお願いできれば……!」と胸を弾ませて答えると、男性は「ちょっと待ってて」とテキパキ引き返し、建物の奥へ消えていく。木工職人が行き来する中、しばし待つあいだもハクは落ち着かずにキョロキョロ。ルナは「大人しくしててね」とたしなめながら、母子の姿を思い浮かべる。
(旦那さんはちゃんと働いてて、家も確保してるって言ってたし、きっと無事に合流できるよね。私が心配することじゃないかもしれないけど、せっかくなら顔を合わせておきたいし、何かできることがあるかもしれない)
そんな思いが頭を巡っていると、やがてその男性が戻ってきて、「こっちこっち」と手招きする。廃材の置き場付近で、無精ひげを生やした細身の男が立っていた。その男は男性作業員の言葉を受け、目を丸くしながらルナとハクを見つめる。
「え、俺を探してるって? 俺、ダリルだけど……どうしたんだ?」
そう問うダリルの表情には、まさか自分を探す子どもが来るとは思わなかったという困惑がにじんでいた。ルナはおずおずと一歩踏み出し、ハクを連れてダリルに近づく。
「はじめまして、私はルナといいます。実は昨日一緒に乗り合い馬車でフォレスティに来た方が、ダリルさんの奥さんとお子さんだったんです。お二人とも、あなたからの手紙でこちらに来たと話していて……それで、もしまだ会えてないなら、お手伝いできることがあるかと思って……」
話すうちに、ダリルはハッとしたように息を飲む。瞬間、彼の眼差しに安堵と焦りとが入り混じった色が見える。
「そうか……来たんだ、もう……。本当に来てくれたのか。手紙がちゃんと届いたんだな……! ありがとう……教えてくれて」
ダリルの表情が一気に緩み、目じりに光るものが見えそうになる。どうやら長く離れて暮らしていた家族がちゃんと到着したと知って、感情が込み上げてきたようだ。ルナも自分のことのようにほっと胸を撫で下ろす。
「お母さんとお子さんは宿が見つからなかったみたいで、どうしてるかな……。もし家があるなら早く迎えに来てあげてください。あ、そうだ。どこで会うかも決めてないのかな……」
ダリルは苦笑いしながら、「そのつもりだったけど、俺も余裕がなくて……今日こそ職場を抜けて探すつもりだったんだ。さっき休憩に入ったし、今から早退するか……。すまないが、詳しいことを聞かせてくれないか? 彼女らはどこにいるのか……」と、急ぎの声で頼み込む。ルナはうろ覚えのまま、乗り合い馬車で広場に着いた後の流れや、親子がどうやって街を回ったかを話しつつ、一緒に宿を探していたが見つからず……といった事情をおおざっぱに説明した。
ダリルは必死にメモを取るようにうなずきながら、「よし、だいたいわかった。あいつら、どこかの宿に入れればいいが……ああ、ちゃんと住む家を用意してたはずなんだけどな……まだ大家と話がついてなかったとか……」と煮え切らない表情だ。
それでも家族の居場所を少しでも特定できる手掛かりになれば、とルナは少し足りない情報を補足しようとするが、何しろ自分も全部を把握しているわけではない。ただ、一緒に馬車を降りてから、親子が街の受付などを回った形跡があったことを思い出す。
「とにかく、探してみます! 仕事ほったらかしで悪いが、ここを早退してでも会わなきゃ……。助かったよ、ルナ。教えてくれてありがとう」
ダリルが深々と頭を下げ、隣でハクが「わふ!」と尻尾を振る。事情を聞いていた同僚の職人たちも「行ってきなよ、ダリル」「後は俺たちで何とかなる」と背中を押している。
こうして、ルナは思いがけず親子の再会を手助けするかたちとなった。別れ際、ダリルが「もし妻子を見かけたら、そこにいてくれと伝えてくれ」と頼むので、「わかりました。私もテント広場に泊まってますから、何かあれば声をかけてください」と応じて別れた。
◆◆◆
見上げれば、昼下がりの日差しが製材所の屋根に強く反射している。少し肌寒い風が吹いてはいるが、心には温かい気持ちが宿るようだ。ルナは「さあ、ハク、帰ろうか」と呟くと、「わふ!」と返事する相棒の背をそっと撫でる。
街の木工職人街を後にして、ルナは再び雑踏にのまれながら、テント広場へ向かって足を進めるのだった。
お父さんがあれだけ必死に探していれば、きっとあの親子も無事に会えるはず――そう自分に言い聞かせながら、ルナは足早に製材所近辺をあとにする。ふと気づけば、空には夕方の朱色がにじみはじめていて、街角も少しずつ夕暮れの喧噪に染まり始めていた。
「もうこんな時間か。明日の朝にはガウディ便が出発するって言ってたよね、ハク」
「わふ!」
ハクが小さく鳴いて同意してくれる。旅行や採集用の道具は十分にあり、特に補充するものも思いつかない。となれば、残っている時間をどう活かすか――ルナは少し考え、次の瞬間、思いついたように笑みをこぼした。
「そうだ、マルクスさんたちにお礼のご飯を作りたいね。ずっとお世話になってるし、今回も一緒に街のテント広場を確保したり、いろいろ手伝ってもらってばかりだから」
「わふ!(たべる!)」
ハクは「自分も食べられる!」とでも言いたげで、大きく尻尾を揺らす。ルナはそんな相棒をなだめるように頬を緩ませながら、テント街へ戻る道すがら屋台を巡り、どんな料理を作るか考えることにした。
フォレスティの屋台街は朝よりも一段と活気にあふれている。帰宅を急ぐ労働者や、夜の食事を求めて集まる冒険者で、通りは混雑している。炙った肉や魚、きのこの串焼き、木の実やベリーを使った甘い菓子など、多種多様な屋台が所狭しと並び、香りが鼻をくすぐる。
「うーん……パンケーキはもうやったし、スープも何度か振る舞ってるし……。みんなに喜んでもらえて、しかも大人数でも作りやすいもの……何がいいかな」
目移りしそうな屋台の看板を眺めては、頭を巡らせる。マルクスたち冒険者は酒好きだから、酒に合うものが喜ばれるかもしれない。ジェニーは肉に目がないし、他の仲間もがっつり食べられる料理がいいだろう。ハクには辛すぎるのは避けたいし……と悩み出すと止まらない。
そんなふうに想像をめぐらせつつ、屋台街での夕暮れの匂いを存分に楽しむ。大きめの鍋に煮込み料理を作ってもいいし、炭火で焼くスタイルにしてもいい。インスピレーションが湧くままに、ルナはじっくりと店先をのぞきこんで、「あ、これもいいな」といくつかの食材を買い込んでいく。
街の見習い商人が仕入れているらしい調味料の屋台で、あまり見かけない香辛料を発見しては手に取り、微妙な香りを確かめてみたり。「昨日はかなり肉づくしだったし、キノコ系も楽しんだけど……。よし、もっと野菜をたっぷり使った煮込みにお肉を合わせようかな」とイメージを固めていく。
気がつけば両腕には袋が増えていて、ハクは「わふわふ?」と首を傾げてルナを見上げている。ルナは笑って頷きながら、そっとリュック(マジックバック)の口を開いて購入した食材を収めた。
「いろいろ揃ったし、これで準備万端だね。あとはテントに戻って仕込みを始めようか。みんな帰ってきたら、ビックリしてくれるかな?」
「わふ」
陽はますます傾きはじめ、路地にオレンジの光が強く落ちている。店主たちはまだまだこれからという風に声を張り上げているが、ルナはそろそろ人混みを抜け出してテント広場に戻ることにした。大鍋での料理なら人数が増えても対応しやすい。そんな期待を胸に、ハクと共に雑踏をくぐり抜けていく。
「お父さんと親子も再会できるといいな……。そして明日はガウディ便が出発する……。準備はほぼ終わったし、今夜はみんなでのんびり食事して楽しもう」
そう心の中でつぶやいて、ルナは夕暮れに染まるフォレスティの街をあとにし、テントのある広場へと急ぐのだった。