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第三話 イノセンティスト

 五人は渋谷スクランブル交差点に差し掛かった。


 かつて世界で最も混雑している交差点と呼ばれた雑踏は懐かし映像の中だけのものとなり、今や屋外ビジョンの取り外された寒々しいビルの間を、スーツ姿の男女や目的の知れない中高年が行き交う、何の変哲もない交差点である。


 超高齢化社会なんて言葉は叫ばれ過ぎてもう五十音を覚えるよりも前に覚えてしまったレベルの眞咲まさきから見ても、やはり年ごとに若者の姿は減っているような気がする。少なくとも今交差点で信号待ちをしている制服姿の学生は眞咲達だけのようだ。


 涼音すずね奥平おくだいらは前方でまだ何か言い合いをしている。

「大体何だよ優良遺伝子りょくって。もう産まれちまってるんだから、どうあがいたって遺伝子は捻じ曲げらんねーだろ」


「いや! そんなことはない! さっきも言ったが、DNAは環境によって後天的に変化するんだ! 現に俺達は遺伝子編集手術で、暴力的性質を封じ込めている! それと同じことが、個人の努力でも出来るはずだ!」


 咲綾さあやが無表情で問い返す。

「すごいね。で、具体的に何すんの」


「そうだな、例えば……」

 信号が青になった。しかし奥平は歩き出そうとせず、冷めた視線を交差点の隅に向けて言った。


「ああいう愚かな『イノセンティスト』どもを論破して反省させてやることだ……!」


「オメー最悪……視界に入れないようにしてたっつーのに」

 涼音が心底げんなりした様子で言い、五人の意識は否応なく、交差点の隅で人々に大音量を発している、一つの集団に向かってしまう。


 それはある種の街宣活動だった。一台のワゴン車が路肩に停められ、その車体には『戦う日本人党』という幕が貼られている。車の前にはお立ち台が置かれ、その上で開襟シャツの中年男性が拡声器で耳障りな大声を発していた。


「えー、繰り返しになりますが、VGS手術というもの、これは亡国への道なのであります! 凶悪犯罪を防ぐという名目で、我々日本人から戦う力、国を守る力を失わせ、ひいては日本を外国に売り渡す行為に他ならないのであります!」


 砂沼すなぬま徳成とくなりという名の書かれたたすきを肩から掛けた男性は、一方の手に拡声器を掲げ、もう片方の手にはどういうわけか木刀をぶら下げている。男性の左右には統一感のない服装をした数人の男女が立ち並び、


〈遺伝子編集は全ての生命に対する冒涜である〉

〈戦う遺伝子を失くして国が守れるのか〉

〈遺伝子研は売国行為を即刻中止せよ!〉

 などと書かれたプラカードを掲げていた。


「誤解なさらないよう申し上げますが、私は何も暴力を肯定しているのではございません! ここ数十年で、我が国の殺人事件数がほぼゼロになったこと、それ自体は素晴らしい! しかしそのために生物に元々備わっているDNAを歪めるのは、人の道を外れた行いと言わざるを得ません! それゆえに私は、私達は、遺伝子編集手術を拒絶し、無垢イノセンスな遺伝子のままで生きることを選んだのであります!」


 イノセンティスト――暴力性V遺伝子G抑制S手術を受けずに産まれ、その遺伝子の中に暴行、殺人的行動の可能性を宿したままの人々。砂沼という男は「拒絶した」と言っているが、VGS手術は受精胚の時期に行われるため、それを受けなかった理由は親世代にあるはずである。経済的事情、パートナー関係における何らかの齟齬、思想や信条などその理由は様々あるが、共通して言えることは、彼らイノセンティストは暴力的行動を起こす可能性のある、いや、起こすはずの危険な存在と見られていることだ。


 涼音は奥平が背負うリュックの紐を、指でつまんで制止した。

「やめとけよオメー。イノセンティストとは会わない、話さない、近寄らないってのが常識だろうが」


「いいや、いつまでもああいうのをさばらせておくから世の中の愚か者が減らないんだ。見てろ、次はお決まりの陰謀論を持ち出してくるぞ」


 奥平の発言に、砂沼の街頭演説がかぶさる。

「皆様! 私は今ここで、一つの真実を公表したいと思います! これを明らかにすることで、私は某国の工作員に命を狙われることになるでしょうが、それも覚悟の上であります! いいですか皆様! 皆様が受けられた遺伝子編集手術というのは、これ即ち某国の策略なのであります‼ 我が国を武力で侵略するための下準備だったのであります‼」


 交差点を行き交う人々はそれまでと一切変わらず、殊更に無表情に、演説から距離を取りつつ通り過ぎてゆく。


 奥平が「な?」という表情で眞咲達を振り返った。


「我が党が独自に入手した情報によりますと、国立遺伝子研究センターの正体は某国の出先機関なのであります! 奴らは遺伝子操作によって日本人を戦うことのできない腑抜けに変え、我が国への侵略を容易にさせる作戦を練っているのです! 現に我が国のVGS手術の実施率は、世界各国と比べて格段に多く、警察官、自衛官の数は激減の一途をたどっております! 皆様‼ これを聞いて黙っていられますか‼」

「そうだ‼」

「日本人よ、戦う精神を取り戻せ‼」

「遺伝子編集は神への冒涜です‼」

「日本人のDNAを弄る奴は非国民だ‼」

 と口々に呼応したのはもちろん通行人ではなく、砂沼の左右でプラカードを掲げている党員達だ。


 涼音はため息をついて彼らから視線を外し、奥平のリュックを再度引っ張った。

「もういいって。あのおっさんがバカなのは十分わかったからさ。ほら行こうぜ」


「しかしこのまま放っておいたら危険だぞ。イノセンティストというのはいつ暴力を振るうか分かったもんじゃない。連中が通行人を襲う前に、俺達で解散させてやろう。なあ葉島よ」


 眞咲はそれどころではなかった。あのイノセンティスト達に注意を向けてからというもの、ずっとしずの背中をさすりながら声をかけてやらねばならなかったのだ。

「静、大丈夫……大丈夫だから」

 静は呼吸を荒くし、身を守るように両腕を胸の前に付け、小刻みに震えている。


「委員長……どうした?」

 咲綾が少し屈んで心配そうに声をかける。


 答えることのできない静に代わって、眞咲は奥平に言った。

「奥平君やめよう。わざわざ危ない目に遭いに行くことない」


「何? お前らしくもない。危険人物があんなに放置されているのに、見て見ぬふりをするのか」


「でも、あの人達は別に暴力を振るってるわけじゃないよ」


「今はまだしてないってだけだ。ニュースを見てないのか。暴力性遺伝子を残した人間は必ず何か事件を起こすんだ。ボランティアの一環として、人々を危険から守らないと」


 眞咲は不審に思った。普段の奥平ならイノセンティストを批判こそすれ、積極的に立ち向かおうとはしないはずだ。やはり今日の奥平はどこかおかしい。


 そんなやり取りをしている間に、演説はクライマックスに達したようだった。砂沼は手に持った木刀を空にかざし、

「さあ皆様‼ VGS手術を止めさせるため、我々と共に遺伝子研をぶっ潰そうではありませんか‼ 人間として持つべき倫理観と、国民として持つべき愛国心を取り戻すために‼ 何よりも、誰よりも、未来の子供達の為に‼」

 砂沼の締めの言葉を、支援者達が一斉に唱和し、交差点中に大声を響き渡らせた。

「未来の子供達の為に‼」


 そんな大声も、通行人に対しては歩行のスピードを少し速めるだけの効果しかもたらさなかった。


 奥平は拳を握り締め、

「あいつら……ひょっとしてイノセンティストどころか、『マーダーゲノム』なんじゃないか。だとしたらなおさら放ってはおけない。一人残らず警察に突き出してやる」


「奥平君、だめだって……!」

 眞咲は慌てて奥平の腕を掴んだ。しかし奥平はそれを振り払うと同時に眞咲の眼前に素早く迫り、目を据えて唸るように言った。


「葉島……お前は今さら善行なんてしなくてもいいんだろうさ……。けどな、俺はこんな事でもしないと、優良遺伝子保因者になれないんだ」


「え……」

 今まで見たこともない奥平の剣幕に、眞咲は面食らった。


「なぁお前らよぉ」


 突然甲高い声が響き、奥平はびくりと振り返った。その肩越しに、眞咲は声の主を見る。


いつからそこに居たのか、短く刈りこんだ銀髪に胸の大きく開いたシャツ、そこにネックレスを何重にも垂らした三十代前半ほどの男が、どろんとした目を五人に順々に向けていた。プラカードを肩に担いでいるところを見ると砂沼の支援者の一人らしいが、まっとうな政治活動をしている風にはとても見えない。


「さっきからよぉ、俺らのことごちゃごちゃ言ってんの聞こえてんだよなぁ。言いてぇことあんならこっち来て話そうぜよぉ。俺ら全員で聞いてやるからよぉなぁ」


「あ、いえ……ええと」

 奥平は男の袖から覗く筋肉とそこに彫られたタトゥーを目前にしてみるみるうちに委縮し、項垂れて何も喋らなくなってしまった。


 涼音と咲綾は互いに目配せし合い、静は顔面を一層蒼白にした。


 周囲の通行人達は何人かが心配そうな視線を向けるものの、足を止める者はない。


 眞咲は意を決し、静から離れて奥平の前に進み出た。男の顔を見上げ、誰に対してもそうするように、表情を和らげて微笑を作る。

「すみません。今日学校であったことを喋ってただけなんですが、声が大きすぎたみたいで。お気に障ってしまったのなら謝ります」


「あぁ? んだてめぇ、へらへらしやがってよぉ。知ってんだよ。分かってんだよこっちはよぉ。てめぇら、俺らのこと見下して笑ってたんだろがよぉ。なぁ、暴力的だとか殺人者予備軍だとかなぁ、決めつけて俺のこと笑ってたんだろてめぇよぉ! 遺伝子弄ってる奴がそんなにえれぇのかよぉ、なぁ!」


 男は言葉と共にヒートアップし、眞咲の右肩を強く押した。


 よろける眞咲。背後で静が小さな悲鳴を発したのが聞こえた。眞咲はよろけながらも笑顔を崩さず、

「いいえ、全然そんなことはありません。お気に障ってしまったのなら、何度でも謝ります。申し訳ありませんでした」


 男は不揃いの歯を剥き出しにし、肩に背負っていたプラカードを振りかざした。


「そういうのがよぉ! ムカつくんだよなぁ! お前ら畜生と違ってわたくし様は聖人君子ですってなぁ‼」


 しかしプラカードは振りかぶられた所で止まった。何者かが後ろから掴んで止めたらしい。


木曽ヶ谷きそがや君。まぁ落ち着きなさいよ」


 そう言いつつ姿を現したのは、さっきまでお立ち台で演説していた砂沼徳成だ。拡声器は置いてきたようだが、木刀はまだ右手に持っている。


「せっかく若者が政治参加しようとしてくれているんだからね。この貴重な機会に、是非社会のことを学んでいってもらおうよ、ね」


「いえ、僕達は……」

 一刻も早く帰ります。と眞咲が言うのも待たず、党員や支援者達が周りを取り囲むようにぞろぞろと歩いてきた。


 砂沼は眞咲の正面に立った。

「君は高校生だね。何年生かな」


「……一年、です」


「じゃあもう十五、六になるのか。それぐらいなら今の世界情勢は大体分かるよね。ねぇ君、もしも今この日本に外国の軍隊が攻め寄せてきて、君の家族や友達や、君自身に銃を向けてきたらどうする? 『僕は遺伝子を操作されていて、絶対に暴力を振るえないんです』と言えば、敵が許してくれると思うか? 君の両親が目の前で殺されたら? それでも遺伝子に従ってただ殺されるのを待つか? それか、君らがよく使うあの……『穏当抵抗』とやらをやってみるか? 論破だか説破だか、口喧嘩で軍隊をやっつけるか? どうする? ん?」


「…………」

 この手の質問はどう答えようと、相手の結論が変わることは絶対にない。眞咲はただ微笑みだけを返し続けた。


「ああ、ピンとこないってわけだ。日本で戦争なんて起こるわけがない。何があっても自分の身の回りだけは安全なんだと思ってるんだろう。毎日友達と遊び歩いて携帯いじってゲームして、ぬくぬくと生きていれば世界は平和だと思ってるんだろう。君らはそう思うように教育されてるんだから仕方ないがね。でも国を脅かす敵はいつもすぐそこに存在しているし、敵は往々にしてそういう緩みきった所を突いてくるんだよ。……そう、こんな風に」


 身構える暇すらなかった。身体の中心部からとてつもない衝撃が全身を駆け巡り、眞咲は道路に膝をついた。その後に、それが砂沼の木刀による、鳩尾への強烈な突きのせいだと分かった。


 静がはっきりとした悲鳴を上げた。渋谷スクランブル交差点が嘘のように静まり返った。


「当てが外れたねぇ。へらへら笑ってるだけじゃ自分の身すら守れないんだよ。ほい、もういっちょ、ほい」


 今度は側頭部への横撃ち。眞咲はたまらず仰向けに転がる。拡がった視界に、砂沼の取り巻きが達がニヤつきながら眞咲を見下ろしている様子が映る。彼らの表情からは、共通した一つの優越感が読み取れた。


 お前にはできないことが、自分達にはできるんだよ――


 その傍らでは奥平が困惑の表情で腕を伸ばしたり引っ込めたりという動作を繰り返している。止めようとしているのか助けを求めているのか。静は怯え切った表情で身を竦ませている。涼音と咲綾の姿は見えない。


「痛いだろ? それが痛みってものだよ。私達はそういう痛みと隣り合わせで生きてるんだよ。君ら若いもんがどうしようもないせいでなあ? 若いもんが口ばっかり達者になって、国を守ろうという気概が毛ほどもないから、私達が戦うしかないんだよ。分かるかなあ?」


 自らが脳内で作り上げた『若者』という実体のない観念的存在に対する怒りを眞咲にぶちまけている砂沼は、眞咲の頬を木刀の峰でぺちぺちと叩いた。


 眞咲は何とか身をよじってうつ伏せになり、両手を地面について身体を持ち上げた。しかし上半身に力が入らず、四つん這いの状態から身を起こすことができない。


 地面を見つめているうちに、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。なぜあなたは、僕にこんなことをするのか。意見を主張したいなら言葉だけで十分じゃないか。それともあなたの中で野放しになっている、その暴力性遺伝子がそうさせているのか――


 からん、と乾いた音がして、眞咲は顔を上げた。目の前の地面に木刀が転がっている。


「どうだ、悔しかったら武器をもって立ち上がってみろ。出来ないなら無条件降伏だ。遺伝子をいじったことを悔いて、『目が覚めました。教えてくださってありがとうございます』と言え。さっきの二発は授業料だ。安いもんだろう」


砂沼、そして取り巻きのせせら笑う声。


両手を握り締める。地面の小石が手に食い込む。視界が狭くなっていく。目を見開き、目の前の武器を凝視する。木刀の柄に何か書かれていることに気が付く。消えかかった墨書ぼくしょだが、『尽忠報国じんちゅうほうこく』と書いてあるようだ。


 その時、眞咲は形容しがたい不思議な感覚を覚えた。身体の奥底の、さらに深い深い部分から、熱を持った赤黒い何かが噴出したような感覚。その何かは瞬く間に眞咲の身体の隅々まで行き渡り、やがて意識を支配していく……


 周囲の音が消え、鼓動が早まる。全身の血流が感覚として直に感じられる。

眞咲の腕は木刀の柄へと伸びた。それがどういう意味を持つか、考える間もなく。


 ――笑って、眞咲。


 突如脳内に響いた優しい声。腕の動きがぴたりと止まる。


 ――笑うの。辛い時こそ、苦しい時こそ、あなたは笑うのよ。


 今まで何度も反芻してきた言葉。幼い頃に死に別れた、母の言葉だ。

その温かみを感じるうちに、赤黒い何かは波のように引き、深い深い奥底へと沈んで行った。


 眞咲はゆっくりと立ち上がった。その手には何も持たず。


 砂沼が身構える。眞咲は制服に付いた砂を軽く手で払い、砂沼を正面から見据え、そして微笑んだ。


「はぁ……?」

 砂沼は開いた口から息を漏らした。呆れと気味の悪さが混ざったような表情だ。


「ほらあそこっすよ‼ 早く行って‼」


 遠方から涼音の声と、怒涛のような足音が聞こえてきた。眞咲が振り向くと、涼音と咲綾を先頭に、透明なシールドを持った五人の警察官が駆け寄ってくる。どうやら二人は駅前の派出所から警官を連れてきてくれたようだ。


「う、動くな‼ 所持している武器を全て地面に置き、両手を頭の上に置いて腹這いになれ‼」

 警官の一人が若干上ずった声で叫んだ。同時に警官隊は左右に展開し、シールドを構えつつイノセンティスト達にじりじりと近寄る。銃はもちろん、警棒の類も所持しているようには見えない。彼らもまた、VGS手術を受けた非暴力的人間なのだ。


 砂沼は取り乱した様子を一切見せず、

「ああ、ご苦労様です。そんなに構えなくたって誰も武器なんか持ってませんし、誰も襲ってなんかいませんよ。ほら、この子だって笑ってるでしょう」


 警官達は不審げな顔で砂沼と眞咲を交互に見る。


「それとも我々がイノセンティストであるというだけで逮捕するおつもりで? ならどうぞ。一切抵抗はしませんから」

 砂沼はおどけた風に両手をそろえて差し出した。他の支援者達も、にやにやと笑いながら同じ動きをした。


 警官は戸惑いながらも、

「い、いや! 男が暴れているという通報が多数入っているんだ! 全員署まで来てもらう! 容疑が明らかになれば拘留だ!」


 眞咲はそんな二者の間からそっと抜け出し、まだ硬直している静の方へ歩み寄った。しかし直後、周りにいた群衆に取り囲まれてしまった。

「お兄さん大丈夫⁉ 災難だったわねぇ……!」

「勇敢だったぞ兄ちゃん。病院行くかい? 送ってやろうか」

「あいつらほんっと最悪だよな! イノセンティストなんて全員滅んじまえばいいのに!」

 誰もが皆、眞咲の身を気遣い、優しい言葉をかけてくれる。眞咲は苦笑いを浮かべつつ静と共にその輪を脱出し、友人達のもとに戻った。


 奥平がばつの悪そうな顔で眞咲を迎える。

「あー、その、葉島……大丈夫か」


「僕は大丈夫。それより静が……」

 静は少し落ち着いてきたようだが、まだイノセンティスト達の方をちらちらと気にしている。砂沼達は相変わらず余裕のある表情で、警官が応援を呼んでいる様子を眺めていた。


「とにかくこの場を離れよう。色々面倒なことになりそうだし……」

 眞咲の提案で五人は群衆をかき分けて歩き出した。



 交差点を離れ、駅の西口まで歩いてきてから、眞咲はようやく息をついた。


「で? どしたんよ委員長は」

 咲綾が階段の手すりにもたれながら眞咲に向けて訊ねる。眞咲は静の様子を見つつ、

「……ちょっと言えなくて」


「ううん、大丈夫。話せる」

 と、静は顔を上げて一度深呼吸し、声を抑えて話し始めた。


「私、中学の頃……イノセンティストに襲われたの。……多分、身体、目当てで」


「え……」

 奥平が愕然とした。


「最悪……」

 涼音が顔を歪めて吐き捨てた。


咲綾は俯き、前髪の向こうの目に暗い翳を落とした。


「塾の帰りの、遅い時間に……相手は複数人で……助けを呼ぶこともできなくて……でも、その時に……」


「なるほど。葉島君が助けてくれたってわけ」

 突然咲綾が口を挟み、静は目を丸くした。


「え、なんで……⁉」


「見てりゃ分かるって。そうでしょ? 葉島君」


 眞咲は弱々しく微笑みつつ、

「まあ、なんとかね」


 奥平が勢い込んで、

「どうやったんだ⁉ 相手は複数人だったんだろ⁉」


「さっきと大体一緒だよ。僕を殴るだけ殴ったらそのうち白けてどこかへ行ってくれた。その時静が動画を撮ってたおかげで、後で全員逮捕」


 涼音が頭を何度も揺らして感心する。

「なぁるほどねぇ~。やっぱあんたすごいよ。優良も優良。超絶優良遺伝子だよ。委員長、絶対こいつ逃がしちゃダメだよ。もうあんたら二人、結婚しないと神様が怒るレベルだよこれ」


 眞咲は苦笑し、静は赤くなってそっぽを向いた。


 そこへ奥平が声を張り上げる。

「そ、それにしてもだ! さっきの連中の暴挙は許しがたい! あの砂沼とかいう男はきっとマーダーゲノムだ! でなきゃあんな残虐なことができるはずがない!」


 涼音が横目で睨む。

「うるせーな。オメーマジでそろそろ黙っとけよ。口ばっかで何もしてねーくせに。もう全員捕まったんだしどーでもいーだろ」


 静が気を取り直すように咳払いし、

「でも確かに、どうしてあんなことしたんだろ……道の真ん中で暴力なんて振るったら、即逮捕されるに決まってるのに……別にそれでもいいみたいに……」


 西日が眞咲の目を照らしている。目を細めつつ腕時計を見ると、時間は六時を過ぎていた。


「もうそろそろ帰ろう。明日は大事な検査なんだし」


「おお、そうだ! 明日は万全な調子で臨まないとな! そう、きっと俺も……! 俺もきっと優良に……!」


 奥平が駅へ駈け込み、涼音と咲綾が喋りながら続いて行く。


 眞咲も後を追おうとすると、静に呼び止められた。

「眞咲……身体、大丈夫?」


「ああ、もう全然平気だよ」


 静の瑞々しく大きな瞳の中で、眞咲の顔が揺らいでいる。

「ねぇ、眞咲はすごく勇敢だったし、私もすごく感謝してるけど、危ないことはしないで。あんな人達と関わって、いいことなんて一つもない。眞咲はあの人達と違って、賢くて、優しくて……それに、正しい人なんだからね」


「…………。うん、分かったよ」


 眞咲は安心させるように微笑んだ。静もまた笑顔を返し、二人は連れ立って駅へ入った。


 身体の深い深い奥底に眠る赤黒い何かなど、眞咲は感じたことも忘れていた。

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