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第四話 白衣の女性

 国立遺伝子研究センター。


 雑木林の中にどっしりと横たわる平たい建造物は、遺伝子分野において世界に隔絶した大発見をした研究所にしては地味で、どこか陰鬱ですらある。


 眞咲まさきは三階建て程度しかない外観から目を離し、首を下げた。すると否応なく、エントランス付近で抗議活動を行っている団体が目に入る。彼らは警備員によるバリケードの隙間を縫って、手書きの抗議文をフェンスに押し当てている。センターをぐるりと取り囲む鋼鉄製の頑丈なフェンスは、彼らを寄せ付けないために作られたものなのだろうか。


〈遺伝子差別を生み出すな〉

〈犯罪抑止、手術ではなく教育で〉

〈母なる自然を凌辱するな〉

〈子供達の未来を守れ〉


 彼らは昨日の砂沼すなぬま達のように声を張り上げたりはしない。ただ身元がバレないようにするためなのか、マスクやサングラスで顔を隠している人が多く、それが却って不気味だった。


「まったく、予想はしてたがやっぱりいるのか。いっそ連中もセンターにぶち込んで、無理矢理VGS手術を受けさせればいいんだ」

 バスから降りてきた奥平おくだいらが、眞咲の隣に並びながら言った。


 弘道高校一年生、全三クラス、総勢三十一人の生徒は続々と送迎バスから降り、遺伝子研を見上げて雑談に花を咲かせる。


 最後にバスのステップを苦労しつつ降りてきた学年主任の木戸井きどい教諭が、息をついて眞咲としずに声をかけた。

「じゃあお二人さん、後よろしくね。入ったらすぐ案内係の人が待ってるはずだから」


「先生の引率は無いんですか?」

 静が驚いて問うと、いつでも温和な姿勢を崩したことのない木戸井は頷き、

「ああ、いつもならするんだけどね、なんでも今回は、検査の前にちょっとした講義みたいなことをするんだって。その案内係の人が全部やってくれるらしいから、指示に従うんだよ」

 木戸井はそう言うと突き出た腹を揺らしながら、またバスへと戻っていった。


 静は眞咲に怪訝な顔を向ける。

「検査の前に講義? そんなのあるって聞いたことなかったけど」


「方針が変わったのかもね。でもまあ……」

 眞咲はがやがやと騒がしい生徒達を振り返る。


「なあ、検査の直前にアレしたら社会適応性下げられるってほんとかな……俺それ忘れてて昨日の夜シちゃったんだけど……」

「知らんわ。生殖能力は評価されるんじゃねぇの」

「ねぇ、葉島君が私のこと見てんだけど! 私に子供産んでほしいってこと⁉」

「いや段階飛ばしすぎ……てかあんた三年の先輩と付き合ってんじゃないの?」

「えー、あんなん顔がいいから遊んでるだけだって。ちゃんと付き合うなら優良じゃなきゃ意味ないでしょ」

「あ、あ、あのさ……ある統計によると、内向的な男性と社交的な女性は、優秀な遺伝子を持つ子を得る傾向が高いらしいんだ……だ、だから、よかったら、僕と……」

「失せろ」


 そんな生徒達から視線を外し、眞咲は静に向けて苦笑した。

「検査の前にちゃんと教えとく必要があるって思われるのも無理はないと思うよ」


 静は額に手を当ててため息をつく。

「うん、確かにね……」


 そして生徒に向かって声を張り上げ、

「はーい、それじゃみんな静かに。今からセンターに入るので一組から順に並んで。恥ずかしいと思われる行動はしないでね」


 イノセンティスト達の刺すような視線を受けながら、高校生達は国立遺伝子研究センターの門をくぐった。


 受付は吹き抜けになっていてもなお天井が低く、照明は控えめだった。静かで、厳かで、重苦しい。出入り口付近や各所通路口に点在する警備員の姿がそう思わせるのかもしれない。その人数は、建物の外でイノセンティストの抗議を防いでいるよりも多いように見えた。


 生徒達を率いて自動ドアをくぐった眞咲は、受付カウンターの前に直立する案内係らしき女性を目に捉えた。


 一言で言うと可愛い女性。小柄で童顔だが、匂い立つような大人の雰囲気も発している。固い無表情からは感情が読み取れず、羽織っている白衣にも下から覗くスーツにも、名札の類は見えない。


 生徒達が女性を見て、可愛いだの検査してほしいだのとひそひそと言い合う。


 眞咲は背後の声を遮るように大きめの声で、

「こんにちは。弘道高校一年生全クラス、欠席者はいません。本日はよろしくお願いします」

 と言って頭を下げた。


「…………」


 何の返答もない。頭を上げつつ上目でちらりと見ると、女性は微動だにせず眞咲の顔を見つめている。


 そのまま数秒が経過。女性は眞咲の顔を見つめたまま、口を開く気配もない。


 隣の静が眉をひそめる。生徒達が顔を見合わせる。


 眞咲がもう一度口を開こうとした時、女性は突如として息を吸い込み始めた。


 小柄な身体が目に見えて膨らむほどに大きく息を吸い込み、そして、


「――……っぷしぇえええああああああああああああああああぁぁぁぁぃ‼」


「⁉」


 三十一人が一様に驚愕した。その――盛大なくしゃみに。


 女性は指を鼻に当ててすすり上げつつ、やっと言葉を発した。

「失礼……花粉症でして」


「……十月なんですけど……」

 静の呟くような突っ込みには答えず、女性は何度も鼻をすすり上げる。頬は赤く染まり、目に涙まで浮かべている。原因が何であるにせよ、相当きつそうだ。


 眞咲はポケットティッシュを取り出し、女性に差し出した。

「あの……よければ」


「…………どうも」

 女性はティッシュを受け取ると眞咲から顔を背け、これまた盛大に鼻をかんだ。


 背後の生徒達がひそひそ話す。変な人だの、いやむしろ可愛いだのと。


 女性はこちらに向き直った。目は潤んだままだが、元通りの無表情で、

「ごほん……国立遺伝子研究センターへようこそ。皆さんは本日、遺伝子登録のための検査を受けに来られたわけですが、その前に少しお時間を頂き、私から遺伝子情報登録制度、並びにVGS手術について講義をさせていただきます。では、こちらへどうぞ」


 きびきびとした口調と態度で促され、生徒達はざわつきながら女性についていった。


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