「ちっ……奴ら、早いな」
眞咲がその背後から見ると、廊下の先、入り口方面にいる数人の男達がこちらに気付いたところだった。ナイフ、ゴルフクラブ、伸縮式の警棒など、持っている物も様々なら、アジア系、ラテン系、中東系など人種も様々だ。
先頭にいる日本人らしき男がこっちを見てほくそ笑んだ。
「覚悟はできてんだろうな……腰抜けのくせに散々馬鹿にしやがって……。馬鹿はお前らだよ。自衛する力を自分から捨ててるんだからな………」
眞咲は動揺した。模擬刀は受診室に置いてきている。二度とあんなものを握りたくはない。
「逃げましょう……!」
眞咲は言ったが、女性の背中は微動だにしない。
「行くぞ‼ 未来の子供達のために、だ‼」
男の掛け声で、イノセンティスト達が咆哮と共に襲い来る。
静が悲鳴を上げる。女性はまだ動こうともしない。
「今さら気付いても遅いんだよ‼ お前らを守ってくれる奴なんて、誰一人残ってな――‼」
男の言葉はそこで途切れた。言葉だけではなく身体の動きも、後ろから何かに引っ張られたかのようにぴたりと止まった。
「あ……?」
開いた口から声が漏れ、目玉がぐるりと裏返る。
次の瞬間、後頭部から迸る、固形物を含んだ大量の血液。
静の声にならない悲鳴。男は支えを失った書割のように前のめりに倒れる。後頭部に開いた穴から、赤い噴血を放出して。
そしてその背中に虫か何かのようにへばりついていた、一人の人間の姿が露わになった。
それは少年だった。見た目の歳は十代前半。メッシュの入った金髪の下に歪な笑みを浮かべ、見たこともない奇妙な服装をしている。深緑色の軍服のような上衣とズボン、頭には制帽。それは今や大量の血に汚れている。
「へへっ……」
少年は笑った。幼さの残る顔の半分が血に染まり、頬に何らかの体組織がこびりついている。
イノセンティスト達がたじろぎ、さっと左右に別れる。
少年は男の死体を踏みつけて立ち上がる。そして血に塗れたコンバットナイフを片手で弄びながら、容姿に似合わない掠れ声で何やら喚いた。
「おい〈絞殺〉! 〈撲殺〉! さっさとやらねぇと俺が全部食っちまうぞ!」
直後、耳の奥底をえぐられるような不快な打撃音と共に、イノセンティストの身体が真横に吹っ飛び、壁に激突して真っ赤な花を描く。何者かの圧倒的な力で側頭をかち割られたのだ。
「…………」
無言でそこに立っていたのは少年と同じような服装の、巨漢の青年。しかし髪には白髪が混じり、乾いた肌に虚ろな目をしている。そして手には血の滴る巨大なハンマー。
さらに、
「こっち見てよ」
囁くような高い声。と同時に、一人のイノセンティストの首にロープのようなものが巻き付く。ロープは不思議にも自動でギリギリと収縮し、哀れな犠牲者を強制的に振り向かせる。そして何かが折れるような音がしたかと思うと、また自動で緩んで死体を放した。
「死に顔サンキュ」
二十歳前後の若い女だった。黒髪のサイドテールに制帽を斜めにかぶり、血色の悪い顔と隈のある目元を濃いメイクで覆っている。得物は、持ち手に操作ボタンの付いた鞭だ。
「う、うわあああああああああ――――‼」
生き残りのイノセンティストがパニックを起こし、散り散りになって逃れようとする。しかしそこへ、少年が獣のように跳びかかる。
「逃がすかよ‼」
少年に胸を刺され、女に首を絞められ、青年に頭を殴打され、武装したイノセンティスト達はあっという間に全滅した。
「うぅ……っ」
静が耐え切れなくなったのか、床に座り込んでしまった。眞咲もできればそうしたかったが、魅入られたようにその光景から目が離せなかった。
殺戮を終えた三人は、事も無げにスタスタとこちらへ歩いてきた。
血塗れの少年が口を開く。
「課長、〈銃殺〉の人らは何してんすか」
「ここは公共施設だ。そう簡単に発砲許可は下りない。あの程度の脅威ではな」
「あっそ。この期に及んでも慎重っすね。で……」
少年は身体を傾けて眞咲に目をやり、上から下までじろじろと眺めた。
「……そいつが例の〈斬殺〉っすか」
「ざ……」
一体その呼び方は何なんだ。そんなものが――人間の呼び方であるはずがない。
「ふーん、イケメンじゃん。超厳選個体なだけあるね」
鞭を持った女が眞咲に近づいて言った。強い香水の匂いが鼻を突く。
「ね、ウチはお祖母ちゃんのなんだぁ。ね、そっちは二百年も前のなんだよね。すごいね」
「待て、こいつはまだ何も知らない。まず説明からだ」
女性はそう言って眞咲に向き直った。
「改めて……私は
そう言われても何一つピンとこないが、ひとまず女性の名前だけはやっと判明した。
荊由布里は深緑色の制服を着た三人を手で示し、
「そしてこいつらは、遺伝子局安全対策課緊急対応班――通称、
「よっすー」
挨拶らしきものを返したのは鞭の女だけだった。
眞咲は混乱した頭で何とか質問を返す。
「えっと、政府公認なんですか……? そんなの、聞いたことも……」
「まだ準備組織という扱いだ。……この十六年間ずっとな。正式な公的機関ではないから、公表する必要はない、ということだ」
「そんな無茶苦茶な……」
金髪の少年が口を挟む。
「んなこと気にしてる暇あんのか新人? お前ももう同じ穴の貉だぞ」
驚愕の、しかしどこかで予想していた事態を告げられ、眞咲は取り乱した。
「違う! 僕は……!」
救いを求めるように後ろを振り返る。しかしそこには静の絶望に打ち震えた顔があるのみだ。
鞭の女がまつ毛をいじりながら、
「まあ最初はそうなるのも分かるけどね。早いとこ受け入れた方が楽になるよ。それにほら、バランスいいじゃんね。刺殺ゲノムに絞殺ゲノムに撲殺ゲノムに銃殺ゲノム、そんで……」
「違う……‼ 違う‼」
「残念だが……」
荊由布里が口を開く。同情心など欠片も感じられない、氷のような表情で。
「遺伝子は嘘をつかない。そしてその真実からは、誰も逃れられない。お前は今日から等活部隊の一員となる。なぜならお前は……」
その言葉は、凶器となって眞咲の心臓を貫いた。
「お前は――人斬りゲノムだ」