目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第十三話 分倍橋の血闘

 抜けるような秋の蒼天の下、荒れた畑と寂れたアパートの間にぽつんと立つ分倍橋ぶばいばし警察署。犯罪数の低下に伴い、容疑者を忌避する都民の声に押され、都心から郊外へと追いやられていった警察署の一つだ。


 しかし今やそこは男女の叫び声、ガラスの割れる音、そして銃声までもが聞こえる修羅場と化している。


 そんな警察署の正面入り口から数人の男達が外に出てくる。その手には警棒や拳銃、果ては日本刀まで、各々武器が握られていた。


 先頭に立つのは数日前に渋谷スクランブル交差点で暴力騒ぎを起こした『戦う日本人党』党首、砂沼すなぬま徳成とくなりだ。


 その隣を歩く短い銀髪にタトゥーの男、木曽ヶ谷きそがやは、拳銃を指でくるくる回しながら言った。


「いつかこういう日が来るこたぁ分かってたんだよなぁ、俺は……。人間の歴史は殺し合いだってなぁ。常識だよなぁ。聖人面したヘタレの馬鹿どもがよぉ、後悔しながら死んでけってんだよなぁ……」


「こらこら木曾ヶ谷君、これはあくまで手段に過ぎないんだよ」

 砂沼は抜き身の日本刀をうっとりと眺め、

「いいかね、これは啓蒙なのだ。平和に甘え、平和に馴れきった愚昧な民衆に喝を入れ、戦いの記憶を思い起こさせるためのね。そして彼らは気付くだろう。次の世代の子供達に必要なのは、国を守るための武器と訓練なのだと」


 そして砂沼は日本刀を掲げ、刃先を道路の向かいにあるアパートに向けた。


「では行くぞ‼ 未来の子供達の為に‼」


 しかしその掛け声に応える者はなかった。不審に思った砂沼が横を向くと、


「がっ……! っ……!」


 木曽ヶ谷は紫色の顔で、口から泡を吹いてもがいていた。その首には鋼鉄製の自動収縮ワイヤー。それは持ち手に付いたボタンの操作によってギリギリと木曽ヶ谷の命を圧縮している。


「アタシを見て?」


 鞭の持ち手を握る〈絞殺ゲノム〉菅野かんの蔡羅さいらは、木曽ヶ谷の裏返った目を、好奇心の強い猫のような顔で覗き込む。


 木曽ヶ谷は両腕をだらりと下げ、死んだ。


 小さな爆発のような音が続けて三度。砂沼は蒼白になって振り返る。頭が奇妙な形にへこんだイノセンティストの死体が三つ。そしてその中心で幽鬼のように佇む、ハンマーを持った〈撲殺ゲノム〉小峰こみね久秀ひさひで


 そして、

「分かるぜ。殺し合いしてる方がよっぽど上等だよな? え? 愚昧じゃねぇおっさんよ」


 砂沼の両肩にずっしりと何かが圧し掛かる。と同時に、右の肩に冷たい奇妙な感触。それは瞬く間に内部へ侵入し、そこにある何らかを千切ってゆく。プチプチ、と。


「――――っぎぃぃぃいいいいいいっ‼ あっ‼ あぎゃあっ‼ アアアあああああああ‼」


 およそ人間が発しているとは思えない悲鳴を上げ、踊るようによろけ回る砂沼。


「へへっ……やっぱ大口叩く奴ほど無様に死んでくれんだよなぁ……」


 噛み締めるように言う〈刺殺ゲノム〉。両腕を振り上げて暴れまわる砂沼の上で器用にバランスを取りながら、左肩、背中、脇腹を刺しまくる。


 そして最後に延髄を刺され、砂沼徳成は四十九年の生涯を終えた。


 惨殺が繰り広げられた現場に、サブマシンガンを構えた〈銃殺ゲノム〉間宮まみや圭史けいしと、その他同じ銃を持った六人の隊員が駆け付ける。


「正面入り口は確保。しかし署内では主犯格の武装集団が未だ籠っていると思われます」


 間宮が無線で報告を入れた。〈刺殺〉が警察署を見上げて喜色を浮かべる。


「やったぜ、こんなでけぇ狩り場初めてだ……。そんで、」

 と、〈刺殺〉は背後を鋭く睨み、

「そこの役立たずは俺に何か言いてぇことでもあんのかよ。あんなら言ってみろよ」


「え……」


 眞咲まさきは動揺した。父から手渡された機械の刀だけは一応鞘から抜いていたものの戦闘には加わらず、間宮の側で〈刺殺〉の様子に目を見張っていたのだ。


 蔡羅がフォローに入る。

「そんな噛みつかなくていいじゃん、誰でも最初はあんたにビビっちゃうって」


「いーや、そいつが言いてぇこたぁ分かってんだよ」


〈刺殺〉は眞咲に近づき、血塗れの顔で下から睨んだ。


「楽しんで殺すのは極悪人で、嫌々殺すのは『ちょっとマシな悪人』だってんだろ? ウジウジ悩んでるてめぇは漫画の主人公で、俺は頭のイカレた三下なんだよな?」


 何と返したらいいか分からず黙っていると、

「……ちっ、おもちゃみてぇな刀持たされやがって」


〈刺殺〉はさっさと踵を返して警察署の方に向かった。


「じゃあもう突入していいんだよな! 〈銃殺〉さんよ!」


「ああ、俺と二人が一緒に突入する。あとの二人はここで正面を固めろ。残りの二人は裏口だ」


 間宮は〈銃殺ゲノム〉の隊員に向けて指示を出し、二人が駐車場を回って裏口へ、二人が〈刺殺〉と蔡羅、小峰の後方に付いた。


「葉島、二人と一緒にここにいろ。今日は生き残ることだけ考えてりゃいい」


 間宮はそう言い残して〈刺殺〉達に合流し、六人の突入部隊は警察署内部へ行ってしまった。


 残ったのは眞咲と二人の〈銃殺ゲノム〉、そして死体。


 眞咲は後方の道路を顧みた。そこには等活とうかつ部隊を乗せて来たトラックが停まっている。見た目はただの大型輸送トラックだが、コンテナの中はちょっとした司令室になっており、今は廣澤ひろさわという医務官と佐久間さくま幸太郎こうたろう、そしていばら由布里ゆうりが詰めている。


 突然、耳のイヤホンからその荊の声が聞こえた。


『葉島、何をしている』


 突入せずに残ったことを咎められるのだろう。眞咲が黙っていると、荊は全く別のことを訊いてきた。


『なぜ抜刀しない』


「え? 抜刀って……」

 眞咲は右手に握っている白い刀を見た。

「一応、もう抜いてますけど……」


『……葉島拓哉から聞かなかったのか』


「な、何をですか……?」


 荊は無線の向こうでしばらく沈黙した後、舌打ちした。


『ごますり男が……この期に及んで尻込みか』


 何のことか分からずにいると、荊は突然何か意味不明のことを喋りはじめた。


『音声認証。コマンド、F―20103―00セーフティロック解除。コマンダー、荊由布里。ID、10000S16。パスワード――『葉桜と よびかへられし 桜かな』』


 瞬間、右手が燃えるように熱くなる。そして、目も眩む峻烈な紫色の光。


「なっ……!」


 それは右手の刀から発せられていた。刀身の両側に空いた無数の孔から、紫色の炎が噴出し、夢幻のような紫焔しえんの刃を出現させたのだ。


 二人の隊員が驚愕して後ずさる。幻惑の心地にある眞咲の耳に、地獄から響いてくるかのような荊の声。


『F―20103型プラズマブレードだ。鍛造されたチタン合金の刀身を2000℃で燃焼するプラズマで覆っている。適切な技量を持つ者が振るえば、この世に存在する全ての物質は――斬れる』


 斬れる――――


 ドクン、と体内の何かが波打つ。枷を解かれたかのような歓喜と共に。


 その時、警察署内部から断続的な銃声。そして無線の向こうから、間宮の叫び声。


 耳をつんざくような騒音に導かれるかのように、眞咲は歩きだす。唖然とする二人の隊員を残し、紫色の炎を携えて。


 斬れる――――


 眞咲は赤黒い衝動に己を明け渡し、ついにそれは眞咲の全てを支配した。


 自動ドアをくぐり、受付広間へ。左側の階段からたった今降りてきたのは、戦闘服にヘルメット、サブマシンガンで武装した九人の男。


 彼らは眞咲を目にして動きを止める。間宮がまだ無線で何か叫んでいる。しかし眞咲の耳はそれを騒音としか認識しない。


 そんな騒音の中で、唯一届いた女性の声。


『斬れ、眞咲――斬れ!』



〽意識の外で身体は動き、瞬時に構えた平正眼ひらせいがん


 敵は一瞬戸惑うも、慣れた動きで射撃姿勢。


 眞咲は側に置かれた椅子を、素早く前へ蹴り飛ばす。


 椅子は迷わず敵へ飛び、射撃の構えを無理矢理崩す。


 慌てて狙いを定め直すも、眞咲の姿はもはやない。


 戸惑う敵が最後に目にした、沸き立つような紫電しでんの刃。


 眞咲は地を這い逆袈裟ぎゃくけさで、敵を斜めに斬り裂いた。


 戸惑う表情そのままに、上半身が宙を舞う。


 どよめく残敵ざんてき間を置かず、次々刃のにえとなる。


 くびはらわた焼き斬られ、血肉ちにく酸鼻さんびの雨あられ。


 退けば地獄の罪人が、進めば地獄の獄卒ごくそつへ。


 二重螺旋らせん連枝れんしの果てに、望まず咲いた徒花あだばなよ。


 殺陣さつじん殺調さっちょう血風けっぷう惨雨ざんう、地獄の釜は開かれた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?