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第二十話 心の鎧

 全てが白い光の中に消えてゆく。


 落ちているのか上っているのか、もはや分からない。


 やがて遥か前方に光の切れ目が見えてきた。あれは水面か、それとも底か――


「――っ!」


 唐突に眞咲まさきは覚醒した。


 息を吸い、辺りを見渡す。温かな陽光に照らされた庭のような広場。眞咲が座っているベンチの側には砂場と遊具――ここは児童養護施設『桜丘学園』の前庭だ。眞咲がボランティア部の活動の一環として、よく来ていた場所だ。


 自分の姿を見ると、学生服の前は開けっ放しでボタンが何個か飛んでおり、シャツは飛び出ている。どうやって来たのか全く覚えていないが、眞咲はあれから夢現ゆめうつつの状態でここにたどり着いたらしい。でもなぜここなのだろう。


「あれ? 眞咲くんだー!」


 少年の声が響き渡った。


 顔を上げると、小学生の光也みつや心慈しんじ、未就学児の瑠美るみをはじめとした子供達が施設から庭に飛び出し、我先にと眞咲のもとへ走ってきた。


「何で⁉ 今日ボランティアの日だっけ⁉」


 茶色いエフェクト付きのおもちゃの刀を持った光也が、顔を輝かせて問いかけてくる。眞咲が口ごもっている間に他の子供達も矢継ぎ早に質問をぶつけてきた。


「マサキにーちゃんだけ? しずねーちゃん達いないの?」


「何でもいいや! 遊ぼうぜ!」


「どしたのマサちゃんそのかっこ? ワイルド系に路線変更?」


 ごまかし笑いだけでも返そうとしたが、それも今の眞咲には無理だった。


「あ、そうだ眞咲くん……」

 光也が心配そうな顔をする。

「静ねーちゃんから聞いたけど、大丈夫だった? 遺伝子センターでテロあったんでしょ?」


「あ、ああ……大丈夫だったよ……」

 何とかそれだけ答えた。


 光也は即座に顔を輝かせ、

「よかった! やっぱあの『なぞの防衛隊』が、わるい奴をやっつけてくれたのかな」


「……え?」


 眞咲が訊き返す前に、水流パーツの付いたおもちゃの刀を持つ心慈が口を挟む。


「だからそんなん都市伝説だって。アニメじゃあるまいし、わるい奴らとたたかう秘密の戦隊なんかいるわけないって」


「ホントのことだよ! 昔から『なぞの防衛隊』はいて、ひそかにわるい奴らをやっつけてるんだ! もくげき者もいっぱいいるし!」


 ――もしかしなくても、等活とうかつ部隊のことか?


「ねえ、光也君……その『なぞの防衛隊』って、どんなものなのかな」


 眞咲が訊くと、光也は嬉しそうに、

「えっとね! 街でわるい奴が暴れてると、どこからかやってきてわるい奴をやっつけてくれるんだ! 銃とかナイフとか鞭とか、いろんな武器でたたかうんだって!」


 ……ほぼバレてるじゃないか。いいのかそれで。


「おとついも、どっかの警察がおそわれたけど『ちんあつ』されたってニュースあったでしょ! その時も、実は『なぞの防衛隊』がやっつけてくれたんだよきっと!」


 眞咲の心臓が締め付けられるように痛んだ。この子達にだけは真実を知られたくない。


「ねえ眞咲くん! あの時遺伝子センターにいたんでしょ⁉ 『なぞの防衛隊』に会ったり、見かけたりしなかった⁉」


 眞咲は下を向き、

「いや……会わなかったし、見かけたりもしなかったよ……」


「そっかー……ぼくどうしてもあの人たちに言いたいことあるんだけどなー……」


「おれもー」「もしいたらね、あたしも言いたいな」と、他の子達が同意した。


「言いたいことって……何……?」


 眞咲が恐る恐る訊くと、


「決まってるよ!」


 光也は輝くような笑顔で言った。


「眞咲くんと静ねーちゃんと、あと他のみんなも……たくさんの人を助けてくれて、ありがとうって‼」


「……え……」


 ありがとう?


「そうそう‼ 街を守ってくれてありがとうって言いたい‼」


「おかげでおれたちもまた外で遊べるようになったしな‼」


「先生も言ってたしね。もしそんな人達がいたら、ちゃんと感謝しなきゃねって」


 眞咲の見開かれた目に、涙が急速に溜まってゆく。


 光也はおもちゃの刀を掲げ、

「ぼくもそんな風にたたかう人になりたいなー。ぼくの武器は刀がいいな。こう、アース国包くにかねみたいに……」


 そこに心慈が対抗して自分の刀をかち合わせた。


「だーから土の力なんて分かりにくすぎるって。やっぱ水だろ水。水のごとくへんげん自在に斬るんだよ」


 チャンバラを始める光也と心慈。触発されてそれぞれ遊び始める子供達。


 暖かな日に照らされた広場で、一切の邪を持たない子供達が思い思いに遊んでいる。


「…………っ」


 眞咲は頭を下げ、泣いた。未だかつてなく、胸が痛かった。その痛みをもたらすものが何であるか分からないまま、眞咲はひたすら泣いた。


「あれ? 眞咲くん? どうしたの……?」


 光也が、他の子供達が心配そうに駆け寄ってくる。眞咲は子供達一人一人を抱きしめたかった。しかしそれは許されない。外側も内側も血に塗れたこの身体で子供達に触れるなど、絶対に許されることではないのだ。


 ……辛いよ。苦しいよ。とんでもなく。


 ――笑って、眞咲。


 ……母さん。


 ――笑うの。辛い時こそ、苦しい時こそ、あなたは笑うのよ。


 ……そうか、そうだったのか。やっと分かったよ。母さん……


 笑顔とは、心を守る鎧だったのだ。誰に何を言われようと、どんな攻撃を受けようと、それを跳ね返すための鎧なのだ。そしてまた、心の形を外側から保つための。心が自重に耐えきれず、内側から崩れてしまいそうになった時、それを外側から支え、心の形を保つための鎧だったのだ。


 眞咲は鼻をすすり上げ、袖で涙をごしごしと拭った。


 この子達を守りたい。等活部隊もイノセンティストも国さえも関係ない。この子達の未来を守る。僕が命を懸けられるとすれば、それだけだ。


 ならば――やるべきことは決まった。


 眞咲は立ち上がった。


「眞咲くん……?」


 光也と子供達が困惑した顔で見上げる。


 眞咲は微笑んだ。以前と変わりのない、温和そのものの笑顔で。


 子供達が安心したように笑う。


「ねえ、君達……」


 眞咲は子供達の笑顔に向けて、微笑みながら言った。


「僕は君達が嫌いなんです」


「…………え?」


 光也は固まった後、呆けたような顔をした。


「もう一度言います。僕は君達が嫌いなんですよ。君達みたいに馬鹿でうるさい子供は。今までずっと我慢してたんです。ですがもう我慢ならない。僕は二度と、ここには来ませんよ」


「な、何言ってんだよ、眞咲……?」


 心慈が当惑した表情で言う。しかし眞咲は笑顔でまくし立てるのを止めない。


「まだ分かりませんか。大嫌いだと言ってるんです。もう思い出したくないくらいに。君達にも僕のことを思い出してほしくない。先生にも誰にも、二度と僕の話をしないでください。君達みたいな馬鹿な子供と関わってたことを周りに知られたらたまったもんじゃない」


 次第に不機嫌な顔になってゆく子供達。そんな中、


「ま、眞咲おにーちゃん……?」


 未就学児の瑠美が、縋りつくような目で言った。


 眞咲はその目を見下ろし、より一層の笑顔で言った。


「……君のことが一番嫌いでしたよ、瑠美ちゃん」


「……っ!」


 瑠美はたちまち目に涙を浮かべ、逃げるように施設の方へ走っていった。


 心慈はその背を目で追った後、眞咲に怒りの目を向けた。


「サイッテーだよ眞咲‼ そんな奴だと思わなかった‼ 行こーぜ‼」

「ホントだよ‼ 静ねーちゃんに言いつけてやるからな‼」

「もう来んなバーカ‼」


 心慈に続いて子供達が肩を怒らせながら去ってゆく。


 ただ一人、光也だけが残り、信じられないという顔で眞咲の顔を見上げていた。


「眞咲くん……冗談なんでしょ? なんか、みんなでドッキリとかやってるんだよね……?」


「何度言ったら分かるんです。さっさと部屋に戻ってください。さもないと……」


 拳を握り締め、笑顔の前に持っていく。


「殴りますよ」


 光也は怯えた目で後ずさり、転びそうになりながら施設へ走っていった。


 一人になった庭で、眞咲は立ち尽くす。髪を揺らす秋の風のような、乾いた笑顔で。


 ポケットが震える。遺伝子研から貸与された携帯を取り出して画面を見ると、いばら由布里ゆうりからのメッセージだった。


『アーヴィング・バラシュがまた声明を発表した。要約すると都内でのテロ予告だ。その後こちらの調査で、渋谷駅周辺に『神の子供達』と思わしき者達の活動を探知した。推定される人数は五十人以上。これまでとは比べ物にならない大規模な蜂起となるだろう』


 しばらくしてから次のメッセージが届いた。


『時間稼ぎくらいならしてやれる。退くか進むか、どうするかはお前次第だ』


 ……どうするかは決まりましたよ課長。少し前にね。


 眞咲は歩き出した。桜丘学園を出て、タクシーを拾うべく大通りへ早足で向かう。


 陽は傾きかけており、赤みがかった光が眞咲の顔を照らしている。



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