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第二十五話 端場

 しずがクララに腕を引かれている画像を前にして、さすがの眞咲まさきも微笑を消した。等活部隊の他の隊員も、PCの画面に目を見張った。


「彼女を、攫ったんですか……⁉」


 バラシュは画面の中で満足げにほくそ笑み、

『とんでもない。自分から連絡して来たのだ。どうも誰かに手ひどく傷付けられたらしく、進むべき道に迷っているようだったのでね。我々が道を示したやったのだ』


 眞咲は奥歯を噛み締めた。


『舞台は君もよく知っている、あの巨大な交差点だ。君がどう踊ってくれるか、とても楽しみにさせてもらうよ』

 そう言ってバラシュはリモートを切った。


 暗くなったPCの前で、数秒間重苦しい沈黙が流れる。


「陽動だ」

 間宮まみやが言った。

「葉島をおびき寄せるための。本命のテロは宇田川町のビルかデパート。もしくは両方だ」


〈刺殺〉はデスクの足を蹴った。

「〈斬殺〉一人をおびき寄せちまえばあとはどうにでもなるってかよ。舐めやがって……!」


「……どうするの?」

 と蔡羅さいらが神妙な顔で眞咲を見つめて言った。


 眞咲は全員に向かって頭を下げた。

「……僕の責任です。僕が静……楢原ならはらさんに酷いことを言ったせいで……」


「そうじゃないって」

 蔡羅はつかつかと眞咲に歩み寄り、正面から見据える。

「どうするのかって聞いてるの。彼女を助けに行くのかそれとも見捨てるのか。君が決めるの」


「僕は……」

 眞咲は少し黙った後、苦し気に言った。

「……まだ人斬りには、なりきれていないみたいです」


 間宮がしっかりと頷く。

「決まりだ。葉島はスクランブル交差点へ。残りの二か所は俺達で何とかするしかないが……」


 間宮は隊員達を顧みた。〈刺殺〉、蔡羅、小峰こみね、間宮と部下達合わせて八人。ただでさえ少ない戦力を二分するのか――と誰もが厳しい表情をする。


『あの……この流れで言うの本当に申し訳ないんだけど……』

 と無線の向こうから聞こえてきたのは、医務官の廣澤ひろさわの声だった。

『とんでもなくヤバいことが分かった‼ 宇田川町の改装中のビル……! そこに仕掛けられてるのは、化学兵器だ‼」


「なっ――⁉」

 ほとんど全員の顔が凍り付いた。


 ―――― ◇ ――――


 移動司令室の中、廣澤は備え付けの端末を操作しながら無線に向かって叫んでいた。


「念のため陸自の情報処理隊に依頼して、分析ドローンを飛ばしてもらったんだ! そしたらビルの各所に噴射装置が設置されてて、そこから微弱な反応があった……! 分析結果は有機リン化合物‼ 肺からはもちろん、皮膚からも吸収される神経ガスだ‼」


 その隣に腕を組んで立ついばらは、黙然と眉間の皴を深めた。


「しかもだ‼ この季節、この風向きだと、飛散したガスはビル風を受けて道路上に流れ出る‼ そうなれば被害は計り知れないほど大きくなる‼」


『飛散までの猶予は……⁉』

 間宮が度を失った叫び声を返す。


「分からない……! 時限式かもしれないし遠隔操作かも……そのビルにもまだ戦闘員がいるから、ドローンではどうにも……!」


「廣澤……」

 黙って聞いていた荊が口を開いた。

「確かそのガスは、熱に弱いんじゃなかったか」


「え? あ、はい、確かに……焼却処理が有効ではありますけど、でもビルほぼ丸ごとそれをやるには……」


「……爆破するしかない」


「で、ですけどあそこにはまだ敵がいます! 〈爆殺ゲノム〉は今この隊には……!」


「ああ、いない……。だが……」

 荊はそれきり何も言わずに表情をさらに険しくした。


 その時、

「え、え。ようやっとお役に立てますですか。え、え」


 廣澤は驚いて、荊は落ち着いて背後を振り返る。


佐久間さくまさん……」

 荊は複雑な感情を目に込めて老人を見た。


 佐久間幸太郎こうたろうはいつも通りの低姿勢で、何度も頭を下げながら、

「え、え。どうかやらせてくださいまし。十六年もただ飯を食ろうておりまして、もういいかげん働かねば申し訳が立たんですわ。え」


 そう言って佐久間は司令室の隅にあるトランクによたよたと歩み寄り、キーパッドを操作して中を開いた。


「先にいってしまった皆様にも、これでようやく追いつくことができますです。え」


 佐久間はトランクからタクティカルベストのようなものを取り出し、腕を通した。さらにポーチがいくつも付いたベルトを腰に回し、装着していく。


「え……佐久間さんってもしかして、爆殺――?」


 廣澤の呟きを遮り、荊はヘッドセットマイクに向けて言う。

「神経ガスについては、佐久間幸太郎が対処する。葉島は交差点に、残りの隊員はデパートへ向かい、人質の救助に当たれ」


 ―――― ◇ ――――


「え⁉ おじいちゃんが一人で⁉」

 荊からの連絡に、蔡羅が驚愕する。


 間宮は眉根を寄せて黙っていたが、やがて、

「……了解。直ちに向かいます」

 と言って通信を終えた。


「よし移動だ! 葉島! お嬢さんを助けたらさっさと来てくれよ! 人手不足だからな!」


 眞咲は微笑んで頷いた。

「……皆さんも、どうかご無事で」


「あ、待って」

 蔡羅が眞咲に駆け寄ってきた。


 何かと問う暇もなく、蔡羅は――いきなり眞咲の首に腕を回し、唇を眞咲のそれに押し付けた。


「……ああ?」

〈刺殺〉が怒ったような呆れたような声を出す。


 間宮が眉を吊り上げて部下達と顔を見合わせる。


 小峰は……いつも通りだった。


 唇を放した蔡羅に、眞咲は微妙な笑顔で、

「……あの、それは……色々と」


「モラルだの何だのもないでしょ。アタシらには」

 蔡羅はとろんとした目でそう言うと、踵を返して軽い足取りで出口へ向かった。

「おっしゃ! 気合入ったし張り切って行こ!」


 微妙な表情の男達がその後に続く。


 最後尾を走る眞咲の耳に、地獄の閻魔のような声が届いた。


『……さっき何をした』


「え」


菅野かんのと、さっき、何をしたんだ』


「…………その、スキンシップを」


『………………………………………』


 この世で最も恐ろしい沈黙に、眞咲は冷汗を流すしかなかった。


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