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第二十七話 尽忠ゲノム


「よーし、手っ取り早く済まそうぜ……てめぇは人質の場所と部隊の配置を洗いざらいゲロる。しら切ったりハッタリかましやがったらその度に身体のどっかとおさらばだ。手の指か? 足の指か? それともあっちの指か? ムスコをお歳暮にしてあのおっさんに送りつけてやらぁ。ハイいーち……」


〈刺殺〉はガスマスクをはぎ取られた傭兵の蒼白な顔の上で、ナイフを躍らせながら言った。


 傭兵の耳に翻訳用の携帯を当てている蔡羅さいらは、顔をしかめて〈刺殺〉を見上げた。

「……もうちょい訳しやすい言葉使いなって」


「ちょっと意味が分からねぇぐらいの方が効くんだよ。脅しってのは」


「いや……これはだめだな」

 と、間宮は傭兵に向けていた銃口を下ろした。


 傭兵は青白い顔で痙攣し、口から泡を吹き始め、瞬く間に動かなくなった。


「ほーらショック死しちゃった」

 蔡羅が立ち上がって言った。


「ちげーよ毒死だろどう見ても! 歯かどっかに仕込んでた毒服んだんだよ!」


「……こいつらにとってそれほどのものか……とにかくこの方針は変更だ」


 ここはデパートと連結している地下通路。階段前に一人で警邏していた防護服の傭兵を蔡羅がウィップで捕らえ、〈刺殺〉の尋問で情報を聞き出そうとしたのだが、それは失敗に終わってしまった。


「地下も警戒されるだろう。あとは隣の家電量販店の屋上を伝って突入するしかない。急ぐぞ!」


 間宮、〈刺殺〉、蔡羅、小峰こみね、間宮の部下の〈銃殺ゲノム〉達は地下通路の出口へ走った。


「課長! 宇田川町のビルの方は!」

 間宮が走りながら無線に訊いた。


『もうすぐ現場に到着する』

 といういばらの声に続いて、廣澤ひろさわが平静を失った声で、

『いやまずいよ……さっきから敵の動きが活発化してる……もうすぐにでもガスを噴射する気かも……』


 蔡羅が不安げに上を見上げる。

「ガスが噴射されたら、この上一帯が……だよね」


 間宮は走る速度を上げた。

「……急げ!」


 ―――― ◇ ――――


 グレーのカバーシートで覆われたビルの裏手に、大型トラックが停車した。すぐににコンテナの扉が開き、佐久間さくま幸太郎こうたろう老人と荊が外に出てきた。


 佐久間はベストの上からウィンドブレーカーを着、防災用のヘルメットをかぶっている。これで改装工事の作業員と誤認してくれることを、祈るしかない。


 佐久間はいつもと変わらない低過ぎる物腰で、

「え、え。送って頂いて申し訳ないですはい。きっちり、やり遂げてまいりますので」


「……佐久間さん」

 およそ人に対して弱みを見せたことのない荊でさえ、この時ばかりはそれ以上何も言えずに眉尻を下げることしかできなかった。


「え、え。ありがとうございますです課長さん。他の隊員さんにも、そして金沢かなざわ先生にも、よろしくお伝えください」


 佐久間はそう言ったきり感慨というものを一切表さず、まるで本当の作業員のようにカバーシートをくぐってビルの中へ消えた。


 荊はしばらくその場にとどまった後、ビルに背を向け、コンテナに戻って扉を閉めた。


 そして運転手の無線を開き、絞り出すように言った。

「……出発だ。急いでここを離れろ」


 廣澤もここまで来ると何となく察したらしく、ただ黙って俯いた。


 ―――― ◇ ――――


 佐久間幸太郎は一歩一歩踏みしめるように階段を上った。表情は春の海のように穏やかで、修験者のように無心だった。


 二階から上は窓が取り払われており、吹き抜ける風の中で老人は大儀そうに階段を上ってゆく。ビル全体を炎に包むには、中心部まで向かう必要があった。


 やっとのことで四階に到達し、廊下を歩いていた時突然、異様な格好をした者達と鉢会わせてしまった。全身をすっぽり覆う迷彩柄の防護服にガスマスク姿――神経ガスをばら撒こうとしている傭兵達だ。彼らは佐久間を目にして口々に怒号を上げた。


「What`re you fuckin` doing!?」


 佐久間は腰を曲げる。

「え、え。申し訳ありませんですはい。迷い込んでしまいましたようで……」


 傭兵の一人が聞こうともせずにいきなり佐久間の頭を殴りつけた。ヘルメットが外れ、床に倒れこむ佐久間。傭兵は口汚く罵りながら顔といわず身体といわず、佐久間を蹴り続けた。


「え、え、すみませんです……申し訳ありませんです……」


 佐久間は謝り続けた。一切抵抗することなく、ただいたぶられるがまま。


 別の傭兵が苛立たし気に叫ぶ。

「Leave it!! …Let`s out!!」


 傭兵は最後に佐久間の腹を強く蹴り、仲間と共にその場を走り去った。


 直後、空気の抜けるような音が周囲の複数の部屋から同時に漏れ出してきた。無味無臭のそれは瞬く間に廊下に充満し、老人の身体を蝕む。


 床で身体を丸め、咳き込む佐久間。しかし最後の力を振り絞り、震える手足で床を這う。ビルの中心部まではあと少し、もう少し進まなければならない。その場所はゲノムが教えてくれる。


 あたかも空の彼方から、巨大な艦艇の中心部へ突き進むかのように。


 神経ガスの渦巻く廊下を這って進む佐久間幸太郎には、ただ己の仕事を果たすという透明な義務感のみがあった。どんな思想にも、誰にも強制されてはいない。自らの遺伝子にさえも。ただそれが自分の義務なのだという思いが、磐根のように身体の中にあった。


 ついにその場所にたどり着き、佐久間は仰向けに転んだ。ウィンドブレーカーの中に手を入れ、ベストに取り付けられたスイッチを握る。


 もう眼は見えず、身体も動かせない。あとはこのスイッチを押すだけだ。


 しかし佐久間には言うべき言葉があった。ゲノムによるものか血によるものか、とにかく佐久間はそれを言わねばならなかった。


 過剰な批判、過剰な賛美、その両方になぶられ、弄ばれ、本来持っているはずの意味を失ってしまったその言葉を――佐久間は口にした。


「……万歳」


 炎が全てを飲み込んだ。


 ―――― ◇ ――――


 階段を駆け下りていた防護服姿の傭兵達は、頭上の爆発音と衝撃に驚く間も与えられなかった。爆発とほぼ同時に、彼らの命は消し飛んだ。


 ―――― ◇ ――――


 走行中の大型トラックは爆発の衝撃に揺らいだ。


「……反応が急激に低下。神経ガスが、焼却されていきます……」

 廣澤が震える声で言った。


 荊は振動に耐えながら、下を向いて目を閉じた。


 ――遺伝子。その研究がどれほど進もうと、人間という生き物の行動全てを説明できるようになる日は、恐らく永遠に来ないのだろう。


 爆弾を括り付けられた空飛ぶ棺桶に乗って空母に突っ込み、その後奇跡的に生還した父祖から受け継いだそのゲノム。あまりにも理不尽な運命をあまりにもあっさりと受け入れ、どういう感想も漏らさずにその場に臨んだ佐久間幸太郎という人物の行動を、一体誰がどう理論立てて説明できるというのか。


 ましてや、その行為は自殺なのか殺人なのか、と他人が賢しらに論ずることなど、彼の死に対する愚弄でしかない。今はただ――こうするしか、他にない。


 荊はヘッドセットを外し、彼がいつも座っていた椅子に身体を向けた。そして感謝と哀悼の意を込め、深く頭を下げた。


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