目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第三十話 忌み子


 司令室を牽引する大型トラックは都道に出る手前で止まった。


 トラックが近づけるのはここまでだ。スクランブル交差点へと続く道は都道も裏道も車で詰まり、あとは徒歩で行くしかない。


 いばらはコンテナの扉を開けて夜の街に降り立った。交差点の方角、星のない夜空の下で二つの強烈な存在がぶつかり合い、淀んだ気を発している方へ顔を向ける。


 覚悟を決めて歩き出そうとしたその時、荊の行く手を遮るように一台の車が止まった。公用車に用いられるような黒い高級車だ。中から降りてきたのはスーツ姿の見知らぬ男三人。


 鋭い目つきで見上げる荊。そのヘッドフォンに、遺伝子研所長、金沢かなざわ法春ほうしゅんの声が届く。


『荊君。朗報だ。霞が関のお歴々自らゴーサインを出してきた。今回の事で尻に火が付いたらしい。今すぐに第二フェーズを開始せよとのことだ』


「……そのお歴々とやらにお伝えください。部屋に閉じこもってテレビばかり見てないで少しは外に出なさい、と」

 吐き捨てて歩き出そうとする荊。しかしスーツ姿の屈強な男がその前に立ちはだかる。


『荊由布里君。よく考えたまえ。これはまたとないチャンスなのだ。この機を活かせば、等活部隊はより強大になり、誰からも頼りにされる存在になる。そうなれば君の立場も、そして彼の立場も安泰だ。君の長年の望みが叶うじゃないか』


 金沢法春の声はどこまでも優し気だった。


『思い出すんだ。君が生きている意味。そして彼が産まれてきた意味を。君の責任を果たす時が来たんだよ。……それに、彼を一人のままにさせたくはないだろう。かつての君のように』


 荊は顔を歪めた。


 その沈黙を肯定と受け取ったのか、金沢は声に喜色を浮かべ、

『すぐ戻ってくるんだ。彼が帰還したらすぐに始められるように。彼はともかく、君は準備が必要だろう……色々と』


 荊はゆっくりとヘッドセットを外し、男の一人に手渡した。


「課長……」

 廣澤ひろさわがコンテナから半ば降りながら言った。


 その顔を、荊は横目で睨みながら、

「お前の出る幕じゃない。もうこれ以上嗅ぎまわるな」

 と言い、男達に促されるまま公用車に乗り込んだ。


 車はすぐさま発進し、急旋回して走り去って行った。


 残された廣澤は交差点の方向を見た。


 そしてズボンのポケットに手を突っ込み、中の器具を握りながら言った。


「そうは言われても……知りたいものは知りたいんですよ」


 ―――― ◇ ――――


 人質に化けていたイノセンティストは全て死体となり、今度こそフロアの制圧は完了した。


 小峰こみねが相変わらず幽鬼のような顔で死体の中に立っている。しかしこの時ばかりは蔡羅さいら間宮まみやも〈銃殺ゲノム〉達も、そして〈刺殺〉も似たような顔をしていた。


 中央にいる本物の人質達はもはや叫ぶ気力もなく怯え竦み、嘔吐している者や気を失っている者もいる。


 その中の一人、家族を連れた父親と思しき男性が、突然裏返った声で叫んだ。


「ひ――人殺しっ‼」


〈刺殺〉はゆっくりとそちらに目を向けた。


「お前らみたいのがいるからこんなことが起きるんだ‼ 全部お前らのせいだ‼」


 あなた、やめて――と幼い女の子をしっかりと抱き抱えた女性が言う。しかし男性は叫喚をやめない。


「殺人者は子供なんて産むな‼ 殺人者から産まれた奴は親を恨んで死ねよ‼ 俺達を巻き込むな‼ お前らの遺伝子なんか、この世から……‼」


 その時、階段から新たに三人の傭兵が姿を現した。階下を見張っていた連中が、騒ぎを聞いて駆けつけたらしい。


 等活部隊が身構える。しかし傭兵の一人は誰よりも早く動き、ボールのような物体をフロア中央に投げて転がした。


 手榴弾――それはころころと転がり、叫んでいた男性の目前で止まった。


 蔡羅がウィップをしならせる。間宮と部下達が傭兵に発砲する。


〈刺殺〉はナイフを捨て、走った。無心に、身体の赴くまま、男性とその家族に向かう。


 蔡羅のウィップが手榴弾を弾き飛ばし、人質から離れた方向へ。


 と同時に〈刺殺〉は男性と家族に飛びつき、床に押し倒す。


 その瞬間、爆発。〈刺殺〉の背中や後頭部に細かい破片が突き刺さり、家族と共に床を滑る。


 爆煙が落ち着いた後、人質達の泣き叫ぶ声が収まるまで、十秒ほどかかった。


〈刺殺〉はむくりと上体を起こした。三人の傭兵は既に間宮らの銃撃で斃されていた。


「い、いやああああああああ――――‼」

 子供を抱いた母親が〈刺殺〉から後ずさる。


「うわああああ‼ 血、血があ‼」

 男性は服に付いた血痕を無茶苦茶に擦った。それは男性自身の血ではなく、〈刺殺〉の服から移った血だった。


 母親の胸に抱かれた小さな女の子だけが、ビー玉のような瞳を震わせて〈刺殺〉を見ていた。


〈刺殺〉は立ち上がり、人質に背を向けた。何も言うべきことは、ない。


 背中と後頭部の痛みにふらつきながらも〈刺殺〉は二本のナイフを拾い上げ、他の隊員と合流した。


「……終わりか?」

 と〈刺殺〉が言うと、間宮は神妙に頷いた。


「警察と消防には連絡を入れておいた。じきに救急車が来るだろう。ただ……」

 間宮はイヤホンを押さえ、

「課長と連絡がつかない。廣澤ともな。司令トラックの運転手が言うには、二人とも降りたきり戻ってこないそうだ。何か妙なことになってるな……」


「……どうすんの?」

 蔡羅が問うと、間宮は窓の外の闇へ目を向けた。


「まだ大物が残ってる……葉島はしまの所に急ごう」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?