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第三十六話 Violence Gene Activation


 夢とうつつが交差している。


 国立遺伝子研究センターの自動ドアをくぐり、階段を下り、地下の廊下を歩く眞咲まさきの目には、二重写しのように現実の光景と遺伝子が見せた光景とが入り混じって見えていた。


 それは幼い頃の眞咲が見た光景か、母が見た光景か。


 時折、白衣の職員や警備員とすれ違うが、みな眞咲の凄惨な姿におののいて道を開けた。


 ――あの部屋にはつい二日前に入った。その一度きりだと思っていた。けれど今なら分かる。あの部屋こそが、全ての始まりだったのだと。


 二日前の記憶と遺伝子の記憶両方を頼りに、眞咲は廊下を静かに歩いてゆく。


 ついにその部屋の前にたどり着いた。居住部屋らしい木目のドア。しかし取っ手の下には自動電子ロックのパネルが取り付けられている。


 パネルの表示によると、ロックはかかっていない。


 眞咲は激情を抑えるために深呼吸した。


 激情の中身は分からない。正負様々の感情が渦を巻き、どれが自分の心が分からなかった。


 自分が今どんな表情をしているかも分からない。


 腰の『葉桜はざくら』を左手で掴み、その存在を確かめるように強く握りしめた。


 そしてドアの取っ手を力強く押し込み――


 眞咲は、部屋に足を踏み入れた。


 ―――― ◇ ――――


 夥しい数のパトライトが、魑魅ちみ魍魎もうりょうのように交差点のあちこちを駆けずり回っている。


 警察、消防、救急車両はスクランブル交差点を取り囲むように配置され、一般人が現場に入るのを防いでいる。


 等活とうかつ部隊の司令トラックはその外れの位置に停車していた。


 コンテナの内部では、人工呼吸器と血液透析装置を取り付けられたしずが中央の簡易寝台に寝かされており、その傍らでは廣澤ひろさわが救命措置に勤しんでいる。間宮まみや、〈刺殺〉、蔡羅さいらの三人はその周囲に立ってあるいは腰かけていた。


 廣澤が透析装置の様子を見ながら話の続きをした。

「僕の職務上、いばら由布里ゆうりの遺伝子情報はいつでも閲覧できた。そしてあの日、葉島はしま眞咲が遺伝子検査を受けに来た日、僕はその結果も見た。彼も等活部隊に入ることは決まっていたからね。その二つの遺伝子情報を見れば、誰だって二人の関係は分かるさ……」


 他の三人はそれぞれ心中に複雑な思いを抱いて下を向いていた。


「それから色々と察したんだよ。上の連中がこそこそやってる極秘研究。荊由布里の謎に包まれた経歴。そして人斬りゲノム……。僕は当たりをつけて色々と調べてみたんだ。そしたら二つのことが分かった。それがさっきも言った――VGAという三文字、そして極秘研究グループが今推し進めている、第二フェーズについて」


 間宮はわなわなと拳を震わせ、

「VGA……暴力性遺伝子……活性化手術、か……? 意図的にオフターゲット変異を起こして、マーダーゲノムを顕在化させたってのか……!」


 廣澤は頷き、

「恐らく第一フェーズは、VGA手術によって人工的に人斬りゲノムを産み出し、その戦闘能力を観察、評価すること。そして第二フェーズとは……僕が調べた限りでは……」


 廣澤は言い辛そうに言葉を濁した。


 すると隅で膝を抱えていた蔡羅が、平坦な声で言った。


「あの二人に産めや増やせやさせて、人斬りの軍隊を作ろうってことでしょ」


 廣澤は手を止め、顔を歪めて頷いた。

「……マーダーゲノムは潜性遺伝子だ。ホモ接合によって顕性化させる方が、VGA手術より……低コストで、確実なんだろう……」


 間宮は頭を押さえ、ふらつきながら言った。

「なあこれは……遺伝子研の主導か……? それとも、国が……?」


「どっちが主導かは分からない。でも数時間前、課長が政府の公用車に乗せられて行ってしまったことを見ても……国が絡んでるのは確実だろう……」


〈刺殺〉が耐え切れなくなったように叫んだ。

「有り得ねぇ‼ 今何年だと思ってやがんだ‼ いくら国のトップがアホ揃いでも、んなトチ狂ったマネしねぇだろがよ‼」


 しかし廣澤は静かに言った。

「……今の日本の首脳達と、二十世紀前半の日本の首脳達との間に、遺伝子的な繋がりが全くないと断言できるなら……そうも言えるんだけどね……」


 間宮は拳を額に押し付け、込み上がってくる感情を押し殺した。


 虚脱して腕を下げ、息を吐く。すると眠っている静の顔が目に入った。


 遺伝子に抗った少女の顔は、今はとても穏やかだった。


 廣澤は静から離れて背を反らし、息をついた。


「……容体は安定したよ。いつ目を覚ますかは分からないけどね。……ところで、ついさっき気付いたんだけど」

 と廣澤は司令室内部を見渡し、

「小峰君どこ?」


 車内の空気が一瞬固まった後、蔡羅が立ち上がって、

「あーやっちゃった‼ 存在忘れないようにいつも気を付けてたのに‼」


「あいつは……葉島の後を追った」

 と間宮が慌てることなく言った。


「え? なんで?」


 蔡羅が問い返すと、間宮は目を伏せ、

「……小峰はもうとっくに限界を超えてた。そろそろだったんだろう」


 重い沈黙の後、〈刺殺〉が口を開いた。

「〈斬殺〉は……遺伝子研に戻ったのか? 今の話が本当なら、あいつ……」


 廣澤はいつになく沈痛な面持ちで言った。


「僕が察せたのはさっき話したことまでだよ。あとは……彼と、彼女の選択だ」


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