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第三十八話 血風惨雨


 その時、司令トラックの中にいた四人の等活部隊全員のイヤホンに、遺伝子研からの緊急連絡が入った。


 四人はすぐさま無線を開いた。


 そこから聞こえてきたのは、


『――――――――――――――――――――』


〽言い表せないおぞましさ。

 痛み、苦しみ、悲しみ、嘆き。

 叫喚、悲鳴、命乞い。

 恐怖に怯え、痛みに叫び、助けを求め、死にゆく声。

 こっちだ、逃げろ、奴が来る。

 助けて、嫌だ、死にたくない。

 何十人もの死が煮詰まった、地獄の釜が沸き立つ音。


 四人は一気に血の気を失い、互いの顔を見つめ合う。


 冷汗まみれの廣澤は、恐怖のあまりに笑いを浮かべ、虚空を見つめて呟いた。


「八大地獄の最下層……罪人達が永遠に……苦しみ叫ぶ、阿鼻地獄――」


 ―――― ◇ ――――


 遺伝子研に、惨風ざんぷう吹き荒れる。


 サイレンが鳴り響く中、赤い非常灯に照らされた廊下を人斬りがゆく。


 右手には赤黒い炎を纏う『葉桜はざくら』を、そして左手には朱鞘しゅざやの太刀を鞘ぐるみ握って。


 ロックのかかった扉を斬り飛ばし、精密機械のひしめく研究室に侵入し、全てを斬った。


 実験器具も、サンプル保管庫も、演算装置も、サーバーも。


 無論、人も。


「ち、違う……‼ プロジェクトのリーダーは比企田ひきた博士だ‼ あの人が全部やったんだ‼」


 白衣を着た一人の男が腰を抜かして床を這いずり、人斬りの凶刃から逃げ惑っている。


「私は何も関係ない‼ 何一つ関わってないんだ‼ だから――」


 人斬りから男に向けて、何か小さな物が投げつけられた。それは男が首から下げた身分証にカチンとぶつかり、床に転がった。


 白い粘着質の液体が入った試験管。ラベルには『予備① ――――』そこに描かれている人名は、男の身分証にある名前と全く同じものだった。


 男は顔全体で恐怖を表し、人斬りの顔を仰ぎ見る。

「ち、違うんだ……ゎわ私は、予備を提供しただけ――」


 皆まで言えず、男は赤黒い炎に飲み込まれた。





 破壊と惨殺を繰り返しながら、人斬りはさらに深部へ進む。


 乾いた血の上に温かい血が重なり、顔の地肌は寸分も見えなくなっている。


 奥部の重要研究エリアは破壊し尽くされ、中にいる人間は撫で斬りにされた。


 警備員はその姿を見ただけで全ての力を失い、赤子のようにうずくまった。


 死と血と恐怖を振り撒き歩く人斬りの前に、一人の男が立ち塞がる。


 鋼鉄のハンマーを携えた巨漢の青年、小峰こみね久秀ひさひでだ。


 その顔はこれまで見たことがないほど血色がよく、希望に輝いているようにさえ見えた。


 小峰はハンマーを両手に持ち、万感の思いを込めて口を開いた。


「待ってた……ずっと、この時を……」


 人斬りは顔にこびりついた血を引き攣らせた。笑ったのか、どうなのか。


 刃の色が変わってゆく。赤黒い激情は鳴りを潜め、淡く、優しい桜色へ。


 小峰はハンマーを振りかぶり、全力を以て殺すべく、人斬りのもとへ突進する。


 一方、人斬りはただ歩く。小峰と激突する直前に、右腕を滑らかに振った。


 春の風が、小峰の身体を撫でた。


 小峰は両膝を地に付け、ゆっくりと倒れてゆく。


「ありが、とう……」


 血の床にうつ伏せになり、小峰はようやく眠ることができた。





「待って‼ お願い‼ あれは……あれは私じゃないの‼ 部下が勝手にやったのよ‼」


 比企田は泣き叫びながら、研究室の隅へ隅へと身を押し込んだ。


 所内で生きている研究員ももはや僅か。あとはこの比企田と、最後の一人を残すのみだ。


「私は反対だったの‼ でも所長が、所長がどうしてもやれって‼ それで、部下が勝手に進めたの‼ 私は……私は彼女に優しくしてあげてたの‼ 本当よ‼」


 あかい鞘の太刀を左手に、赤黒い焦熱しょうねつ地獄を右手に携えた人斬りの足は止まらない。


 比企田は部屋の隅にうずくまり、両手のひらを向けて助けを乞う。

「お願い、助けて……! あんまりよ、こんなの……! 二十年もここで働いて、今の地位を築いてきたのよ……! 家庭も、プライベートも犠牲にして……!」


 人斬りは比企田の目前で止まり、右手に持った赤黒の刃を左上に振り上げた。


「お願いよ……子供もいるのよ……!」


 腕の動きが、ぴたりと止まった。


 自分の言葉に効果があったと確信した比企田は、ここぞとばかりにまくし立てる。

「そ、そうよ……! 子供がいるの、子供が……! ちょうど、あなたと同じ歳くらいの、」


 何倍にも膨れ上がった黒炎が、比企田の全てを蒸発させた。


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