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第四十話 人誅


 人斬りはついに目当ての人物のもとまでたどり着いた。


『所長室』と書かれた扁額へんがくの下にある物々しいドアを紙のように斬り裂き、中へ踏み込む。


 左手に障子、奥に床の間、畳こそ敷かれていないものの、ほとんどが和風に設えられた部屋。


 正面にはPCが乗った古めかしい机。


 そこに――いた。


「やあ、葉島はしま眞咲まさき君。ここまでやられると、私は君に喝采を送りたいよ」


 金沢かなざわ法春ほうしゅんは笑いながら、徳利の酒を注いでいた。


「君が怒るのも無理はない。私も無茶をしてきたという自覚はある。懺悔の意も込めて、最後に全てを話しておこうじゃないか。そもそも、私が彼女と初めて会ったのは――」


 業炎が二人の間を斜めに斬り裂いた。


 刃が通り過ぎた後、両者を隔てるものは何も無くなっていた。机やPCは灰となって降り注ぎ、金沢の着ている白衣の前は焼け焦げていた。


 金沢は椅子の上で妙な姿勢のまま固まり、血の気の引いた頬を二、三度痙攣させた。


 人斬りは部屋の中央に踏み出した。暖色の照明が、幾層も血に塗れたその顔を露わにした。


 その顔は――笑っていた。柔らかく、穏やかに、いつものように。


 金沢は座ったまま身を引き、

「……貴様は何も分かっておらん……!」

 人斬りを睨みながら言った。


「遺伝子工学は、我が国を導く希望の光だ……! 軍事面ではもちろんのこと、経済面ですら三流国に成り下がった日本が、やっと掴んだ蜘蛛の糸なのだ……!」


 人斬りは笑顔のまま一歩踏み出す。


 金沢はさらに声を荒げ、

「VGS手術を今後も世界に拡めていけば、各国の保有兵力は減ってゆく! そして兵士の数が減るにつれて、一人一人の戦闘能力が物を言う時代になる! その時にこそ、一騎当千のつわものがゲームチェンジャーになるのだ! 世界最強の侍たちが、海を渡って世界を席巻する、夢のような時代が来るのだぞ‼」


 笑顔で、また一歩。


 金沢の顔が恐怖の色を帯びた。

「分からんか‼ 強国日本が再び世界に出現するのだ‼ それが日本人にとってどれほどの悲願であるか‼ 今までどれほどの日本人がそれを夢見、志半ばで死んでいったか、貴様などには分かるまい‼ 追従し、顔色を窺い、媚びへつらい、嘲弄され軽視され侮辱されてきた我が国を救おうと‼ 私はそれだけを思ってきたのだ‼」


 笑顔の人斬りが、近づいてくる。


 金沢は今やはっきりと恐怖の表情をして叫んだ。

「恩知らずも大概にしろ‼ 誰のおかげでその力を手に入れられたと思っている‼ 人斬りゲノムを持つ小娘を探し出し、住ませて食わせてやった‼ ゲノム以外に何の取り柄もない小娘に、この私の遺伝子を与え、貴様を産ませてやった‼ 貴様のために部隊を‼ その刀を作ってやった‼ 反知性主義の馬鹿どもと手を結んでまで、貴様に晴れ舞台を用意してやった‼ その恩返しがこれか‼ 稀代の不忠者めが‼ 少しは父親に感謝せんか‼」


 人斬りの様子は何も変わらない。ただ右手の赤黒い刃が、床を突き抜けるほどに巨大になり、壁を吹き飛ばすほど高温になったことを除いては。


 金沢は恐怖し、絶望していた。殺されることそのものよりも、目の前の笑顔が何も言葉を返してこないことに。これほど言葉を尽くしたにもかかわらず、一言も返さずに自分を殺そうとしている笑顔に、恐怖と絶望を感じていた。


「なぜだ……言ってみろ‼ なぜ私が貴様に斬られねばならん‼ ただ一筋に国のためを思い、国に尽くしてきたこの私が‼ 言ってみろ‼ 真の愛国者を斬るに足る大義が、貴様にあるのならば‼ この私が、血を分けた実の息子に殺されなければならない理由を‼ 言ってみろ‼」


 人斬りはついに金沢の目の前で、右手の焦熱地獄を振りかざす。


 熱と恐怖で気を失う寸前の金沢法春を笑顔で見下ろし――


 眞咲は、言った。

「遺伝子ガチャに、負けたんです」


 そして全ては地獄に消えた。


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