《VGS手術、事実上の廃止か。データ破壊され、復旧の目途立たず》
《遺伝子研究者の大量辞職止まらず。人斬りの報復恐れ》
《『我が子を殺人者にしないで』VGS手術希望者が各地の支部に殺到》
《人斬りはフランケンシュタインの怪物? 政府高官が人体実験を告発》
《人斬りの目撃情報相次ぐも、足取り一向に掴めず》
《『自衛する力を取り戻したい』VGS手術無効化を求める声多数》
《マーダーゲノムへの護衛依頼増加。『殺人者にでも縋るしかない』》
秋の深まりもそろそろ終わりが見え始めてきた日の昼頃、蔡羅は都内の公園のベンチに座り、携帯のネットニュースを見るともなく流し見ていた。
目の前の芝生では小学生くらいの子供達がボール遊びに興じている。その表情は天真爛漫そのもので、ひとかけらの憂いもない。しかしそのすぐそばでは、母親達が一か所に固まり、一瞬たりとも我が子から目を離すまいと、眼力たぎらせて見守っていた。
「こんな所が待ち合わせ場所でいいのか? 顔も隠さずに」
と言いながらベンチの横に立ったのは
蔡羅は携帯から目を離さずに言う。
「せっかくシャバに出られたんだしいいでしょそれくらい。それに、今は大物の印象が強すぎて……」
「それ以外の小物なんて気にもされてないか」
間宮は日光に目を細めながら遊んでいる子供達を眺めた。
「だがお前は人に注目されるのが好きだったんじゃないのか?」
「死ぬ直前に見てもらうのが好きなの。余計なこと言わないし、見下されないし、お願いーって感じの目でアタシのことだけ見てくれるんだもん」
蔡羅は言ってから軽く息を吐き、
「アタシも大概でしょ」
「あんな所にいりゃ、誰だってどこかおかしくなる」
と間宮は、ベンチに座る蔡羅のファッションを横目で見下ろしながら言った。
「……何か言いたい事でもあんの?」
リボンとフリルの付いた白のブラウスに黒のミニスカート、その上から黒のベルトとハーネスを身に付けた蔡羅は、間宮の視線を目聡く察知して睨み返した。
間宮は眉を吊り上げ、視線を前方へ戻す。
「いや別に。ただそんな恰好で墓参りに行ってきたんなら……お前らしいと思ってな」
「……そんなちゃんとしたあれじゃないし、ただちょっと挨拶に行っただけ。今さらって感じはあるけど、せめてあの日の人達の分くらいは……ね」
「……五人分か」
「うん、部下さん二人と、おじいちゃんと、小峰さんと……課長。多分、行く人もそんな多くないだろうし」
「きっと喜んでくれただろう」
「喜ばないよ。死んでるんだもん。……死人の気持ち考えられるんなら、さっさと死ねよって話でしょ。アタシらは」
間宮は沈黙し、蔡羅は携帯を操作する指を止めた。画面が暗くなってからも、蔡羅の指はしばらく動かなかった。
やがて蔡羅は携帯をパシンと膝の上に置いて首を伸ばし、
「で、〈刺殺〉くんは?」
「ああ、とりあえずは俺と一緒に陸自の特殊作戦群に編入された。俺や部下達は出戻りだが、あいつは特別訓練生として一からだ。国としても、ヘンな所に行っちまう前に囲い込みたかっただろうしな」
「本人めっちゃ嫌がってそう」
「それがな。意外にも真面目にやってるんだよあいつ。ま、訓練以外じゃ相変わらずあの感じだから、他の連中からは嫌われてるがな。あそこじゃそれぐらいがちょうどいい」
「へーえ。やるじゃん悪ガキ。じゃ
「同じくだ。隊付き特殊医務官。……あいつからは、なるべく目を離さない方がいいだろうしな」
「ふーん……」
蔡羅はしばらく黙った後、また携帯をいじりはじめた。
間宮はそちらを見もせず唐突に、
「あいつからは、連絡は来てない。まだな」
「……何も訊いてないんだけど」
「聞きたいかと思って」
「…………。あーもしかしてアタシが本気だと思っちゃったの? んなわけないでしょ。あんなんほら、とりあえずコイツで酔っとくかーって感じだったの。あんな状況だし、酔わなきゃやってらんないしさ。あーもーホント、そういうとこオジサンだわー」
「はっはっは」
間宮は抑揚のない声で笑った。
「…………。ちょっとそれさっさと返してよ。絞め殺すから。ねぇほら」
蔡羅は半眼で間宮を睨みながら手を差し出した。
「おっとそうだった」
間宮は持っていた紙袋を蔡羅に渡す。
蔡羅は中を覗きながら、
「ったく、どさくさに紛れてもってかないでよねー」
中には愛しの相棒である絞殺ウィップが、丸めて束ねられた状態で入っていた。
「仕方ないだろう。あの場はとりあえず恭順しとかなきゃ俺達まで指名手配されちまうところだった。そいつだって俺が必死に頭を下げたおかげで返してもらえたんだ」
「脅したんでしょ。返さなきゃ殺すぞって」
「まあ、もうちょっとだけソフトな表現でな」
「何でもいいけど。じゃ、首出してほら。さっきの仕返しに絞め殺すから」
「はっはっは。また今度な。これから家族と予定があるんだ」
「……家族?」
ちらりと顔を上げる。そして蔡羅の聡い目は、間宮の薬指に嵌まっている指輪を捉えた。作戦中も施設内でも一度も見たことがないが、新品ではなくそれなりに年季が入っているように見える。
「……え、結婚してたの?」
「ああ、上の子ももうすぐ三歳だ」
蔡羅は口をあんぐりと開けて間宮の顔を見た。
「動画見るか? 可愛い~ぞぉ。上の子は俺に似てると思うんだが妻は下の子の方が似てるって言うんだ。つまりどっちもイケメンで可愛いってことだ。どっから見たい? やっぱ産まれた時からか?」
間宮は蕩けた目で携帯を操作し始めた。
「ま、また今度ね……」
蔡羅は引きながら苦笑いを返した。
「そうか、残念だ」
と間宮は心底残念そうに言い、携帯をしまった。
子供達の楽しそうな笑い声が公園に響く。
雲の出てきた空に目をやりながら、間宮は言った。
「……こんな俺の、家族になってくれる奴がいた。こんな俺の所に、産まれて来てくれた子達がいた。家族を作り、家族を守ること……俺にとってはそれこそが、マーダーゲノムに抗うってことだった」
「…………」
蔡羅は前方に目を向けた。芝生では相変わらず子供達が闊達に遊んでいる。しかしその隣では、母親達が蔡羅と間宮の方を盗み見ながらひそひそと何か話していた。
「……行くね。そろそろ」
蔡羅は紙袋を持って立ち上がり、公園の出口へ歩き出した。
「菅野」
間宮が低い声で呼び止める。
「……気を付けろ。多少なりとも危機感のある奴は今のところ大人しくしてるが、その程度の知恵もない馬鹿はもう動き始めてる。各地に潜むマーダーゲノムを探し出して、手駒にしようとな。バラシュも今後どう動いてくるか……」
蔡羅は半分だけ振り返ってため息をついた。
「……人斬りが現代に甦んのも無理ないよね」
「……事態は、世間が考えてる以上に深刻だ。色んな枷が一気に解かれたんだ。下手をすると、この国、この世界始まって以来の大混乱が起きる可能性もある」
「分かってる――」
蔡羅は目を細めて微笑んだ。
「――地獄の釜の蓋が、開いたんでしょ」
間宮は鋭い目で頷く。
「ああ、だから……気を付けろ」
「うん、でもアタシは大丈夫」
蔡羅はそう言って背を向け、歩き出した。
そして手に持った紙袋を持ち上げながら、こう言った。
「――もしかしたら、まだ負けてないのかもって思えてきたし。……まだ、ね」