目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第四十三話 地獄を渡り


 水蒸気にけむる陸地が水平線の向こうに消え去った後も、クララは長い間船尾の手すりにつかまって、彼方の島国に視線を這わせていた。


「クララ、そろそろ中に戻ってください。怪しまれますよ」

 ジニタリア語を話す男が船室から出てくる。冬のクルージングを楽しむ金持ちのような格好だが、その実は『神の子供達』の構成員だ。傭兵ではなく、クララの子飼いの部下である。

「この船はクルーザーなんですから。それに、傷にもよくありません」


 クララは何も言わず俯いた。


「……あの二人と一緒にいるのが嫌ですか」


「……向こうだってそうでしょ」


「さあどうでしょう。女の子の方はそうかもしれませんが、もう一人の方は……まあいつもの調子です。特に不満などは言ってませんでしたよ」


 クララは振り向いて部下の顔を見る。

「話したの? あいつと?」


「ええ、翻訳アプリを使って何度か。いやなかなかどうして面白い少年です。話も興味深かった。遺伝子に対する認識が、少し変わりましたよ」


 再び俯き、クララは言い辛そうに、

「…………私のこと、何か言ってた?」


「あなたのことを? いいえ、特には」


 クララはゆっくりと背を向けてまた手すりを掴み、水平線を見つめながら言った。

「……私の中に、何がいると思う?」


 部下はすぐさま答える。

「クララ・プロシュタヌがいますよ。中にも、外にも」


「…………」


「……クララ、何があったにせよ、あなたはあなただけのものです。誰のものでもない。組織のものでも、国のものでも。……まして教授のものなどでは、ありません」


 末尾の台詞に力をこめて、部下はそう言った。


 しばらく二人の間に言葉はなく、高めの波の音だけの時間が流れる。


「ランデブーポイントまではもう少しかかります。どうぞ中へ」


 クララはしばらく沈黙してから、海を見たまま言った。


「……もうちょっとだけ、ここにいる」


「……そうですか。では待ってますよ」


 船は波をかき分けて南東へ進む。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?