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第15話 バニラビーンズと赤髪の男

 悪役令嬢に転生してから早数ヶ月。初めは私に対して嫌悪感を抱いていた庶民たちともだいぶ打ち解けてきた。それは、私が相変わらず庶民の格好をしてノエルと一緒に街に繰り出しているからだ。そんな私を、皆はしだいに受け入れてくれるようになったのだ。転生前はただの庶民だった私には、この生活がすごく心地よかった。


「よお、クリスティーナ様。今日はいい肉が入ったんだ。買っていくか?」


「クリスティーナ様。今日もお元気そうで何よりでございます」


「あ、クリスティーナ様だ! 綺麗だな〜♪」


 角のお肉屋さんのおじさんや買い物に来ているお婆さん。友達と遊んでいる子供たち……。笑顔で接してくれる街の人々を見ていると、乙女ゲームで見ていたクリスティーナの周りってあまりにも殺伐としていたなと思う。貴族としてのプライドも大事だけど、人はやっぱり一人では生きていけないのに。私は、生粋の悪役令嬢にはとてもなれないよ。


「ここの店にも売ってねーのか、チクショウ! ったく、最近のあいつなんなんだよ。浮かれやがって!」


 しみじみと思いに耽っている私の耳に、どこからかイライラした声が聞こえてくる。誰? びっくりしてそちらに目を向けると、そこにはたくさんの買い物袋をもった若い男性が何かを探すようにキョロキョロとしている。


「クリスティーナ様。あのような輩に近づくのは危険です。道を変えましょう」


 ノエルが私を庇うようにして今きた道を戻ろうとした時、私の脳裏にある男の顔が浮かんだ。

えっ、もしかしてあの人って……。短髪の赤髪。白シャツの第一ボタンを外してネクタイを緩く結んでいる姿。そしてあの乱暴な口の聞き方。あれってリゼットの幼馴染のユーグだ!


 ユーグ・クーザン。リゼットの屋敷の執事見習いであり、リゼットの幼馴染でもある。口は悪いけど、根はいい子なんだよね。あんなにたくさんの買い物袋を持っているってことは、街に買い物に来たのかな。それにしても、なんであんなにイライラしているんだろう?


「ねえノエル。あの人何か困ってそうじゃない? 私、ちょっと聞いてくるわね」


「いけません、クリスティーナ様! あっ、クリスティーナさまっ!!!」


 ノエルの静止を振り切り、私はユーグの元に小走りで近づいた。


「ねえ。何か探しているの?」


「はあ? 誰だよ、お前」


 ユーグは私のことを知らないのか、うざそうに私を睨んだ。その手にはメモのようなものを持っており、私から目線を逸らすと再びメモを見つめた。


「私でわかることがあれば力になるわよ?」


「いきなりなんなんだ……ったく。でも俺一人じゃ埒があかないか。なあ、お前、バニラビーンズ? って知ってるか?」


「バニラビーンズ?」


「ああ。実は俺、ある屋敷で執事見習いをやってるんだけどさ。そこのお嬢様に買い物を頼まれて。このバニラビーンズっていうやつがどこに売ってるのかわかんねーんだ」


「お菓子でも作るの?」


「おっ! お前よくわかるな」


 ユーグは、私がバニラビーンズのことを知っているとわかると、今までの不貞腐れたような顔から一転してパーっと明るい笑顔を見せた。


(うわっ! 不意打ちの笑顔!!!)


 こういうところなんだよねえ、ユーグのずるいところ。この笑顔を見たら誰でも好きになっちゃうよ。ギャップ萌え。

私がユーグの笑顔にどきどきしていると、様子を伺っていたノエルが静かに私の前に出た。


「バニラビーンズでしたら、この近くの香辛料のお店で見かけたことがあります。ご案内いたしますのでこちらへ」



 ノエルの案内で香辛料の店に着くと、ユーグはやっとバニラビーンズを手に入れることが出来た。ほっとした顔をしているユーグは、店の時計を見上げると今度は途端に慌てだした。


「やっべ、もうこんな時間か。早く帰んねーとあいつと親父にうるさく言われる。あ、俺もう帰るわ。今日はありがとな。えーっと、俺はユーグってんだ。お前は?」


 またもや爽やかな笑顔で、ユーグは私と握手をするように手を伸ばした。そんなユーグの態度が気に入らないのか、ノエルが私の横から口を挟んだ。


「あなた先程から無礼ですよ! このお方は……」


「クラリスよ。こっちはノエル。よろしくね、ユーグ」


 私がクリスティーナだと言おうとするノエルを手で制すと、私は偽名をユーグに教えた。ユーグが今日の話をリゼットにすると面倒だと思ったからだ。


「クラリスか。覚えておくよ。じゃあな! クラリス、ノエル」


 ユーグは、私とノエルに軽く握手をすると急いでリゼットの屋敷に帰っていった。

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