ドアを開いたのは、青年だった。
彼はストライプ柄のスーツと頭にかぶった布巾を揺らしながら、銀髪少女へと近づいていく。
「順調ですか? 探偵さん」
「あ……う、ん、じょしゅ、くん」
青年の首から提げられたネームプレート。そこにはこう書かれている。
『名助手
手には使い古された箒。
胸にはエプロン。
頭にはシワのないふきんを被っている。
誰が見ても、何の真っ最中なのかは明らかだろう。
銀髪の少女――いや、探偵はドクロを見せびらかすように突き出した。
「ん」
かわいらしい声で催促されて、助手はドクロの表面を凝視する。
まるで評論家きどりみたいに目を細めて。
「まだですね」
「えー」
「なんとなくわかりますよ。サボってたんじゃないですか?」
とっさに顔を背ける少女。
その横顔には図星と書いてあった。
「いつ、まで?」
「オレの掃除が終わるまでです」
「てつだう、よ?」
探偵の細い指が、助手の持つ箒をさした。
「こちらのことは気にせず、磨き続けてください。さっきもいいましたけど、ピッカピカのテッカテカでハゲの大統領になるまで、です」
「つるっ、ぱげ?」
「そうですね。つるっぱげすぎて、照明代わりになるまで光らせてください」
「んー、でも、これ、にせもの。ほんもの、ほしい」
探偵はリスみたいに頬を膨らませながら、抗議した。
「本物はダメです。流石に犯罪になってしまいます」
「わいろ、だめ?」
「日本は賄賂禁止です」
「……ほんとうに、めんどう。この、せかい」
「オレたちは現代社会の中で生きていますからね。こればかりは仕方がないです。ああ、これこそが社会性に特化してしまった愚かな動物の末路ですね」
ガイコツの
探偵は、そこを細い指でグリグリとほじりはじめた。
「ねえ」
「なんですか? カップラーメンならさっき渡しましたよね」
「ガイコツ、なんで、ぴかぴかにする、の?」
「あー。それですか。見栄えがいいからですよ」
「いんてり、あ?」
「そんなところです」
助手は素知らぬ顔で言い切った後、サッと視線をそらした。
彼の脳内によみがえったのは、4か月前の出来事。
年末の大掃除のこと。
空き巣に荒らされたようなオフィス。全く見えない床。割れた窓ガラス。
そして、その中心で満足げに笑う探偵。
(もう2度と、同じ過ちは繰り返さない……!)
心の中で固く誓い、一見儚げで銀髪美少女を直視する。
「探偵さんがガイコツをキレイにしてくれると、とても助かるんです。オレにはできないことですから」
「うれ、しい?」
探偵は目を見開きながら、問いかけた。
「はい。とってもうれしいです。見直してしまいます」
「そうな、の?」
「間違いないですね」
「……そう、なんだ。へへ、しんじゃい、そう」
ふにゃりと笑いながらガイコツを撫ではじめた探偵をみて、助手は背中を向けた。
(チョロすぎる)
助手は自分の人心掌握能力の高さに高笑いしながら、ゴミを片付けていく。
しかし、すぐに焦げ臭いことに気付いた。
あまりにも高速でガイコツを撫ですぎて、探偵が煙を上げていたのだ。
必死に止めてから、ゆっくり撫でるように言いつけて、助手は掃除に戻った。
「それで、なんで、おそうじ?」
「今日は久しぶりに依頼人がくるんですよ」
箒でゴミを集めながら返した。
「あー、そだった。おしごと、おしごと」
「ウチは今——というか、常に財政難ですから。もうもやしは勘弁です」
「でも、もやし、おいしい、よ? しゃきしゃき」
不思議そうに小首を傾げる探偵。
助手は「こいつ、マジか」と言わんばかりに眉をゆがめた。
「栄養が偏っていますし、なによりオレが我慢できません。できるなら肉を食べたいです」
「おにく、かー」
「おいしいですよ、お肉。生きているって実感できます」
「おにくは、ほねつきが、いい。しゃぶり、つきたい」
「おー。いいですね。バーベキューでもしたいです」
「ばー、べ、きゅー!」
探偵はルビーの瞳をキラキラと輝かせて、はしゃぎだした。
「うーん、じゃあ、おしごと、がんばるかー」
「そうですよ。なにせ今回は久しぶりの行方不明者の捜索依頼ですから」
「!!!!」
助手の言葉を聞いて、探偵は飛び上がった。
「なんで! はやく、いって、くれなかった、の!!!」
「ごめんなさい。ごめんなさい。蛮族ムーブをやめてください」
突然ポカポカと叩かれて、助手はタジタジだ。
(この見た目で手が早いんだから、タチが悪い)
助手は探偵の容姿を凝視する。
(儚げだけど、墓投げするほどの蛮族だからなぁ)
呆れながらも、助手は探偵の気のすむまま叩かれ続けた。
「ねえ、じょしゅ、くん。これ、つけて」
探偵が取り出したのは、ネームプレート。
助手にしか読めない文字で『名探偵 根黒マンサ』と書かれている。
ちなみに、本人も読めない。
「いや、自分でつけてくださいよ」
「や、だ!」
「わがままをいわないでください」
「じょしゅが、つけた、なまえ」
「だから、オレが着けさせるべきだと?」
コクリとうなずく探偵。
2人は無言で視線をぶつかり合う。火花が散り、言葉を交わさない喧嘩が続く。
そして、最終的にため息を吐いたのは、助手だった。
彼はネームプレートを受け取ると、探偵の首に通していく。
すると、自然に鼻先が銀髪に近づいて、匂いが
(カップラーメンばかりでお風呂キャンセルしまくってるのに、なんでこんないい匂いがするんだよ……!)
バーベキューで大量のにんにくを食べさせてやろうと画策する助手。
そんな思惑もつゆ知らず、探偵はご満悦だ。
掃除も後は探偵のデスクを片付けるのみになった頃。
コツン、コツン、と。
誰かが階段を登る音が聞こえて、助手の耳がピクリと跳ねた。
「お、ハイヒールですね。随分と早い」
「おさけ?」
「それはハイボールです。ハイヒールという、カカトに凶器じみた突起をつけている靴です」
「あー。あの、こうげきりょく、たかそう、なの」
「そうでそうです」
「おとで、わかる、んだ?」
「ええ。これくらいは名探偵の助手として当然ですね」
「おー。さすがー」
純粋な誉め言葉を聞いて、助手の鼻息が荒くなる。
「もっと褒めてください。オレは昔、神童と呼ばれていたんです」
「てんさいー。しんどー。かっこいー」
「もっと!」
コンコン。
「すてきー。だいてー。いけめーん」
「もっと!!」
コンコン。
「ちょべりぐー。まじやばー。びっぐー」
「そうですっ!オレはこれからビッグになる男なんですっ! 世紀の大天才っ!! 評価されないオレが悪いんじゃない。オレを評価しないこの世界が悪いんですっ!!!!」
ガチャリ、と。
ドアが開いて、女性——依頼人が顔を出した。
何度もドアがノックされていたのだが、2人はまったく気付いていなかったのだ。
「あ、えっと……」
困惑をこれでもかと表している、依頼人の表情筋。
助手は「やっちまった」と言いたげな顔のまま固まっている。
「…………あ」
気まずい空気が流れる中。
探偵が慌てて、デスクを片付けようとしていた。