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第5話 腐りかけの小屋

『ここ……どこ……?』



 小さな女の子、一ノ瀬いちごは、とぼとぼと歩いている。

 中学生に見えるほどに大人びて見える。

 見た目。

 服装。


 何もかもが、事前に集めた情報と一致している。



「大丈夫?」



 助手はできるだけ優しい笑みを浮かべながら近づく。

 しかし、一ノ瀬いちごに気づく気配はない。



『まま……ぱぱ……こわい、こわいよ……』



 助手は自然と、近寄るスピードが速くなる。



『かえりたいよ……こわいよ……さむいよ……おなか、すいた……』

「もう大丈夫だから。いちごちゃん」



 助手の手が小さな体に触れようとした瞬間――



「……ぁ」



 すり抜けて、体勢を崩した。

 一瞬呆然とした後、とっさに探偵の顔を見る。すると、特に表情のない顔をしていた。



「ゆうれい、はなせ、ない。さわれ、ない」

「わかっています。でも、放ってはおけないでしょう」

「もう、しんで、る。たましい、ほんたい、ここ、いない」

「…………」



 助手はあえて無視して、一ノ瀬いちごの幽霊を追いかけていく。

 探偵は不思議そうに小首を傾げながら、後に続いた。



『もういやだよ……つかれた……』



 一ノ瀬いちごの幽霊は、泣きながらも歩き続けている。



「これって、実際に彼女がしていた行動のリプレイなんですよね?」

「りぷ、れい?」

「えっと、再現です」

「あー。そう、だよ。たましいの、きおく、さいげん、してる」



(じゃあ、彼女の姿から情報を読み取れるかもしれない)



 助手は懐中電灯で幽霊を照らしながら、つぶさに観察していく。

 最初に目が留まったのは、足元。



裸足はだしですね」

「くつ、おちてた、って」

「でも、靴下まで脱いでいるのは不自然です」

「くつした、いっしょ、ぬげ、た?」

「流石にそれは無茶がありそうですが……」



 さらに一ノ瀬いちごの体を詳細に見ていく。

 顔。泥で汚れている。

 腕。異常なし。

 胴。何回か転んだのか、酷い有様だ。

 膝。



「……あ」



 靴下をみつけた。

 2枚をつなげて左膝に巻かれており、さらには血に染まっている。



「ケガをして、包帯の代わりにしたんでしょうか。賢い子です」

「でも、ばいきん、こわい」

「たしかに。衛生の問題が……。でも、それ以外に選択肢がなかったのかも」

「ふく、ちぎれば、いい」

「普通の女の子は服をちぎる力なんてありませんよ。大人の男でも簡単ではありません」

「このせかい、ひと、なん、じゃく」



(リュックは失くしたのだろうか)



 探偵の嘆きを無視して、考察に集中する。


 リュックがないという状況は深刻だ。

 食料も飲み水もないという状況。

 歩けば歩くほど体力が減り、ケガのリスクも高まっていく。


 それでも足を止めないのは、同じ場所にいるのが怖いからかもしれない。

 正常な判断をするには、まだ幼すぎる。



(ここからそんなに遠くにはいけないはず)



 次の瞬間、助手の脳裏に浮かんだのは様々なイメージ。

 飢え。

 動物。

 病気。

 事故。

 山での死因なんていくらでもある。


 どれも悲惨的で、それらを吹き飛ばすみたいに、助手は頭を振った。



『え……うそ……』



 一ノ瀬いちごの幽霊が呟いた。

 表情は絶望に染まっているが、まだ生きる気力があるのか、木の下へと駆けていった。



「かみ、ぬれて、る」

「行方不明になってすぐ、大雨に降られたそうです。そのせいで捜索が難航したと」

「これ、きれば、いいのに」



 探偵が指さしたのは、今自身が身にまとっているレインコートだ。



「普通の人はレインコートを常時身に着けようとしませんよ。必要な時だけ着るものです」

「えー。べんり、なのに」

「蒸れるし汗を吸収しないし、すぐ破けるし、普段使いには適さないんですよ」

「このちいき、あめ、すぐ、ふる。いつも、そなえる、だいじ」

「まあ、ずっとここに住んでいる人は慣れていますからね」



 話が逸れながらも、助手の視線は幽霊から離れていない。

 しかし、前触れもなく、瞬きをする暇もなく、一ノ瀬いちごの幽霊は姿を消した。



「…………きえた」

「ここまで、みたい。ねちゃった、のかな?」

「また魂を探す作業ですね」

「でも、ちかくに、ある、はず」



 探偵は少し早足で進みはじめたが、数歩で足を止めた。



「……あ。あそ、こ」



 よく目を凝らせば見えるほどの距離に、木の板が見えた。



「小屋、ですかね?」

「かん、けい?」

「ええ。可能性は高そうです」



 近づくと、木製のプレハブ小屋だった。

 窓はカーテンで閉められており、中の様子は見えない。

 ところどころ穴が開いており、こまめに管理されている気配はない。



(人の気配はない)



 しかし、油断はできない。


 助手は慎重に耳を澄ませ、ドアを少しずつ開けていく。

 この小屋には何がいるかわからない。

 殺人鬼や人食いクマが住んでいてもおかしくはない。

 押すと、わずかに蝶番ちょうつがいが擦れる音が響いた。しかし、部屋の中から物音は聞こえない。



(この臭いはなんだ?)



 おもわず眉間にしわが寄るような悪臭だった。

 さらに警戒心を強めて、ドアを――



「えいっ!」

「ちょっと!?」



 バン、と。

 しびれを切らしたのか、探偵がドアを一気に開けてしまった。



「おー」

「何をやっているんですか、危険があぶない――」

「くさって、る」

「え?」



 助手はとっさに部屋の中を懐中電灯で照らしてしまい、すぐに後悔した。



「――っ!」



 人が壁に寄りかかりながら座っている。

 しかし、明らかに生きてはいない。

 生きているはずがない。



 腐りかけの死体を前に、助手は口元をおさえた。



 大人のサイズで、男性の骨格。

 明らかに一ノ瀬いちごの死体ではなかった。

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