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第6話 白無垢の影

 口元をぬぐいながら、顔を真っ青にした助手が小屋に戻ってきた。



「おち、つい、た?」

「……すみません」

「いい、よ。なれない、ほうが、いい」



 助手は鼻をつまみながら、腐乱死体を薄目で見る。

 幸いにも動物に食い荒らされてはいない。

 人の原型をとどめていない。

 顔は判別不可能。

 体は一部が腐り落ち、床のシミになりかけている。

 服が残っていなければ、人の死体だとは思えないだろう。



(この小屋、異様に薬品臭いし、獣避けになっていたのか?)



 助手は死体をもう一度確認しようとしたけど、すぐに吐き気に襲われて、とっさに飲み込んだ。



「腐ってますよね、これ」

「ぐず、ぐず。でも、さいきん」

「ここ数日は暖かかったですから……。おそらくは1週間程度ですかね」



 探偵はコクリと頷いた後、遺体に手を合わせた。



「もう少し早く来られたらよかったですね……」

「うん」



 助手は小屋の中を見渡していく。



「この小屋、なんなんですかね?」

「え、いっぱい」

「絵、ですか?」



 助手は懐中電灯で照らしながら、細かいところを見ていく。


 筆。絵具。ペインティングナイフ。キャンバス。画溶液。

 おそらく油絵をメインにしていたのだろう。


 それ以外は最低限の生活用品が並んでいる。



「画家だったのでしょうか」

「がか?」

「絵を描いてお金を稼ぐ人です」

「おー。がかっぽい!」



(本当にわかっているのか?)



 死体を見た後とは思えないほどに平常運転の探偵。彼女を見て、助手はモヤモヤするお腹をさすった。



(薬品の臭いは、画材だろうか)



 少しでも嫌なことを考えないように、推理で頭を埋めていく。



「ここ、いちごちゃんと関係があったのでしょうか」

「た、ぶん。たましい、かけら、いっぱい」

「では、この死体の人と住んでいた可能性がありますね」



(そうなると、いくつかの疑問が出てくる)



 なぜ一ノ瀬いちごがこの小屋で暮らしていたのか。

 なぜ一ノ瀬依頼人のところに戻らなかったのか。



(この部屋の住人に誘拐された? 監禁されていた?)



 一番可能性が高いストーリーだ。

 助手はそう結論づけた後、すぐに頭を振った。



(いや、この謎を解くのはオレたちの仕事じゃないよな)



 根黒探偵事務所が依頼を受けたのは、死因の追求ではない。

 遺体の捜索。それだけだ。

 かなり気になる気持ちを我慢して、助手は探偵に話しかける。



「さっさと遺体を回収して、ママのところに返してあげましょう」

「それが、ね……」

「どうかしたんですか?」



 探偵自身も困惑しているらしく、目が泳いでいる。



「ほね、けはい、ない」

「……なんでですか?」

「わから、ない。うっすら、だけ」

「本当に、ですか?」

「かっぷらーめん、かけても、いい」

「……マジですか」


(こんなこと、一度もなかったぞ)



 根黒探偵事務所は過去に何度も行方不明者を見つけてきた。

 根黒マンサのネクロマンスがあれば、死体を見つけること自体は比較的容易だったと言えるだろう。


 それなのに、今回は異なっている。

 探偵の力をもってしても、死体の場所すらつかめない。


 異常事態と言って、差し支えないだろう。



「……いちごちゃんの身に、何が起きたんだ?」



 呆然とする助手。


 静寂に包まれる小屋の中。



『ぁ………うぁ……』

「おわ!?!?」



 突然、おどろおどろしい声が聞こえてきて、素っ頓狂な声を上げた。

 とっさに振り向くと、助手の顔から血の気が失せていった。



「………………は?」



 そこにいたのは、動く腐乱死体だった。



『……い……ぇ……ち……ほ……ぬぇ……』



 うめき声のようなものを漏らしながら、ズルズルと体を引きずっていく。


 腐乱死体が手を伸ばす先に布があり、覆われていたキャンバスが姿を現す。



「――っ!」



 驚愕で、目が見開かれる。



「……なんだよ、これ」



 探偵も、助手も、息を呑んだ。


 そこに描かれていたのは、あまりにも魅惑みわく的な絵だった。


 肖像画。

 白無垢を着た女性。

 一目見るだけで網膜から離れないような、太陽にも似た光がこもっている。


 実際に光っているわけではない。

 発色が純粋に白すぎるあまり、発光しているように錯覚しているのだ。


 しかし、2人が目線を外せないのには、もう1つ理由があった。


 それは、白無垢をまとっている人物。



 大人になった、一ノ瀬いちごが描かれていた。

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