口元をぬぐいながら、顔を真っ青にした助手が小屋に戻ってきた。
「おち、つい、た?」
「……すみません」
「いい、よ。なれない、ほうが、いい」
助手は鼻をつまみながら、腐乱死体を薄目で見る。
幸いにも動物に食い荒らされてはいない。
人の原型をとどめていない。
顔は判別不可能。
体は一部が腐り落ち、床のシミになりかけている。
服が残っていなければ、人の死体だとは思えないだろう。
(この小屋、異様に薬品臭いし、獣避けになっていたのか?)
助手は死体をもう一度確認しようとしたけど、すぐに吐き気に襲われて、とっさに飲み込んだ。
「腐ってますよね、これ」
「ぐず、ぐず。でも、さいきん」
「ここ数日は暖かかったですから……。おそらくは1週間程度ですかね」
探偵はコクリと頷いた後、遺体に手を合わせた。
「もう少し早く来られたらよかったですね……」
「うん」
助手は小屋の中を見渡していく。
「この小屋、なんなんですかね?」
「え、いっぱい」
「絵、ですか?」
助手は懐中電灯で照らしながら、細かいところを見ていく。
筆。絵具。ペインティングナイフ。キャンバス。画溶液。
おそらく油絵をメインにしていたのだろう。
それ以外は最低限の生活用品が並んでいる。
「画家だったのでしょうか」
「がか?」
「絵を描いてお金を稼ぐ人です」
「おー。がかっぽい!」
(本当にわかっているのか?)
死体を見た後とは思えないほどに平常運転の探偵。彼女を見て、助手はモヤモヤするお腹をさすった。
(薬品の臭いは、画材だろうか)
少しでも嫌なことを考えないように、推理で頭を埋めていく。
「ここ、いちごちゃんと関係があったのでしょうか」
「た、ぶん。たましい、かけら、いっぱい」
「では、この死体の人と住んでいた可能性がありますね」
(そうなると、いくつかの疑問が出てくる)
なぜ一ノ瀬いちごがこの小屋で暮らしていたのか。
なぜ一ノ瀬依頼人のところに戻らなかったのか。
(この部屋の住人に誘拐された? 監禁されていた?)
一番可能性が高いストーリーだ。
助手はそう結論づけた後、すぐに頭を振った。
(いや、この謎を解くのはオレたちの仕事じゃないよな)
根黒探偵事務所が依頼を受けたのは、死因の追求ではない。
遺体の捜索。それだけだ。
かなり気になる気持ちを我慢して、助手は探偵に話しかける。
「さっさと遺体を回収して、ママのところに返してあげましょう」
「それが、ね……」
「どうかしたんですか?」
探偵自身も困惑しているらしく、目が泳いでいる。
「ほね、けはい、ない」
「……なんでですか?」
「わから、ない。うっすら、だけ」
「本当に、ですか?」
「かっぷらーめん、かけても、いい」
「……マジですか」
(こんなこと、一度もなかったぞ)
根黒探偵事務所は過去に何度も行方不明者を見つけてきた。
根黒マンサのネクロマンスがあれば、死体を見つけること自体は比較的容易だったと言えるだろう。
それなのに、今回は異なっている。
探偵の力をもってしても、死体の場所すらつかめない。
異常事態と言って、差し支えないだろう。
「……いちごちゃんの身に、何が起きたんだ?」
呆然とする助手。
静寂に包まれる小屋の中。
『ぁ………うぁ……』
「おわ!?!?」
突然、おどろおどろしい声が聞こえてきて、素っ頓狂な声を上げた。
とっさに振り向くと、助手の顔から血の気が失せていった。
「………………は?」
そこにいたのは、動く腐乱死体だった。
『……い……ぇ……ち……ほ……ぬぇ……』
うめき声のようなものを漏らしながら、ズルズルと体を引きずっていく。
腐乱死体が手を伸ばす先に布があり、覆われていたキャンバスが姿を現す。
「――っ!」
驚愕で、目が見開かれる。
「……なんだよ、これ」
探偵も、助手も、息を呑んだ。
そこに描かれていたのは、あまりにも
肖像画。
白無垢を着た女性。
一目見るだけで網膜から離れないような、太陽にも似た光がこもっている。
実際に光っているわけではない。
発色が純粋に白すぎるあまり、発光しているように錯覚しているのだ。
しかし、2人が目線を外せないのには、もう1つ理由があった。
それは、白無垢をまとっている人物。
大人になった、一ノ瀬いちごが描かれていた。