何秒。いや、何分。
助手はその絵に見惚れていただろうか。
この絵の何が、人の心を引き付けているのか。
構図?
色使い?
質感?
それとも、モデルの表情?
絵画の知識にとぼしい助手には判断がつかない。
だからこそ、圧倒的だった。知識や技術を越えた、
この絵は、しかるべき評価を受けるべきだ。
こんな古びた小屋の中で、埋もれさせてはいけない。
早く……早く! 早く!!!
1秒すらもったいない。
この絵を広めないと。
広めて、魅了して、圧倒して、歴史に名を刻まないといけない。
すぐにでも、この絵を持って走り出すのだ。
今まで、お前の人生は無価値だっただろう。
虚無感に苛まれていただろう。
それはなぜか?
答えは簡単だ。
この時のために、生きていたからだ。
ゆえに、急げ。
急げ。
急げっ!!!!!!!!
「――っ!」
助手は、自分の中で洗脳めいた使命感が生まれかけていることに気付いて、とっさに絵から目を逸らした。
そして、助けを求めるように、隣の銀髪少女の横顔を見る。
「……ん?」
目に入ったのは、自然体でとぼけたような顔。
ルビーの瞳に、長い銀髪。白無垢の絵と比べても、負けず劣らずの幻想さを身にまとっている。
しかし、助手にとっては日常そのもののような姿だ。
「どう、したの?」
あまりにもいつも通りすぎる姿を見て、助手の表情は自然とほぐれていった。
「探偵さん」
「これ、いちご、ちゃん」
「そう見えますよね。この小屋にいたこと、この亡くなっている画家と関わりがあることは間違いなさそうですね」
カサカサ、と。
かすかに音がすることに気付いて視線を動かすと、まだわずかに腐乱死体が動いていた。
「って、この動く死体はなんなんですか!?」
「あー」
「探偵さんの仕業ですか!?」
誇らしげに頷く探偵。助手は青筋を立てながら、探偵の餅のような頬を揉みしだきだした。
助手にとって精一杯のお仕置きだ。
「いつも言っていますよね。突拍子もないことをしないでくださいよっ!」
「ご、ごめん、な、ひゃい」
頬がほんのり赤くなるまで揉むと、助手はようやく手を離した。
「説明してください」
「えっと、いちご、ちゃん、みつから、ない」
「そうですね。死体がどこにあるかわからない」
「だったら、しってる、ひと、きけば、いいかな、って」
「つまり、ネクロマンスで画家をよみがえらせて、聞き出そうとした、と」
「……うん。かわいそう、だけ、ど」
(相変わらず、デタラメがすぎる)
助手は半分呆れながら、ため息をついた。
「でも、だめ、だった。たましい、こわれて、る」
「魂ってそんなにすぐに壊れるんですか?」
「すぐに、は、こわれ、ない。しぬより、こわいこと、ない、と」
「つまり、この画家は死ぬ前に、死ぬよりも怖い目にあったと」
「……た、ぶん」
話しているうちに、腐乱死体は完全に動かなくなっていた。
探偵はその横に座って、腐りかけの手をやさしく握った。
「ごめん、ね。かってに、おこし、ちゃって」
探偵が目を開くまで待って、助手は口を開く。
「じゃあ、他に何かヒントがないか探してみますか」
「そう、だね」
2人はそれぞれ別れて、小屋内の捜索をはじめた。
探偵は適当に物色しているが、助手はあたりをつけて探している。
(この絵、絶対なにかあるだろ)
助手は白無垢の絵の近くを、つぶさに観察していく。
すると、1冊の手帳を見つけた。
(これは日記か?)
慎重に開いてみると、かなり汚れており、ほとんど読めない状態だった。
しかし、文字を見るだけでも推察できることはある。
(男の文字じゃない。女の子だ)
ほぼ確実に一ノ瀬いちごが書いた日記。助手はそう結論づけた。
ページを数枚めくって、読めそうな部分を探していく。
(
気になるフレーズを見つけて、記憶しておく。
(途中から塗りつぶされているな)
最後のページまで来ると、ギリギリで日付が読める箇所があった。
(ほとんど1か月前、か?)
最後に日記が書かれているのは、約1か月前の日時。
(つまり、いちごちゃんが1か月前に亡くなって、その3週間後に画家が亡くなった?)
助手はあごに手を当てて、脳を回していく。
(いちごちゃんが獣に襲われて死んだ……? それなら、いちごちゃんの死体がここにないのも頷ける)
「じょしゅ、くん」
「なんですかって――おわ!?」
「じゃ、じゃーん」
助手は、探偵が持っているものを見た瞬間、鳥肌が立った。
「今すぐ
「おもちゃ、じゃ、ないの?」
「それ、明らかに本物です。どこにあったんですか!?」
探偵が指さした先にあったのは、見るからに頑丈そうなロッカー。
「あー。ガンロッカーですか。おそらく、これで食料調達していたのでしょう。かなりの人嫌いだったのかも」
「これで、りょう、してた?」
「おそらくは」
「おー、べんり。じょしゅも、もつ、べき!」
「そう簡単に持てるものじゃないんですよ」
(猟銃があるということは、クマ相手でも対抗できるよな)
助手は頭の中で、今までの情報を整理していく。
一番重要な謎は『一ノ瀬いちごの死体はどこにいったのか』。
そのほかには――
なぜ、一ノ瀬いちごは生きていたのに、依頼人の元に戻らなかったのか。
なぜ、一ノ瀬いちごは1か月前に亡くなったのか。
なぜ、この画家は1週間前に亡くなったのか。
気になるものは、白無垢の絵。日記。
「探偵さんは他に何かみつけましたか?」
銀髪を揺らしながら、首を横に振った。
「そうなると、もう手詰まりですね。いっそのこと、探偵さんの力で周囲を掘り起こしたらどうですか?」
「それ、いたい、ぐちゃぐちゃ」
「わかってますよ。そうなったら、もうプロとは名乗れませんから」
(ん? やろうと思えばできるってことか……?)
助手が少し戦慄してから、探偵の頬をプニッと触れた。
「うーん、ほうほう、ある、けど」
「え、今からでも入れる保険があるんですか!?」
「ほけん、じゃ、ないよ……?」
探偵は珍しく困った顔をしながら、話を続ける。
「でも、きけん、だから」
「それならやめておきますか。探偵さんが危険をおかす必要はありません」
「じゅしゅ、くん、が、きけん」
「オレが危険?」
「……うん」
助手は面食らった顔をした後。
「なんだ。だったら、さっさとやっちゃいましょう」
したり顔を浮かべた。
その顔を見て、探偵は頬を膨らませる。
「……それ、きら、い」
「それってなんですか?」
「……もう、いい」
(相変わらず、何を考えているのかわからない)
助手に怪訝な顔をされると、探偵はさらにしかめっ面になった。
「じゃあ、やる、ね」
「いや、説明を――」
助手が言い切る前に、異変が起きた。
部屋の様相が変わっていく。
ホコリまみれだった小屋内は綺麗になり、一部の物品はひとりでに元の場所に戻っていく。
まるで時間を遡っていくみたいに。
(いやいやいやいやいや! これ、ネクロマンスの領域を超えてるだろ!?!?)
変化が終わると、フラリと倒れていく探偵。彼女の体を、助手は慌てて抱きとめたのだった。