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第10話 気づいてる 前編

 目の前に置かれた骨つぼを前に、女性は息を呑んだ。

 そっと持ち上げると、すぐにおろした。


 人ひとり分の骨の重み。

 骨つぼと合わせても、10kgもないかもしれない。


 それをどれだけ重く感じたのか、見ているだけでは想像もつかない。



「……いちご」



 一ノ瀬依頼人は、骨つぼの側面を撫でた。



「開けてもいいですか?」



 助手は何も言わず、ゆっくりと頷いた。その顔は沈んでいる。依頼を完遂した探偵助手にふさわしくない表情だ。



「…………ぁ」



 一ノ瀬依頼人は、壺の中を覗いた後、しずかに目元をおさえた。

 涙は流れていないが、必死にこらえているのだろう。



「ありがとう、ございました」

「いえ、心中お察しします」

「そんなにかしこまらないでください。大丈夫です。覚悟していましたらから」



 助手はどう返していいかわからずに、ガイコツをかぶった。

 少しでも明るい空気になることを願って。



「なんだか、安心しちゃいました。そんな自分が凄く嫌で、怖くなりました」

「おかあさん、だか、ら?」



 隣に座っている探偵に問いかけられて、一ノ瀬依頼人は自分の胸に手を当てた。



「そうですね。もう悩まなくていい。希望を持たなくてもいい。行方不明の娘をだしにしているって言われなくて済む。あの子が帰ってくることを考えなくてもいい、って。とても冷たい考えだとは理解しているんです。母親としては失格……ですよね」

「しかた、ない、よ? くるしい、あたり、まえ」

「……すみません、気をつかわせてしまって」



 探偵は少しとぼけた顔で微笑んだ。



「最後にひとつ、お願いしても……」

「なに?」

「手を、握って――」



 探偵は迷うことなく、女性の手を握った。

 すると、涙が落ちた。我慢していた感情がすべてあふれ出したかのように。そして、娘の分まで泣いているように、助手は感じた。


 それから何分経っただろうか。

 目元を腫らした一ノ瀬依頼人は、ドアの前で深くお辞儀をした。



「本当に、ありがとうございました。それでは、また」



(……また?)



 助手は疑問に思いながら、ガイコツを頭から取って、お茶碗を片付け始じめた。



「たぶん、きづいて、る」



 探偵の言葉に、助手はあえて反応しない。



「ほね、すこし、おおきい」



 行方不明になったあとも、生きていた証拠。



「おかあさん、だから」

「……どうですかね」



 助手の口から発せられた声は、どこかよそよそしかった。



「ふき、げん?」

「オレはまだ怒っています」



 感情を押し殺した無表情で、言い切った。



「なんであんな奴をとむらったんですか?」

「あんな、やつ?」

「あの画家ですよっ! あいつは、記憶喪失の女の子を懐柔して、自分の思い通りにならなくなったら殺したんですよ!?」



 助手の語気が徐々に強くなっていく。



「そんなの、悪者じゃないですか! 慈悲の必要なんてない! 勝手に腐ってカラスのエサにでもすればよかったんですよっ!!!」



 まるで、子犬が吠えるのを見守る飼い主のような視線を向けられ、助手は歯ぎしりをした。



「……許せなくないんですか」

「それ、じょしゅの、もんだい」



 何も言い返せず、目を逸らす助手。

 その間も、探偵からの痛ましい視線を感じ取っている。



「わたし、うらむ、りゆう、ない」

「でも、相手は殺人犯ですよ。小さな子供の死体を粉々にして、絵の具にして、彼女の絵を描いたんですよ!? 猟奇的な殺人者です。ゴミです。カスです。」

「じゃあ、いらいにん、まえ、がかのしたい、みせる? ふませ、る?」

「そんなことできる訳がないでしょうっ!」



 探偵のルビーの瞳は全く揺れていない。

 本物の宝石みたいに、全く曇りがなくて、きれいで、だからこそ不気味に感じた。



「じょしゅ、かぞく、だれも、ころされて、ない」

「ええ。そうですよ。でも、殺人犯を許せないと思うのは当然でしょう!?」

「こわ、い? ぐうぜん、かぞく、ちがう、だけ、だったし」

「…………違いますよ。悪いことが許せないんです。正義感ってやつです」



 探偵はかわいらしく、お人形みたいに小首を傾げた。



「わるいこと、ないと、たんてい、たべて、いけない」

「……ハイエナみたいですね」

「でも、だいじな、しごと」

「本当に、この世界って酷いですよね。なんでこんな所に生まれてしまったんでしょう。それとも、オレにこの世界を生きる才能がないだけですか?」

「じょしゅと、いっしょ、たのしい、よ?」



 助手はさらに眉間のシワを深めた。

 だけど、口元はにやけるのを我慢できていない。



「……探偵さんって、意外とかわいくないですよね」

「うん、しって、る」



 助手は長く息を吐いて、心を落ち着かせようとした。

 しかし、それでもまだ胸の中にモヤモヤが残っている。



「すみません。頭を冷やしてきます」



 ドアの前に立つ助手。



「ごはんまでに、かえって、きて、ね」

「……ご飯つくるの、オレですけど」

「つくって、あげる?」

「やめてください。どうせ蛮族みたいな料理でしょう? 豚の丸焼きとか」

「やくの、にがて。にる、なんとか、できる」



 両手でバツ印を作る探偵を見て、助手はため息をついた。



「……わかりました。大人しく待っていてください」

「ばー、べ、きゅー」

「腐った死体を見た後でやる気にはなれるわけないだろっ!!!」




 ドアが閉まる直前。

 ふいに探偵が目に入ると、穏やかな表情で助手を見送っていた。







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