目の前に置かれた骨つぼを前に、女性は息を呑んだ。
そっと持ち上げると、すぐにおろした。
人ひとり分の骨の重み。
骨つぼと合わせても、10kgもないかもしれない。
それをどれだけ重く感じたのか、見ているだけでは想像もつかない。
「……いちご」
一ノ瀬依頼人は、骨つぼの側面を撫でた。
「開けてもいいですか?」
助手は何も言わず、ゆっくりと頷いた。その顔は沈んでいる。依頼を完遂した探偵助手にふさわしくない表情だ。
「…………ぁ」
一ノ瀬依頼人は、壺の中を覗いた後、しずかに目元をおさえた。
涙は流れていないが、必死にこらえているのだろう。
「ありがとう、ございました」
「いえ、心中お察しします」
「そんなにかしこまらないでください。大丈夫です。覚悟していましたらから」
助手はどう返していいかわからずに、ガイコツをかぶった。
少しでも明るい空気になることを願って。
「なんだか、安心しちゃいました。そんな自分が凄く嫌で、怖くなりました」
「おかあさん、だか、ら?」
隣に座っている探偵に問いかけられて、一ノ瀬依頼人は自分の胸に手を当てた。
「そうですね。もう悩まなくていい。希望を持たなくてもいい。行方不明の娘をだしにしているって言われなくて済む。あの子が帰ってくることを考えなくてもいい、って。とても冷たい考えだとは理解しているんです。母親としては失格……ですよね」
「しかた、ない、よ? くるしい、あたり、まえ」
「……すみません、気をつかわせてしまって」
探偵は少しとぼけた顔で微笑んだ。
「最後にひとつ、お願いしても……」
「なに?」
「手を、握って――」
探偵は迷うことなく、女性の手を握った。
すると、涙が落ちた。我慢していた感情がすべてあふれ出したかのように。そして、娘の分まで泣いているように、助手は感じた。
それから何分経っただろうか。
目元を腫らした一ノ瀬依頼人は、ドアの前で深くお辞儀をした。
「本当に、ありがとうございました。それでは、また」
(……また?)
助手は疑問に思いながら、ガイコツを頭から取って、お茶碗を片付け始じめた。
「たぶん、きづいて、る」
探偵の言葉に、助手はあえて反応しない。
「ほね、すこし、おおきい」
行方不明になったあとも、生きていた証拠。
「おかあさん、だから」
「……どうですかね」
助手の口から発せられた声は、どこかよそよそしかった。
「ふき、げん?」
「オレはまだ怒っています」
感情を押し殺した無表情で、言い切った。
「なんであんな奴を
「あんな、やつ?」
「あの画家ですよっ! あいつは、記憶喪失の女の子を懐柔して、自分の思い通りにならなくなったら殺したんですよ!?」
助手の語気が徐々に強くなっていく。
「そんなの、悪者じゃないですか! 慈悲の必要なんてない! 勝手に腐ってカラスのエサにでもすればよかったんですよっ!!!」
まるで、子犬が吠えるのを見守る飼い主のような視線を向けられ、助手は歯ぎしりをした。
「……許せなくないんですか」
「それ、じょしゅの、もんだい」
何も言い返せず、目を逸らす助手。
その間も、探偵からの痛ましい視線を感じ取っている。
「わたし、うらむ、りゆう、ない」
「でも、相手は殺人犯ですよ。小さな子供の死体を粉々にして、絵の具にして、彼女の絵を描いたんですよ!? 猟奇的な殺人者です。ゴミです。カスです。」
「じゃあ、いらいにん、まえ、がかのしたい、みせる? ふませ、る?」
「そんなことできる訳がないでしょうっ!」
探偵のルビーの瞳は全く揺れていない。
本物の宝石みたいに、全く曇りがなくて、きれいで、だからこそ不気味に感じた。
「じょしゅ、かぞく、だれも、ころされて、ない」
「ええ。そうですよ。でも、殺人犯を許せないと思うのは当然でしょう!?」
「こわ、い? ぐうぜん、かぞく、ちがう、だけ、だったし」
「…………違いますよ。悪いことが許せないんです。正義感ってやつです」
探偵はかわいらしく、お人形みたいに小首を傾げた。
「わるいこと、ないと、たんてい、たべて、いけない」
「……ハイエナみたいですね」
「でも、だいじな、しごと」
「本当に、この世界って酷いですよね。なんでこんな所に生まれてしまったんでしょう。それとも、オレにこの世界を生きる才能がないだけですか?」
「じょしゅと、いっしょ、たのしい、よ?」
助手はさらに眉間のシワを深めた。
だけど、口元はにやけるのを我慢できていない。
「……探偵さんって、意外とかわいくないですよね」
「うん、しって、る」
助手は長く息を吐いて、心を落ち着かせようとした。
しかし、それでもまだ胸の中にモヤモヤが残っている。
「すみません。頭を冷やしてきます」
ドアの前に立つ助手。
「ごはんまでに、かえって、きて、ね」
「……ご飯つくるの、オレですけど」
「つくって、あげる?」
「やめてください。どうせ蛮族みたいな料理でしょう? 豚の丸焼きとか」
「やくの、にがて。にる、なんとか、できる」
両手でバツ印を作る探偵を見て、助手はため息をついた。
「……わかりました。大人しく待っていてください」
「ばー、べ、きゅー」
「腐った死体を見た後でやる気にはなれるわけないだろっ!!!」
ドアが閉まる直前。
ふいに探偵が目に入ると、穏やかな表情で助手を見送っていた。