空を見上げると、すでに夕焼けに染まっていた。
あてどなく歩き続けてたどりついたのは、住宅街。
普段は絶対に歩かない場所だ。
知らない家々が立ち並び、知らない子供たちが走っている。
ちょっとした別世界に思えて、助手は爽やかな息を吐いた。
(オレ、このまま探偵の助手を続けていけるかなぁ。まあ、助手と名乗りながら、推理しているのはオレだけど)
助手の脳裏に浮かんだのは、暗い森の景色。
そこで縄を結ぼうとしていた。
足元には椅子。
生きるのに嫌気が差して、首を吊ろうとしていた。
そんな時、突然現れたのが銀髪の美少女——今の探偵だった。
なぜか裸で、まともに言葉が話せなくて、現実離れしたかわいさにあふれていた。
しかし、彼女の顔はつらそうに、そしてとても寂しそうにしていた。
だから、手を差し伸べた。
人生の最期に、この子を助けよう。そう思って。
いや、それだけではない。
もっと打算的な思惑もあった。
(もう、あれから一年か)
助手は小さな公園を見つけて、ベンチに座り込んだ。
子供たちが元気に遊んでいるが、今どきとしては珍しく、ヒーローごっこをしている様子だ。
(ビッグに――ヒーローになれると思ったんだけどなぁ)
小さいころからの夢だった。
ヒーローになりたい。
誰かを救える人になりたい。
ついでに、チヤホヤされたい。美人と結婚して、幸せに暮らして、子供も5人作って、何不自由ない生活をしたい。
そのきっかけは、誰かを助けて感謝されたことだったと、助手は記憶している。
(あれ、誰を助けたんだっけ)
もはやそんなことも思い出せないことに、思わず鼻を鳴らした。
(オレ、これでも昔、神童ってもてはやされていたのに……)
たしか、その誰かを助けた後ぐらいだろうか、と助手は自分の黄金期を思い出し始めた。
どんな問題も簡単に解くことができた。
テストで満点を取ることなんて簡単だった。
頭の中で聞こえる声があって、それが全てを教えてくれていたのだ。
しかし、成長するにつれて、その声は聞こえなくなり、落ちこぼれていった。
(あの頃に戻りたい。だけど――)
ふと、脳裏に探偵の顔がチラついた。
さっきの喧嘩の一幕までも思い出してしまい、自然と顔をしかめる。
(価値観が違うのはわかるけど……。あいつはどう考えても〝悪〟だろ)
気分転換に公園を見渡すと、男の子が3人がかりで1人の男の子を叩いていた。
おそらくは、叩かれている男の子は『怪人役』なのだろう。他の3人が『ヒーロー役』。
怪人なんだからもっと頑張れよ、戦えよ、怪人なんだから叩いていいだろ。泣くんじゃねえよ。そんな言葉がかすかに聞こえた。
きっと、本人たちは純粋に楽しんでいるだけなのだろう。
助手は大きな舌打ちをして、軽くにらみつけた。
すると、ヒーロー役だった3人はバツの悪そうな顔をして、怪人役の男の子に手を伸ばして、謝りだした。
(悪い子たちじゃなさそうなんだけどな)
勝手に貧乏ゆすりをしていた右足を押さえつけて、もう一度舌打ちをした。
「はあぁ、ガキだ」
空を仰ぐと、夕日に染まった雲が目に入った。
一瞬、白無垢の絵が重なる。
(そういえば、何で画家は死んだ?)
死ぬ理由があっただろうか。
自殺するにしても、どうやって死んだのかがわからない。
外傷も見当たらなかった。腐っていたとはいえ、わかるはずだ。
餓死と考えれば、一応は筋が通る。
1か月前に一ノ瀬いちごを殺し、3週間で絵を完成させて、亡くなった。
作成途中に食事を摂らなかったのなら、説明がつく。
しかし、果たして人間は食料を手に入れる手段があるのに、餓死を選べるだろうか。
どうしても、納得できない。
画家がそこまで一貫した、高尚な人物とは思えない。
それどころか、もっと独善的な性格をしていたはずだ。記憶喪失の少女を拾って、自分の娘として平然と育てて、記憶を取り戻したら殺すなんていうことをする人間なのだ。
それに、魂が壊れていた。死ぬよりも怖い目に遭っていたはず。
(……他殺?)
そもそも。
なんで他に人がいないと考えていたのだろうか。
いくら山の奥とはいえ、わずかな可能性はある。
(まあ、もう考えても仕方がないことか。いちごちゃんがみつかって一件落着。それで十分だろ)
助手は思考を打ち切って、ベンチを立った。
すると――
「すこしよろしくて!」
ふいに声を掛けられて、助手は思わず「何ですか?」と応えてしまった。
(面倒なことにならなければいいが)
少し身構えながら振り向くと、助手は言葉を失った。
そこにいたのは、金髪の少女だった。
とても高貴な顔立ちをしているが、最も特徴的なのは、サファイア色の瞳。とてもキレイなのに、まるで装飾品のように冷たい印象を受ける。そして、瞳がまったく動いていない。
身に着けているのは近所の公立高校のセーラー服。だが、体の端々からは気品があふれている。
そして、おっぱいが大きい。
(すごいかわいい子だ。白人か?)
金髪少女は、上品に微笑む。
「あなた、人を殺したことはありまして?」
「突然なんですか? そんなこと、あるわけないでしょう」
「あら。それにしては、随分と心がお汚れになっているご様子」
(なんなんだ、こいつ?)
助手は不信感を覚えたが、不思議と憎みきれなかった。
まるで、心を操られているみたいに。
「もし。なにかあったのではないのですか? 人を殺したいほどの何かが。もし手を汚したいのでしたら、わたくしも力添えいたしますわよ?」
「そんな大層なことじゃないですよ。ちょっとパートナーに腹を立てているだけです」
「あら、素敵なことではないですか。そうやって仲を深めるものですわよ」
金髪少女は横にいた男の手を引っ張って、腕を組んだ。
「どうですか? わたくしのパートナー! とっても素敵でしょう?」
確かに顔立ちは整っている。助手は男の顔を覗き込んで、ギョッとした。
「あ……うぁ……ぁ……」
口はだらしなく開き、よだれが垂れている。
肌は蒼白で、目も虚ろ。
まるでゾンビのようだった。
そして、助手は十年来の友人に再会したかのような懐かしさを感じていた。
「あら、随分と具合がよろしくないご様子。家に帰って介抱してあげますわね」
外にあるにもかかわらず、パートナーの頬にキスをする金髪少女。
助手は衝撃のあまり、うろたえることもできなかった。
「それでは、ごきげんよう」
「ちょっと待てっ!」
「そうでした。もし人を殺すようなことがあれば、わたくしの前に現れてくださいね」
それだけ言うと、優雅に歩いていった。
(なんだったんだ?)
疑問に思う暇もなく、また声が聞こえてくる。
――追って。
今度は、外からの声ではない。
頭の中でしか聞こえない声。
――追ってっ!!
神童時代の声。
今までは答えをくれるだけで、命令されることなんて一度もなかった。
――追ってっっっ!!!!!!!
意味もわからず、助手は走り出した。
しかし、すでに2人の姿はなくなっていた。
もう頭の中で声が聞こえることもない。
「なんなんだよ、一体……」
(でも、さっきの出来事、よくよく考えれば大したことないよな?)
徐々に、そんな考えで頭が塗りつぶされていく。
キレイな少女に殺人を勧められたことも、男がゾンビのようになっていたことも、大したことはない。
ドラマやアニメでよく見るような展開だし、わざわざ気に留めることじゃない。
「さっきまでのオレがどうかしてたな。うん、間違いない。絶対にそうだ。大したことない」
ふと、チャイムが聞こえた。
夕焼け小焼け。
17時半を告げるチャイムだ。
「やばい。こんな時間だ。あいつ、お腹が空くと不機嫌になるからなぁ」
助手は冷蔵庫の中を思い出しながら、根黒探偵事務所に帰るのだった。