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閑話 日常パート①

第12話 探偵事務所のドアを開けると、イノシシがいた

 探偵事務所のドアを開くと、イノシシがいた。


 立派なキバを持ち、丸々と太った巨体。体中に古傷がある。

 もしかすると、山の主だったのかもしれない。そう思わせるほどの威厳にあふれている。


 そんな存在が、探偵事務所のテーブルの上で寝ている。

 どこからどう見ても、異常事態である。



「とりあえず、買ってきた食料を冷蔵庫に入れるか」



 今は金銭的な余裕もあるが、すべてセール品である。

 もやし以外にも、キャベツ、ウインナーソーセージ、ハム、豆腐などなど。次々に入れていく。


 一見、無作為に買っているように見えるが、実はある共通点がある。



(セール品以外を買うのはバカがすることだ)



 この貧乏性は、貧乏な探偵業を始めたのが原因ではない。

 根黒探偵事務所を始める前から、助手はずっとそんな生活を送っていた。

 安くなるとわかっているものを、わざわざ高い値段で買うことを許せない。損した気分になって、死にたくなってしまう。

 完璧主義を変なところで発揮させてしまっているのだ。



(ちなみに、カップラーメンはドラッグストアが安い)



 探偵用のカップラーメンをそこで購入している。

 コンビニのお高いカップラーメンなんて言語道断である。



(まあ、安いカップラーメンで満足してくれるから、コスパがいい女だよなぁ)



 しかし、それだけではどうしても栄養バランスが悪い。

 探偵は野菜ジュースを飲まないし、野菜はあまり好きではない。

 それが助手の目下の悩みだった。


 小さな冷蔵庫にパンパンに詰め終わると、立ち上がる。

 そして、何度も深呼吸をして、精神を整え始めた。



「いくぞ……!」



 覚悟を決めて、振り向く。


 そして、そこにいるのはイノシシ。

 上から見ても、下から見ても、正面から見てもイノシシ。

 臭いもイノシシ。

 なにもかもイノシシ。


 五感で感じるすべてが、そこにイノシシがいるのだと示していた。



「よし! 消えてないな! 消えてないなっ!!!」



 助手は大きくため息をついた後、目の前の現実を受け入れることにした。



(ここは探偵の助手らしく、冷静に推理してみよう)



 覚悟を決めて、イノシシに近づいていく。

 最初はもちろん、生死の確認。



「死んでる……な。内臓もきれいに取り除かれている」



 つぎは細かいところを見ていく。

 脚。頭。胴。しっぽ。ヒントを逃さないように、目を皿にして観察していく。



「足は汚れていない。つまり、自分の足でここまで来た可能性はない」



 しかも、周囲には血の痕跡はない。

 誰かがイノシシを殺害し、ここまで持ってきたと考えて間違いはない。


 助手はそう結論付けた。



(こう見ると意外とかわいいな、イノシシって)



 しかし、全く動かないし、触ると非常に冷たい。

 助手は物悲しい顔を浮かべながら、イノシシに抱き着いた。



「よく、がんばった」



(探偵さんならこう言いそうだよな)



 一瞬、おどやかなに笑ったように見えたイノシシに手を合わせて、助手は周囲を見渡した。



「さて、部屋がかなり散らかっているな。これもヒントになりそうだ」



 まるで自動車が突撃したかのような荒れ様で、助手の眉間のシワが濃くなっていく。



「窓は開いている」



 出かける前は閉まっていたのに、なぜ開いているのか。

 助手にとっては、簡単に想像がついた。



「イノシシのサイズだと、ドアを通るのは不可能だ。つまり、窓からこのイノシシを入れたのだろう」



 そうなると、どうやって窓からイノシシを部屋に入れたのか。

 誰がどんな目的で入れたのかというところだ。


 助手は脳をフル回転させて、推理していく。


 ちょうどその頃、控えめにドアが開いた。



「あ、じょしゅ、くん……」

「探偵さん! いいとことに来ましたね! 今ちょうど推理が終わったところなんですよ!」



 すごく楽しそうな助手を前に、困惑している探偵。



「なんの、すいり?」

「このイノシシがなぜここにあるのか、という」

「え?」



 目を丸くする探偵なんてつゆ知らず、助手は推理を披露してようとして――。



「えっと、ごめん、ね?」

「なんで謝るんですか?」

「この、イノシシ、わたし、が……」



 助手の頭が真っ白になった。



「えっ」



(複数人でロープで釣り上げたのかと思っていたのに! 犯人は同業者! 逆恨み!)



 探偵の言葉が信じられず――いや、信じたくなくて、イノシシ事件について問いかけていく。



「どうやって、この部屋に入れたんですか!?」

「えっと、まど、あけて、ね?」

「外からどうやって入れたんですか!?」

「なげ、いれた」

「投げ入れた!?!?」



 大声を出しすぎたあまり唾が飛んで、探偵はわずかにイヤそうに顔をしかめた。



「いや、これ100キロは余裕でありますよ!?」



 助手はイノシシをペチペチと叩きながら叫んだ。

 探偵は無言でイノシシに近づいて――



「んしょ」



 簡単に持ち上げてしまった。

 助手も試しに持ち上げようとしたけど、もちろん、うんともすんとも言わない。



「えー…………」



(この人がいると、推理なんてバカらしくなってくるなぁ。行方不明者を見つける以外のことをしたら、なんでも瞬時に解決できるぞ)



 あまりにもあんまりすぎる真実を知ってしまって、がっくしと肩を落とした。



「それで、なんでイノシシなんか?」

「えっと、おこって、ない?」

「心の底から呆れてはいますけど、怒りは湧いていませんよ」

「ばー、べ、きゅー……」

「あー」



 一ノ瀬いちごの行方不明事件を請け負う直前、バーベキューをする約束をしたし、その後も断った。

 助手はそのことを思い出した。



「約束しましたもんね」

「うん」

「それで、痺れを切らしたんですか?」

「じょしゅ、せーる、むちゅう、だから」

「お金がないと思ったと。それなら、お肉を自分で」

「……うん」



 助手は、叱られた後の犬みたいにしゅんとしている探偵の頭を撫でた。



「はー。法律的に危ないですよ、これ」

「いのしし、にく、おいしい」

「だから賄賂は禁止ですって」

「……めん、どう」



(賄賂が当たり前の世界で生きてきたのか?)



 助手は探偵の過去について一瞬気になったが、今はもっと優先することがあると切り替えた。



「しょうがない。今からやりますか、バーベキュー」

「いい、の!?」

「どうせこの量の肉は食べきれないんで。どこかで加工しないと……」



 そうと決まれば善は急げ。



「今すぐ使えそうな場所を見つけて、イノシシを運べる車も用意しないと。運転なんて久々ですよ」



 そこまで言ったところで、助手の頭の中にはある疑問が浮かんだ。



「って、探偵さんはどうやってここまで運んだんですか?」

「はしって、きた! じょしゅも、いっしょに、はこぶ?」

「……やめてください。絶対にやめてください」



 助手が驚きを通りこして困惑していると、またドアが開いた。


 その先にいたのは――



「あら? バーベキューする余裕があるのかしら?」

「げっ!」

「わたしも一緒に連れて行ってくれない?」



 豊満な胸を持ち、母性溢れる雰囲気がある大人の女性。

 それでいて、助手たちと面識がある人物。


 一ノ瀬依頼人――いや、一ノ瀬管理人はが不敵な笑みを浮かべていた。

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