探偵の小さな体がよろめいた。
とっさに彼女の体を支えると、助手は驚愕した。
「もう……むり……」
「……え?」
助手の顔が絶望に染まる。
探偵の顔色は非常に悪く、今にも限界に達しそうだ。
一瞬だけ、助手は助けを求めるように周囲を見渡す。
足元は常に揺れ続け、景色はあっという間に通り過ぎていく。
周囲には十数人の老若男女がおり、様々な視線を銀髪美少女探偵に向けている。
奇異。好奇心。不安。心配。怒り。
助手はすぐに自分でなんとかしないといけないことに気付き、必死に探偵に呼びかける。
「諦めないでください! もう少し! もう少しで着きますからっ!」
「げん……かい……」
「それでも耐えてください。本当に、本当にもう少しなんですっ! もう少しで解放されますからっ!」
次の瞬間、甲高い音とともに、揺れが強くなった。
助手は必死に探偵を支えて、こらえさせる。
景色の流れるスピードが徐々にゆっくりになり、やがて止まった。
それと同時に、電子音が鳴り響き、ドアが開いた。
「すぐにっ!」
探偵を抱えて、
次の瞬間、袋の中は探偵の
「……よかった。ギリギリ間に合った」
安堵の息を吐く助手。
(さすがに電車内のゲロはまずいからな)
「ご、めん」
「だから言ったじゃないですか。出かける前にお腹いっぱい食べるなって」
「たび、でたら、いつ、たべれるか、わから、ない、から」
「大丈夫ですよ。現代日本において、お金があれば餓死することはありません」
「いいせかい、だなー」
探偵はしみじみと言いながら、口をゆすぐために女子トイレへと入っていった。
助手は男子トイレでエチケット袋を処理してから、再度合流した。
「それじゃあ、早速行きますよ。依頼人が待っています」
「いの、しし?」
「それ、本人の前では絶対に言わないでくださいよ?」
しかし、依頼人に出会うためにはもうひとつ関門がある。
自動改札だ。
あまりこの日本に慣れていない探偵にとっては、見慣れない装置。
「ほら、この切符を持っていてください」
「ちい、さい。もじ、よめ、ない」
「探偵さんはあんまり日本語が読めないじゃないですか。それとも視力が悪いんですか?」
「うーん、どっち、も?」
「この依頼が終わったら、眼鏡でも買いますか?」
「じょしゅが、よろこぶ、なら、かける、かー」
「そんなこと、オレ、一言も言ってませんよ」
(でも、眼鏡、絶対に似合いそうだよなぁ)
助手は探偵の眼鏡姿を想像しながら、あっさりと改札を抜けた。
探偵にお手本を見せたのだ。
「わっ!」
いきなり切符が吸い込まれて、声をあげる探偵。
「……びっくり、した」
「叩かないでくださいよ?」
「さすがに、やら、ない」
ゲートが開くと、探偵はおっかなびっくりと言った様子で、なんとか通った。
「おー、でて、こない。ふしぎ」
「入る時は切符を返してくれますからね」
「なかに、ようせい、いる?」
「さすがにいませんよ。機械です。機械」
「おー、きか、い」
ようやく改札を抜けてしばらく歩くと、手を振る人影があった。
「お待ちしておりました。根黒マンサ様。それに手島様」
「いえ。お待たせしてしまったようですみません。ちょっとしたトラブルがありまして……」
彼こそが、今回の依頼人だ。
(たしか、二階堂って苗字だったよな。大手出版社の編集者。そうは見えないけど)
通常、編集者と聞くと細身のサラリーマンを想像するかもしれない。
しかし、目の前にいる人間は違う。
まるでイノシシのような顔に、筋骨隆々の肉体。
編集者よりもプロレスラーの方が似合いそうな
ちなみに、これだけ筋肉をつけている理由は『締め切りを守らない作家を地の果てまで追いかけるため』だという。
「いえいえ。面白い場面を見せて頂けましたから」
「……申し訳ございません。お見苦しいところを」
「そんなことはありません。ユーモアは重要です。それがあるからこそ、ご一緒するのが楽しいというもの」
「そう言って頂けると助かります」
3人で駅から出ると、二階堂依頼人は道路の先を指さした。
「それでは、ここからしばらく歩きますので」
「あれ、タクシーに乗る手筈だったのでは?」
「探偵さんが乗り物酔いしているご様子なので、歩きの方がよいかと思いまして。それに、目を輝かせていますから」
たしかに、探偵は初めて見る景色に興味津々の様子だ。
助手は探偵がどこかに行かないように、こっそりと手を握った。
「よく見ていらっしゃいますね。心を読んでいるみたいです」
「いえいえ。作家先生方の相手をしているうちに、自然に身に着いただけの技能ですので。大したものではありません」
それから、移動がてらに観光を始めた。
様々なホテルやお土産屋が並び、どこか穏やかで適当さを感じるのに、密かに商売魂が燃え上がっている。
そんな、どこにでもある温泉街の観光地。
そして、3人は趣のある旅館の前で足を止めた。
「ここが、ですか」
「そうです。ここで先生は……」
一瞬、悔しそうな顔を見せた後、二階堂依頼人は探偵たちに向き直った。
その顔は、さっきまでの温和な表情とは違う。
合戦に出向くような、鬼気迫る表情だった。
「改めて、お願いします」
深々とお辞儀をして、熱のこもった声で告げる。
「あなた様方には、1か月前に失踪した、ミステリー作家『西空無礼』先生を見つけ出して頂きたいのです」