旅館のある一室に招かれた探偵達は、目を輝かせていた。
目の前に広がるのは、青々しい山と涼やかで滋味あふれる川。
旅館の最上階。
絶景の特等席。
「おおー。絶景ですね。さすが西空無礼先生のお気に入り。代表作の『白昼夢』の舞台、もしかしてここだったり!?」
「正解です。よくお分かりになりましたね」
「なにせ、オレは大ファンですから。西空無礼先生の描写が巧みだからこそ、すぐに理解できたんですよ」
二階堂依頼人は、嬉々とした表情を浮かべる助手を前に目を細めた。
「それは素晴らしい。西空無礼先生があなたのような探偵助手の存在を聞いたら、大変喜ぶことでしょう」
「おだてるのが上手ですね。それも編集者としての技能ですか」
「執筆意欲を掻き立てるのに、かなり効果的ですから。まあ、西空無礼先生は少々変わっておりましたが」
(文体はすごく素直なのに、偏屈な人だったんだな)
助手は嬉しいような、寂しいような心持ちになって、眉を複雑に曲げた。
「それで、行方不明になった経緯を聞いてもよろしいですか?」
「ああ。失礼致しました。少々閑話が長すぎましたね」
こほん、と咳ばらいをする二階堂依頼人。
「西空無礼先生は、人生最後の作品を執筆すると言って、この部屋に籠もち始めました。それが約半年前のことです」
「最後、ですか?」
助手はショックで喉を鳴らした。
ファンとしては、死ぬまで執筆を書き続けてもらえるのが理想だ。
「ここ数年の先生は常々口にしています。この作品を最後にする、と。結局、すぐに次作に取り掛かっていましたが。生きている限りはミステリー小説を書き続ける。あの人はそういう生物でした」
「生物とは、中々鋭い物言いですね」
「人間である前に、小説家である。物語を書かずにはいられない。専業作家とは得てしてそういう人間なので、」
「ファンとしては嬉しい限りです」
「少し変わっていて、頑固な人でした。」
助手は一瞬驚いたように目を見開いた。
「何を言っているんですか。まだ亡くなったとは決まっていませんよ」
「……失礼いたしました。先ほどの言葉は忘れて頂けると助かります」
(見た目からはわからないけど、結構メンタルが弱っているのか? それとも……いや、そんな
助手は一瞬あることを疑ったものの、すぐに切り替えた。
「それで、いつどのような状況で、被害者は失踪したのでしょう」
「ほとんど1か月前のことです。私は定期的に先生の様子を確認しにきていたのですが、その時には姿がありませんでした」
「行方不明に気づいたのは二階堂さんなんですか?」
「はい。最初は飲みに行っているのだと思い、先生行きつけの大衆酒場に連絡を取りました。しかし、どこにもいない。電話を掛けても繋がらず、そのまま3日ほど過ぎて、失踪だと判断しました」
「……なるほど」
助手は聞いたことを素早くメモにまとめていく。
「警察に連絡はしましたか?」
「失踪届は提出しましたが、対応は芳しくありませんでした。事件性がない、と」
助手は『これだから警察は』と心の中で悪態をつきながら、頭を軽く掻いた。
「西空無礼先生にご家族は?」
「奥さんがいらっしゃいましたが、20年近く前に他界しています。その他の親族も縁切っていると仰っていました。『あいつらは金と肩書にしか興味がないクズ共だ』とも」
「子供はいなかったのですか?」
「ひとり息子がいらっしゃったそうですが、そちらとも縁が切れているそうです。この失踪に際して連絡を取りましたが、もう関係ないの一点張りで、話も聞いて頂けませんでした」
(すごい嫌われていたのか)
助手は念のため息子の連絡先を聞こうとしたが、やんわりと断られてしまった。
「今回の件に関わっていることはないと思います。それほどに嫌悪しているご様子でした。いいえ、嫌悪感ではなく忌避感と呼ぶべきでしょうか」
「……なるほど」
「他に訊きたいことはございますか?」
「いえ、一旦は大丈夫です」
「もし他にございましたら、遠慮なく声をおかけください」
「ありがとうございます」
さっきまで景色を眺めていた探偵が突然、二階堂依頼人の横へと駆け寄った。
話し終わるタイミングを見計らっていたのだろう。
「ねえ、あれ」
「あれ、ですか?」
「ああ。事前に連絡しました、行方不明者の私物です。思い入れがこもっている物品なら、さらにいいです」
「ああ、あれのことですか。しかと用意しております」
取り出したのは、紙の束だった。
いや、普通の茶色の束ではない。わずかに茶色く、規則正しく四角が並んでいる。
「昔、先生からお預かりした生原稿です」
「そんな貴重なものをいいんですか!?」
「いえ、諸事情があり」
「いやいやいや! 垂涎ものですよ!? 今すぐ読んでいいですか!?」
「じょしゅ、もくてき、ちが、う」
探偵にたしなめられて、一気に落ち着きを取り戻した助手。
いつもとは立場が逆だ。
「……すみません、取り乱しました」
「いえ、あなたのような人に捜査して頂けるのでしたら、力強いです。そこまで熱心なファンなら手抜きできないでしょう?」
探偵はまるで殿様から
「これが何かヒントになるのですか?」
「すみません。それについてはお答えできません。オレ達のノウハウですので」
(ネクロマンスで使いますよ、なんて口が裂けても言えないもんなぁ)
探偵が下手なことをいわないように目配せをする助手。
彼女は意図を察したのか、小さく頷いた。
同時に、もうひとつ重要なことを思い出した。
「すみません。先ほどあんなことを言った手前、言い出しにくいのですが……」
「なんでしょうか? 単刀直入でお願いします。前置きなんていう駄文は必要ありません」
「もし先生が亡くなっていた場合、どのようにしますか」
二階堂依頼人は、息を呑んだ。
さきほどまで饒舌だったのに、数秒、口をつぐんだ。
そして、ようやく、重々しく口を開く。
「……先生が生前書いていた原稿があるはずです。それだけでも、見つけられないでしょうか。きっと、先生もそれを望んでいるはずです」
「わかりました。では、そのように動きます」
現状では、これ以上知りたい情報はない。
「すみません。早速捜査を開始してもよろしいですか?」
「ええ、ぜひ。もしよろしければ、見学してもよろしいでしょうか。他に担当している作家先生の助けになると思いますので」
助手は首を横に振った。
「すみません。色々と知られたくないノウハウというものがありまして……」
「申し訳ございません。不躾な申し入れでした」
「いえいえ。オレ達が少し特殊なだけですので」
二階堂依頼人は少し残念そうにしながらも、部屋から出ていった。
これで、助手と探偵、二人っきりだ。
「それで、探偵さん。どうですか? この原稿」
「うん、たましい、かんじ、る」
「……そう、ですか」
助手は無意識に奥歯を噛みしめた。
「つまり、もう西空無礼先生はこの世にいないんですね」
「そうだ、ね」
探偵が無機質な声で答えると、助手は「はあああぁぁぁぁぁ」と大きくため息をついた。
「ファンとして、ここまで損な役回り、無いですよ……」
「きりかえて、い、こう」
「そうですね。せめて、先生の遺作を見つけてあげないと」
「だ、ね」
決意を新たに、視線を上に向けた瞬間。
「おー。絶景ねー」
「え!?」
突然。
本当に突然だった。
2人は気配すら感じ取っていなかった。
いつの間にか、一ノ瀬管理人が横に立っていたのだ。