突然現れた一ノ瀬管理人と、それに驚愕する助手。
「なんでいるんですか!?」
「なんでって、娘がいるところに母親はいるものよ? それに、男と2人っきりで」
「いや、答えになってないんですけど……」
「あら、私にはこれ以上説明できることはないわよ?」
不敵に笑う一ノ瀬管理人を前に、助手はため息をついた。
「オレ達は遊びに来たんじゃないんですよ。仕事です仕事。行方不明者を捜索しないといけないんです。仕事の邪魔をされたら、家賃も払えなくなってしまいます」
「あら、それは脅し?」
「ただの事実ですよ」
一ノ瀬管理人と助手の視線がぶつかり合う。
すぐに喧嘩でも始まりそうな雰囲気だ。
「大体、娘じゃないですよ。根黒マンサ先生はいちごちゃんじゃないです」
「じょ、しゅ」
探偵にたしなめられても、助手の目つきは鋭いままだ。
(ここはきっぱり否定しないといけないだろ)
「そうね。そんなことはわかっているわ。いちごはもうこの世にいない。マンサちゃんはいちごとは違う」
「なら、なんで探偵さんを娘と呼ぶんですか?」
「これは仕方のないことなのよ? 私、マンサちゃんと離れ離れになったら死んでしまうから。これはもう、親子同然でしょう?」
「あ、そう、だった」
「いや、そんなわけないでしょう!?」
意味が分からなくて、鼻息を荒くしている助手。
彼のわき腹を、探偵がつついた。
「じょ、しゅ」
「なんですか!? 今、大事な話をしているんです」
「まま、ほんとうに、しぬ」
「……え?」
「はなれ、たら、しぬ」
助手はしばらく、探偵の言葉を咀嚼できなかった。
まま。つまり、一ノ瀬管理人が死ぬ。
探偵と離れたら。
健康な人間である限り、そんなことはありえないはずだ。
「どういうことなんですか!?」
「まま、いっかい、しんで、よみがえ、らせた、から」
「はああ!?」
助手は思わず、探偵の方を掴む。
「じゃあ、この一ノ瀬さんはゾンビみたいなものなんですか!?」
「せいかく、には、きょんしー? でも、はんぶん、だけ」
「半分ってことは、完全に死んでないんですか?」
「うん。ちょっと、まにあわ、なかった、だけ。だから、まりょく、たまにわけない、と、しぬ」
あまりにもショックを受けすぎてしまって、助手は近くの壁に寄り掛かった。
(……いつも会話していた人間がいつの間にかキョンシーになっていた件)
しかし、キョンシーになった当の本人はどこか楽しそうに笑っている。
「そういうこと。だから、私は娘と離れられないの。ただ膝に乗せたり、抱き着いているだけだと思った? ちゃんと理由があったのよ」
「……なんで死んだんですか? 事故ですか?」
「自死しただけ」
「なんでそんなことをっ!!!」
助手は今日一番の大声をあげた。
「簡単な話。私、一ノ瀬恵子は
自分が自死した理由を語っているのに、どこか他人事のような口調だった。
「自分独りだと寂しくて、なんのために生きているわけ。だって、そうでしょう? 今までの生活が一変して、守ってくれる人も、支えてくれる人もいなくて、今まで意識していなかった選択肢が押し寄せてくる。そんな状況に疲れてしまってもおかしくないでしょう?」
助手は悔しさから、拳を強く握りしめた。
「いちごちゃんを必死に探したのは、前を向いて欲しかったからです。身内が行方不明になる苦しみを知っているから、それを少しでも取り除ければ、と」
「……あら、私の心があなたの思い通りに動かなかったことが、そんなに悔しいの?」
「そんなわけじゃないですよ。ただ、不可解に思えて、納得できないだけなんです」
一ノ瀬管理人は、まぶしいものを見るように、目を細めた。
「それはきっと、手島くんにマンサちゃんがいるからよ」
「それは、どういう意味――」
言葉の途中で突然、パンと音が響いた。
一ノ瀬管理人が、勢いよく手を叩いたのだ。
「まあ、一応こんな感じで生きているんだからいいじゃない」
そう言い切ると、彼女は探偵に抱き着いて「マンサニウム補給~~!」と軽くじゃれ合った。
しかし、すぐに真剣な表情になった。
落差がひどい。
「ねえ、手島くん、今回の事件も私みたいになったら、どうする?」
「どうって……」
「行方不明者を見つける。とってもすごい事よね。依頼人の心を助ける。随分高尚な考え。だけど、行方不明者を見つけたことで、誰かが死にたくなるほど苦しい目にあったらどうするの?」
助手は迷いなく答えていく。
「そんなの、オレが責任を負う事ではないですね。そんなのは、隠れていた問題が表面化しただけです。その問題を解決していなかった、当人達が悪いんですよ」
「あら、意外と割り切っているのね」
「オレは依頼を受けて、捜索をするだけです。どんな結末になろうとも変わらない。オレは依頼人が捜索してきた勇気を尊重します」
助手の言葉を聞いて、一ノ瀬管理人は皮肉っぽく笑った。
「尊重、ね。聞こえのいい言い方。簡単に責任を放棄できる、素敵な言葉ね」
「なんとでも言ってください。オレ達は探偵と助手です。ただ、それだけなんです」
「……そう」
わずかにハニカんだ後、身をひるがえす一ノ瀬管理人。
「じゃあ、私は観光してくるから。マンサちゃんは何が欲しい?」
「うーん、おんせん、たま、ご」
「わかったわ。100個ぐらい買ってくるわね」
「そんなに、は、いらない、よ?」
一ノ瀬管理人は部屋を出て行こうとしたのだが、何か忘れものを思い出したように振り向いた。
「ああ。最後に、忠告してあげる」
「なんですか?」
「あの編集者、かなりの嘘つきよ。罪悪感もなく嘘をつけるタイプ」
「なんの根拠があるんですか?」
「女の勘よ」
「勘って……」
「よかったわね。今回は依頼人のことで苦しむことはなさそうよ? じゃあ、行ってくるわねー」
いうや否や、今度こそ部屋を後にした。
まるで台風が去った後のような静けさの中、助手が口を開く。
「何なんですか、あの人」
「やさしい、ひと」
「そりゃあ、甘やかされている探偵さんからはそう見えるでしょうけど」
「じょしゅ、にも、やさしい、よ?」
「いや、探偵さんは何を見ているんですか。明らかに敵対心マシマシで接してきているじゃないですか」
「うーん、むずか、しい、なー」
探偵は何かを考えながら、西空無礼の生原稿を抱きしめた。
「さて、気を取り直して、ちゃちゃっと魂を見つけてしまいましょう」
探偵はレインコートを脱ぎ、瞑想のように目を閉じ、生原稿を軽く握る。
助手は念のため、誰も部屋に入らないように警戒していた。
その間は、3分もなかっただろう。
「……あれ?」
ルビーの瞳が、困惑で揺れた。
「どうかしたんですか?」
「したい、すぐ、ちかく、ある」
これで、この事件はすぐに解決する。
胸の中がザワザワして、助手はそう思うことができなかった。