目の前に広がる光景。
突然現れた男性が死体の右腕を踏みつけている。
助手の頭の中には、多くの疑問が浮かんだ。
なぜこんな山奥に男性がいるのか。
なぜ袋の中身を知っていたのか。
なぜ死体を見て激怒し、踏みつけているのか。
しかし、そんな疑問を消化するよりも、やらなければならないことがある。
ようやく状況を飲み込めた助手は、男性を止めに入った。
「何をやっているんですかっ!」
「うるせえ! 黙れ!」
羽交い絞めにしようとしたが、強烈な抵抗に遭い、動きを止めることもままならない。
「俺には権利があるんだよ! これぐらいのことをする権利がな!」
「犯罪ですよ!?」
「こいつの右腕がなければ、俺はこんなにはならなかった! 惨めな貧乏生活をすることも、落ちぶれることもなければ、彼女に見限られることもなかったっ! 全部全部全部全部!!! こいつのせいなんだよっっっ!!!」
(何を言っているんだ、こいつ……!)
意味不明な言動に、助手の怒りが溜まっていき、結果的に
「あなたは誰なんですか!?」
助手の問いかけに対して、男性はギョロリとした目を動かした。
無精ひげを生やし、全体的にクタクタの服。
髪の毛もあまり手入れされていないのだろう。
野性味あふれる、鋭い眼光を放っている。
「ああ!? ここまで言ってもわからねえのかよ!」
男性の口元が苦々しく歪み、憎しみのこもった表情に変わっていく。
「こいつが無責任に快感を貪った副産物。それが俺だっ! こいつの金玉が生成した醜い精子から産まれて、クソったれな人生を歩まされてるんだよっ! あほがっっっ!!!」
その怒号に対して、探偵は目を見開いた。
いくら
「まさか、西空無礼先生の息子なんですか!?」
「俺は息子じゃねえし、こいつは父親じゃねえっ! 血が繋がっているだけで、親子なわけあるかよ!!!」
男性は助手の力が緩んだ隙をついて、勢いよくバラバラ死体の右腕を踏んだ。
無残にもひしゃげ、血が飛び散り、悪臭が強まっていく。
「一旦落ち着いてください」
「黙れよっ! お前らこそなんなんだよ! 家族の問題に突っかかってくるんじゃねえ!」
「親じゃないって言ってたじゃないですか!?」
「俺に意見するんじゃねえよっ!」
状況を見かねたのか、探偵が取っ組み合いをしている2人に近づいた。
その立ち姿はどこか凛としており、そこはかとなく怒りがにじみ出ていた。
「じょしゅ、どう、する?」
「いやいやいや! ダメですよ。一応は先生のご子息ですよ。あんまり手荒なことは……」
必死に止めようとする助手。
しかし、男性は探偵の顔を見るなり、目の色を変えた。
好色。ピンク。好奇。そんな瞳だ。
「よく見るとかわいいじゃねえか。ロシア人か?」
暴れるのをやめ、探偵に――銀髪の少女に近づき、あろうことか肩に触れた。
「なあ、こんな男よりもオレの方がナイスミドルでいいだろ? そこの木の陰で――」
一瞬。
本当に一瞬だった。
探偵が目にもとまらぬ速さで男性の顎を撃ち抜き、気絶させてしまった。
意識を刈り取られた男性は力なく倒れ、静かになった。
「あー。殺してないでよね?」
「しんでも、いきかえらせ、る」
「……探偵さんと一緒にいると、倫理観が壊れてしまいそうですよ」
助手はホッと息を吐いた、ようやく緊張を解いた。
「じょしゅ、きもちわるく、なら、ない?」
探偵はバラバラ死体の入った袋を指差しながら言った。
「必死にこらえてますよ。これでもスプラッター映画を見て、修行しているんですけどね……」
全く効果がない徒労感に、助手はため息をついた。
いくらスプラッター映画を見たとしても、それは作られたグロだ。
いくら作り物を見ても、匂いを含めての現実の死体に対する耐性を得るのは難しい。
「さて、これからどうしましょうか。バラバラ死体として見つかった行方不明者に、その息子かぁ」
すでにかなり面倒な状況になっている。
見つけてしまった行方不明者のバラバラ死体。
その被害者を強く憎む息子。
「けいさつ、だめ」
「そうは言っても、下手に行動すれば犯罪者になりかねませんから。自分達の身のことを考えるなら、さっさと警察に明け渡した方がいい」
「だ、め」
強く否定されて、助手の眉間にシワが寄った。
(探偵さん、警察が嫌いなんだよなぁ)
「まあ、依頼人に判断を任せる、という手もありますが……」
「まま、いって、た」
「あの依頼人は嘘つきだ、と。確かに言っていましたね。あと、ママじゃなくて一ノ瀬さんですよ」
助手は依頼人の二階堂のことを思い浮かべた。
とても親切で、礼儀正しく、デキる男というイメージが強い。
そして、筋肉がすごい。
ついでに、皮肉もすごい人だった。
しかし、何かを隠している雰囲気があった。
「うーん、オレ達の依頼人は二階堂さんですからね。下手なことをすると、報酬ももらえなくなってしまいます。流石にここまで来てタダ働きは避けないと」
一ノ瀬管理人からの依頼をこなして、収入を得る。いくら今は多少の余裕があると言っても、それは急務だった。
常に財政難で、買い換えたい家具だってたくさんある。
「じょ、しゅ」
探偵さんに見つめられて、助手は情けない顔をした。
それほどまでに、探偵の瞳は純粋で、どこか母性を秘めたものだった。
「そんな目で見ないでくださいよ。生活するには妥協も必要なんです」
「いい、の?」
「そりゃあ、本当の気持ちは違いますよ。でも、流石に生活が優先ですよ」
探偵は、小さくため息をついた。
「いのしし、いって、た。げんこう、みつけて、って」
「それだけすればいいと? あと、イノシシじゃなくて二階堂さんです」
「あのことば、だけ、うそ、じゃない、かも」
「なんでそんなことが言えるんですか?」
「にてる、きが、する、から」
「探偵さんと二階堂さんがですか?」
二階堂依頼人はイノシシのように、筋骨隆々の男だ。
それに対して、助手は似ても似つかない。
助手は「ぷっ」と吹き出して――
「あはははははははははははははははははははは」
腹を抱えて、大笑いをした。
「いきなり冗談はやめてくださいよ」
「……じょ、しゅ」
探偵は不機嫌そうに頬を膨らませた。
だけど、助手は大笑いしたためか、スッキリした顔をしていた。
「わかりましたよ。このまま原稿の捜索をしましょう」
「それが、やりた、い?」
「ええ。オレとしても読んでみたいんですよ。西空無礼先生の遺作。警察が介入したら、自由に動けなくなってしまいますから。全部解決した後で、警察に通報することにしましょう」
「うん。そうだ、ね」
探偵はどこか嬉しそうに頷いた。
しかし、助手は険しい顔で釘をさす。
「ただ、覚悟しておいてくださいよ。地獄のもやし生活が始まるかもしれませんから。カップラーメンも食べられなくなるかも」
「でも、おいしい、かも?」
「そうですね。きっとおいしいと思います」
助手が屈託なく笑うと、探偵は優しく微笑んだ。
まるで、初めて子供の歩く姿を見た母親のように。
「いざのとき、いのしし、とってくれば、いいし」
「それは犯罪なんですって。鳥獣管理保護法違反です」
「まっぽに、おいかけ、られ、る?」
「マッポって……。ヤンキーじゃないんですから。どこで覚えたんですか」
「いて、こます、ぞ、われぇ?」
口から放たれている言葉は物騒なのに、声と言い方が可愛らしくて、そのギャップに助手はまた吹き出した。
「探偵さんが言っても全然怖くないですね。かわいらしいです」
「わたし、こわく、ない?」
「全然怖くないですよ」
「ほん、とう?」
「当たり前じゃないですか。もし探偵さんのことを怖いという人がいたら、オレが探偵さんの可愛さを布教してやりますよ」
「ほん、とうに?」
さっきの「ほん、とう?」よりも高くて弾んだ声だった。
「本当ですよ」
「へへへ。しんじゃい、そう」
「はいはい。死ぬならこの依頼が終わってからにしてくださいね」
助手は閑話休題するために、深呼吸をした。
「さて、方向は決まりましたけど、これからどうしましょうか。また変な人に絡まれるかもしれませんし、ある程度隠れられるところが欲しいです」
「あ、そこ」
探偵が指さした先。
木々が生い茂る間に、洞窟があった。
熊か何かの巣穴かもしれないが、今現在は獣の気配はない。
「熊がいなければいいんですけど」
「わたし、より、くま、こわい?」
「そうですね。かわいさも怖さもいい勝負かもしれません」
「……ぶー」
そんな雑談をしながら、2人は男性と死体が入った黒い袋を洞窟の中に運び入れるのだった。