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第25話 現実を超える文字列

 助手と探偵、それに西空無礼の息子。

 3人は西空無礼が泊まっていた旅館に戻ってきた。


 すると、西空無礼が止まっていた部屋の前で二階堂依頼人が手を振っていた。



「おや、先生の息子さんとご一緒とは。流石でございます」



 にこやかな笑みを浮かべる二階堂さんに対して、息子は怒りをあらわにした。

 しかし、あまりにも体格差があり、まるで大人と子供のように見えてしまう。



「……なんで、オレを利用しやがった」

「おや、利用などしておりませんよ。私はただ、あなた様に情報を伝えただけではありませんか」

「お前は親父の次に嫌いだ」

「おや、私にとってその言葉は誉め言葉ですね」

「けっ!」



 息子が唾を吐きつけたが、二階堂依頼人の顔は全く動いていない。

 その姿を見て、助手が前に出る。



「オレ達は、」

「おや、もっと正義感に溢れているもの人かと推察しておりましたが」

「すみませんね。これでも、日銭を稼ぐだけで精一杯な貧乏探偵なものですから」



 そう。

 正義感をかなぐり捨ててでも、貫き通したい想いがある。



「これからする行為は、二階堂さん、あなたのためではありません。自分の好奇心のためです」

「……ほう」



 二階堂は興味深そうに目を細めた。

 そして、助手の表情から何かを読み取ったのか、愉快そうな笑みを浮かべた。



「この部屋に入る前に、少しだけお話をしませんか? もしかたら、これが最後の機会になるかもしれませんから」

「……そうですね」



(この人、わざと犯罪に手を染めたのか? どうして?)



 助手は神妙に頷いた。

 この会話に、重大な意味があるという直感が働いたのだ。



「考えたことはございませんか。どこからが創作で、どこからが現実なのか、と」



 とても哲学的な内容に、助手は目を丸くした。



「生後19か月の赤ん坊ですら、アニメと現実の見分けがつくという研究結果もございます。しかし、それは本当に正しいのでしょうか。現実と妄想を隔てるものは、一体何なのでしょうか」

「そんなこと、考えても仕方がないことですよ。現実かどうかなんて、その人の主観ひとつでいくらでも変わります」

「……実につまらないですね。ロマンがない」

「探偵は、ロマンで食っていけないんですよ。マロンは好きですけど」



 助手のくだらない冗談が不快だったのか、二階堂依頼人の眉が歪んだ。



「まあ、よろしいでしょう。すでにロマンを持っている人間は、別のロマンに染まりにくいものです。そういう意味では、あなたとロマンについて語るのは非常に有意義になるでしょう」

「随分とロマンチストなんですね。意外です」

「いえ、ロマンに傾倒していたのは、私ではなく西空先生です。私の考えなぞ、先生の受け売りばかりです」



 改めて、深呼吸をする二階堂依頼人。

 膨らんで、しぼむ。筋肉のせいか、お腹の変化が著しい。



「西空無礼先生は常に、小説の在り方について悩んでおりました。文字を媒体としたメディア。その限界を超えようと燃えていたのです」

「それは、かなり壮大な話ですね。ですが、西空無礼先生らしい」

「はい。この世界には様々なメディアが存在します。絵。アニメ。音楽。人の日常にすんなりと溶け込むことができる娯楽。それらは現実に多大な影響を与え、時にはリアルを超えることがございます」



 人はほぼ毎日文字を目にする。

 しかし、小説を読むことはあまり多くないだろう。


 かなり受動的な情報伝達手段だから。



「しかし、小説だけは違います。文字だけの情報。どうあがいても、現実と教養が前提にあるのです。現実を伝えることはできても、超えることは難しい」

「そうですか? 小説には小説の良さがあり、小説にしか表現できないことだって多くあります」

「少なくとも、西空先生は文章表現の限界を感じ、超えようとしておりました」



 現実は小説より奇なり。

 そんなことわざがあるが、それが真実なのか。



「手島様は宗教を信じておりますか?」

「……いえ」

「宗教には、多くの信者は、聖典に書いてあることが真実だと、現実だと深く信じています。それはなぜでしょうか」

「宗教とは、そういうものでしょう。死や孤独を怖がり、聖典による救済を求める」

「こんなことを言えば、非難を受けるかもしれませんが、聖典も一種の小説と言えなくはありません。西空先生は聖典を目指していたのです。現実を侵食して、人の在り方すら変えてしまう小説を」



 助手は「それはすごい執念ですね」と舌を巻いた。

 二階堂依頼人は微笑んだまま、懐に手を入れた。



「では、最後にこちらをお受け取りください」



 手渡されたのは、大きく膨らんだ茶封筒だった。

 中身は見なくても、助手は理解できた。

 お札。

 謝礼金。



「あなたは全部を覚悟して、こんなことをしているのですか?」

「もちろんでございます。これが、編集者としての最後の役目でございますから」

「……バカげている。あなたにはこの先、様々な未来があったはずなのに」

「これがロマンですよ。あなた様にもいつか理解できるでしょう」

「どうですかね。オレは現実主義ですから」

「何を仰いますか。あなたの目、山の夜空のように輝いていますよ」



(そんな目、していたのか……。いや、そうだよな。オレ、ワクワクしちゃってるから)



 助手は自分の心の内に気付いてしまって、もう我慢できなくなってしまった。

 この状況に、心が躍っている。

 憧れのミステリー作家が遺した謎を解き明かしたい。

 その報酬をいの一番に手に取りたい。



「では、あなたの現実が壊れることを願っております」



 まるで劇のオープニングのように、優雅にお辞儀をする二階堂。

 彼の言葉に促されて、助手達は旅館の部屋に足を踏み入れた。

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