ヒノキ風呂に描かれた模様を付けた助手は、早速部屋の中の探偵と西空無礼の息子を呼んだ。
「何かみつけたのか?」
「はい。壁紙のようなものを剥がしたら出てきました」
のぞき込むと、息子は不思議そうに眉をひそめた。
「なんだこれ、汚れじゃねえのか? 点の塊じゃねえか」
「いえ、汚れにしては不自然だと思います。星座だったりしませんか?」
「……いや、こんな星座は見覚えがねえな。なにより、規則的過ぎる」
「そうですか」
助手はあらゆる可能性を考えるために、頭を回していく。
「線でつなげば文字になるとかですかね」
「はん。点は20個もねえが、それだけでも何パターンあると思ってやがる?」
「……ですよね。それに、西空無礼先生ならもうひとひねりするはずです」
「どうだかな。本格ミステリーなんて
「なんだ。ちゃんと読んでるじゃないですか」
「うるせえ! 張り倒すぞ!!!」
勢いよく怒鳴られても、助手は肩をすくめるだけだ。
いくら西空無礼の息子に声を張られても、全く怖くなくなっていた。
「とりあえず、この謎を解かないと……」
点。
点の集合体。
それが意味をなすためには――
「点字か……?」
「あ?」
助手はスマホを取り出して、すぐさま点字のリストを確認した。
しかし、なぜか一致しない。
「そうか。逆さまか」
今度はスマホで写真を撮り、反転させ、再度照らし合わせる。
「な……う……ぬ……に……ね……り。なうぬにねり?」
「見当違いだったんじゃねえか?」
(いや、まだだ)
今度はひらがなではなく、アルファベットを当てはめていく。
「kcmlph。これまた謎の文字列が……」
「ははっ。アホみたいだな」
(いや、このシチュエーションは見覚えがある)
いや、自分が体感したわけではない。
読んだのだ。
西空無礼先生の処女作に、謎の文字列を解読する話があった。
「シーザー暗号」
「あ?」
「随分と王道な謎解きですね。西空無礼先生の処女作にも登場していました。有名すぎてもはや暗号でもなんでもありませんね」
「ああ。あったな。アルファベット順を使うヤツ」
「しかし、どれだけシフトさせるかかがわかりませんね」
(さすがに、読んだのが昔すぎて、作中の細かいところまでは覚えてないしなぁ)
助手が困り果てていると、息子がポツリと。
「……3個だ。後ろにズラせ」
「なんでわかるんですか?」
「とりあえずやってみろ。すぐだろ」
探偵は困惑しながらも、とりあえず従ってみることにした。
シーザー暗号の解き方。
アルファベット順を確認して、ズラしていく。
「h、a、j、i、m、e。hajime。ハジメですかね」
「……俺の名前だ」
「そんな名前だったんですか!?」
「そうだよ。悪いかよ」
「いえ、その、いい名前だと思いますよ」
「……似合わねえだろ」
「ノーコメントとしておきます」
「はん」
これで、この謎は解けた。
しかし、ここからが手詰まりだ。
「……名前だけ、か」
「俺の名前を叫べば、あの南京錠が開くなんて魔法みたいなことはねえだろ」
「ですよね」
(何かないか? 他にヒント)
助手は再び、部屋の中を捜索し始めた。
名前に関わるもの。
はじめ。
しかし、探しても探しても、何も見つからない。
(ここまでか……?)
悔しさで唇を噛むと、大きなため息が聞こえた。
西空無礼の息子が発したものだ。
「まあ、これだけヒントがあれば、わかっちまうな」
「どこにいくんですか?」
「ついこい」
息子は出入口に向かい、助手と探偵もそれについていく。
「俺、小さい頃に親父にここへ連れてこられたことがあったんだ。あいつは執筆ばっかりで、俺に全然構ってくれなくて、クソみてえな思い出だがな」
「……思い出したんですか?」
「はじめ。俺の名前ってだけじゃねえのかもな。最初という意味も含んでいるのかもしれねえ」
どこか若々しく口角を上げながら、ドアフレームの上部に手を伸ばした。
「初めてのイタズラ」
カチン、と。
金属の音。
息子の無骨な手には、鍵が握られていた。
「ここに鍵を隠したんだ。無視する親父に腹を立ててな」
「……これは叱られて当然ですね」
(これで、鍵が見つかったのか)
助手はほっと息を吐き、息子の持つ鍵を少し切なそうにみつめた。
「では、早速箱を開けてください」
「お前が開けなくていいのか?」
「言ったでしょう? この謎はあなたに向けられたものだと」
「そうだ、よ。おもい、だいじ」
探偵の鶴の一声により、息子は南京錠で閉じられている木箱を手に取った。
「……すまねえな」
「いえいえ。近くで見られるだけでも光栄というものですよ」
息子は深呼吸を何度もした。
心を落ち着かせているのか、それとも覚悟を決めているのか。
何回。
何十回。
繰り返されるほどに、空気が張り詰めていく。
そして、渇いた唇を舐め、表情を硬くしながら、鍵を挿入していく。
カチリ、と。
軽い音で南京錠が開いた。
箱を開けると、そこに入っていたのは――
「どういう、ことだ……?」
古く変色した原稿用紙の束だった。