俺は、親父の
そう叫んだ西空無礼の息子は、突然駆けだして、外に飛び出した。
「あははははははははははははははは!!!」
まるで、前世からの夢を叶えたかのような高笑いだった。
夕焼けの中を飛ぶカラスの鳴き声すらもかき消し、体の全身から響いているような大音量だった。
「……はじめさん、どうしたんですか?」
「ああ、探偵の助手かっ!」
「様子がおかしいですよ?」
「感謝する。いや、お前には感謝してもしきれない」
口調すらも別人のようで、助手は辟易するしかなかった。
(
あまりの衝撃にめまいがしてよろめく。
しかし、当の本人の息子は小躍りをしている。
「とても清々しい気分だ。俺は今、ついに生まれたんだ。呼吸ってこんなに爽やかだったのかっっ!」
助手は冷や汗を滲ませながら、彼に歩み寄っていく。
「あの、はじめさん」
「ん? なんだ? キスでもしてほしいのか?」
「なんでそうなるんですか!?」
「すまないすまない。なんていうか、世界の全てが愛おしいんだ」
助手は助けを求めるように、探偵の横顔に視線を映した。
すると、彼女は険しい顔をしていた。
「おか、しい」
「……ですが、本人はあんなに嬉しそうにしています」
「たま、しい、いびつ」
「…………」
(こんなの、どうすればよかったんだよ)
途方に暮れていると、ふいに助手と探偵の手が触れ合った。
自然とつなぎ合うと、心が落ち着いていく。
すると突然、パチパチパチ、と拍手の音が聞こえて、とっさに振り返った。
「素晴らしいッッッッ!!!!」
今の西空無礼の息子の姿を見つめながら、二階堂依頼人は涙を流していた。
「これこそが西空先生が描いた世界。ロマン!!! 先生の作品はついに、完成したのですっ!」
完全に自分の世界に入り込んでいた。
狂っていた。
常軌を逸していた。
瞳の光が歪んでいた。
「ああ、素晴らしい。今日は素晴らしい日です」
「そうですわね。とても素晴らしいお日柄です」
「……え?」
突如。
本当に、突如だった。
その場にいる誰もが、直前まで彼女の存在を感じ取れなかった。
金髪にサファイアの瞳。
セーラー服を身に着けているのに、上品な雰囲気を漂わせている。
そして、彼女の隣には、ゾンビのように虚ろな状態の男。
(あの時の金髪の女子高生? なんでここに……?)
助手は頭が追い付かず、全く動くことが出来なかった。
それが致命的なミスだと知らずに。
「あなた、とても魂が穢れていて、とっても素晴らしいですわね」
金髪の女子高生が、二階堂依頼人に近づいていく。
ほとんど密着しているほどまでに。
「感謝してくださいまし。あなたはこのために生まれてきたのですよ」
唇が重なり合った。
「――なっ!」
いきなり現れた少女にキスをされる。
それはかなり不可解で、衝撃的な出来事だっただろう。
しかし、二階堂依頼人の顔は徐々に蕩けていき、そして、干からびていく。
筋骨隆々だった肉体すらもしぼんでいき、肉と骨だけに変化していく。
まるで、精気や魂を吸いつくされたみたいに。
(……これって)
探偵や勇者の同類。
そう考えるのが自然だ。
助手はそう考えて、探偵に声を掛けようとして、動きを止めた。
「……探偵さん?」
探偵は驚愕に目を見開き、顔を真っ赤にしていた。
ここまで感情をあらわにしている姿を、助手は見たことがない。
一体、何が彼女の心をそこまで揺らしたのだろうか。
その答えは、薄い唇からついて出た。
「おと、うと」
おと、うと。
おとうと。
弟。
(彼が、探偵さんの弟……? 生きているのか……?)
探偵の弟らしき人物は、まるでゾンビのようになっている。
目の焦点は定まっておらず、うわごとしか呟いていない。
「おとうと!!!!!」
まるで弾丸のように、探偵が駆け出した。
焦燥。
期待。
絶望。
愛情。
憤怒。
安心。
恐怖。
彼女の顔はグチャグチャになっていて、イヤな予感がした。
さっきまで握っていた左手は弾き飛ばされていて、必死に右手を伸ばしていく。
肩が外れようとも、腕が吹き飛んでもかまわない。
このまま行かせてはいけない。
絶対に悲惨なことになる。
彼女の悲しむ顔を見たくない。
「待ってくださいっ!」
「じゃまッッッッッ!!!!!!!!」
手を弾かれて、助手は冷たい地面に倒れ込んだ。
「……………………え?」
右手首はあらぬ方向に曲がり、指もグチャグチャにひしゃげてしまっている。
しかし、そんな痛みなんてどうでもよかった。
自分の伸ばした手を、探偵が――根黒マンサが拒絶した。
森の中で突然現れた彼女を拾って、一緒に根黒探偵事務所を始めて、一年以上の時間を共有してきた。
その間、喧嘩は何度もあった。
だけど、最終的に一緒にいることを選び続けた。
そんな信頼関係があったからこそ、助手は想像すらしていなかった。
自分の手が跳ねのけられるなんて――
「あなた! 一体なんですの!?」
「かえせッッッ!!!!!!」
「ちょっ!? とりあえず逃げますわよ、あ♡な♡た♡」
「まてッッッッッッ!!!!!!!」
銀髪の美少女と、金髪の女子高生は空を飛び、不思議な力をぶつけあっている。
まるでファンタジーバトルのような攻防。
すぐ近くには干からびた依頼人の死体。
必死に呼びかける西空無礼の息子。
そんな鮮烈な光景は、助手の目に一切映っていなかった。
いや、映っていても、全く認識できていない。
「…………なんで」
金髪の女子高生は巨大な火の鳥に乗り、高速でどこかへと消え、探偵は空を飛翔し追いかけていく。
助手は誰もいなくなった夕空を、眺めることしかできなかった。