暗闇に染まった山奥で、イノシシが倒れた。
自然に死んだわけでも、ハンターの猟銃で命を奪われたわけでもない。
銀髪少女のか細い腕が、イノシシの急所を的確に撃ち抜き、静かに絶命させていた。
「……ふう」
目の前にいる。いや、今は探偵と名乗っていいのかな?
探偵事務所に帰っていないし、助手に会うのもこわい。
そもそも、わたしは全く探偵らしいことをしていなくて、ほとんど助手の後をついていくだけだった。
だから、助手がつけてくれた名前を自称していこう。
根黒マンサ。
今からわたしは根黒マンサ。ただの根黒マンサ。
探偵――いや、根黒マンサはそう心に決めて、仕留めたイノシシに向き直った。
「たいりょう、だ」
ここまで大きなイノシシを仕留めなくてもよかったかも?
でも、他に食べられる動物は見当たらなかったし。
多分だけど、このイノシシが暴れていたせいかな?
もし食べきれなくなったら、いろんな動物が死肉を漁る。
まあ、それでもいいか。キレイに食べようとする人間の方が異常なんだから。
そこまで一瞬で考えて、根黒マンサは一息ついた。
「何をやっているのかい、マイリトルプリンセス。って、うお!? イノシシ!?」
驚いていた男は、勇者だ。
弟の行方を追うために、根黒マンサが呼び出していた。
呼べばやってくる。それが勇者という存在。
「これが夕飯かい? 中々豪勢だ」
「やけ、ない」
「じゃあ、僕が焼いてあげるよ。これでも勇者として」
「よろ、しく」
それから、勇者はイノシシを華麗に解体し、調理を始めた。
勇者には焚火も必要ない。
魔法を使えば、どんな一流料理人にだって負けるわけがない。
火加減の調整も自由自在で、焼き加減すらも正確に把握することができる。
そんな自慢話を聞き流しながら、根黒マンサは炎をぼんやりと見つめていた。
すると、自然とある思い出がよみがえってきた。
「ばー、べ、きゅー」
「バーベキュー? 何のことだい?」
「じょしゅと、ままと、たべ、た」
「ああ。そういう名前の料理かい?」
そうじゃなくて、バーベキューっていう外でお肉を焼いて食べるイベント。
根黒マンサはそう言いたかったけど、どうしても口が回ってくれなくて「ぁ……ぁ……」としか出せなかった。
一部の考えしか伝えてくれない口。
自分の体の一部なのに、いつも思い通りに動いてくれない。
結局、勇者は料理に集中し始めて、それ以降の会話はなかった。
そして数分後、ようやく根黒マンサは食事にありつけた。
こんがり焼けたイノシシ肉。
「命に感謝を」
「いただき、ます」
よく香辛料がすり込まれており、臭みもあまり感じない。
少し肉が固いが、その方が根黒マンサの好みだった。
だけど、表情はどこか暗い。
「……うーん」
うーん、あの時のお肉と比べると、あまりおいしくないなぁ。
新鮮さはあまり変わらないはずだけど、何が違うのか。
あの時のイノシシはなぜか甘く感じた。
それがなんでおいしく感じたか、理由がわかっているからこそ、根黒マンサは「……はあ」とため息をついた。
「すまない。探知に時間がかかってしまって。かなり厄介な相手みたいだ。ダミーがいくつも用意されている。手口から見ると、召喚士。しかも最低でも英雄クラスの。しかし、僕の力量不足には変わりない」
根黒マンサのため息の理由を勘違いしたのか、勇者が頭を下げた。
本当はそうじゃないって説明したい。
だけど自分の口が信用できなくて、根黒マンサはすぐに諦める。
いつものことだ、と。
「なら、しょうが、ない」
「そう言ってもらえると助かる」
それから、お互いに黙ってご飯を食べきった。
根黒マンサと勇者は一緒にいると、無言の時間が多い。
勇者は常に何か話題がないかと考えている様子だが、根黒マンサの頭の中は他の男のことでいっぱいだ。
「あの男のことを考えているのかい?」
「じょ、しゅ」
苦虫を噛みしめたような表情を浮かべる勇者。
「あの男のこと、そんなに好き?」
「うん、すき、だよ」
「――っ!」
根黒マンサの顔を見て、勇者は目を見開いた。
どんな顔をしていたのだろう、と彼女は考える。
「一体、どんな出会いをしたんだい? 僕よりも劇的なのかい?」
「んー。なが、い」
「……じゃあ、やめておこう。僕の心臓がもたなさそうだ」
それから、勇者は立ったまま目を閉じた。
おそらくは臨戦態勢で寝ているのかな。
勇者はそういうことが出来るからなぁ。
魔力を持った誰かに呼ばれれば強制的に転移させられ、戦うことになる。
その呪いにも似た力のせいで、勇者は現代日本に転移してきているからなぁ。
正直、それについてはごめんって思っている。
でも、意外とこっちでの生活を満喫しているみたいだし、いいのかな?
普段は工事現場で働いているみたい。
「…………」
そこまで考えて、根黒マンサは空を仰いだ。
満点の星空。
思い出すのは、旅館の一室で見たプラネタリウム。
そして、その時一緒にいた、青年の顔。
「んー、げんき、かなぁ」
助手。
会いたい。
寝顔を眺めたいし、こっそりほっぺにキスもしたい。
横顔も好きだし、いつもの顔も好き。
困っている顔も、カッコつけている顔も、情けない顔も、全部全部覚えている。
手を握った時は心臓が高鳴って、全身が甘く痺れて、天国に行きそうになっちゃった。
ネクロマンサーだけど。
わたしの気持ちってどこまで伝わっているのかな。
助手は変なところではぐらかすから、よくわからない。
「…………ぁ」
フラッシュバックしたのは、助手の絶望した顔。
じゃま。
その一言で、傷つけてしまった。
手をグチャグチャにしちゃった。
あの時は本当に焦っていて、気が動転していて、おかしかった。
すぐ謝れてもないし。
これって、嫌われるよね。
ああ、でも、弟も助手と同じくらい大事。
孤独なわたしを救ってくれた、はじめての人だから。
どうすればいいんだろう。
「……じょ、しゅ」
弟の名前に似ているし、彼をこう呼ぶのがすごく好きだった。
わたしの口は、この4文字をどれだけ発したのかな?
100回? 1000回? もっと?
たった1年ちょっとで、いっぱいいっぱい呼んだ気がする。
でも、まだまだ呼び足りない。わたしの言葉のすべてを彼で埋め尽くしたい。
一緒にいる時も好きだったけど、離れた今はもっと愛おしい。好き。大好き。
離れたくない。
一緒にいたい。
ずっとずっと話していたい。
手を繋いでいたい。
でも、もうダメなのかな。
ああ、わたしはこれから、どうなっちゃうんだろう。
根黒マンサはおもむろに水筒を取り出して、水を一気に飲み干した。
でも、全然満たされてなくて、潤わなくて、ふさぎこむように丸くなるのだった。