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最終章 2人でいるということ

第31話 根黒マンサのひとりごと ①

 暗闇に染まった山奥で、イノシシが倒れた。


 自然に死んだわけでも、ハンターの猟銃で命を奪われたわけでもない。

 銀髪少女のか細い腕が、イノシシの急所を的確に撃ち抜き、静かに絶命させていた。



「……ふう」



 目の前にいる。いや、今は探偵と名乗っていいのかな?

 探偵事務所に帰っていないし、助手に会うのもこわい。


 そもそも、わたしは全く探偵らしいことをしていなくて、ほとんど助手の後をついていくだけだった。


 だから、助手がつけてくれた名前を自称していこう。

 根黒マンサ。

 今からわたしは根黒マンサ。ただの根黒マンサ。


 探偵――いや、根黒マンサはそう心に決めて、仕留めたイノシシに向き直った。



「たいりょう、だ」



 ここまで大きなイノシシを仕留めなくてもよかったかも?


 でも、他に食べられる動物は見当たらなかったし。

 多分だけど、このイノシシが暴れていたせいかな?

 もし食べきれなくなったら、いろんな動物が死肉を漁る。

 まあ、それでもいいか。キレイに食べようとする人間の方が異常なんだから。


 そこまで一瞬で考えて、根黒マンサは一息ついた。



「何をやっているのかい、マイリトルプリンセス。って、うお!? イノシシ!?」



 驚いていた男は、勇者だ。

 弟の行方を追うために、根黒マンサが呼び出していた。


 呼べばやってくる。それが勇者という存在。



「これが夕飯かい? 中々豪勢だ」

「やけ、ない」

「じゃあ、僕が焼いてあげるよ。これでも勇者として」

「よろ、しく」



 それから、勇者はイノシシを華麗に解体し、調理を始めた。

 勇者には焚火も必要ない。

 魔法を使えば、どんな一流料理人にだって負けるわけがない。

 火加減の調整も自由自在で、焼き加減すらも正確に把握することができる。


 そんな自慢話を聞き流しながら、根黒マンサは炎をぼんやりと見つめていた。


 すると、自然とある思い出がよみがえってきた。



「ばー、べ、きゅー」

「バーベキュー? 何のことだい?」

「じょしゅと、ままと、たべ、た」

「ああ。そういう名前の料理かい?」



 そうじゃなくて、バーベキューっていう外でお肉を焼いて食べるイベント。

 根黒マンサはそう言いたかったけど、どうしても口が回ってくれなくて「ぁ……ぁ……」としか出せなかった。


 一部の考えしか伝えてくれない口。

 自分の体の一部なのに、いつも思い通りに動いてくれない。


 結局、勇者は料理に集中し始めて、それ以降の会話はなかった。


 そして数分後、ようやく根黒マンサは食事にありつけた。


 こんがり焼けたイノシシ肉。



「命に感謝を」

「いただき、ます」



 よく香辛料がすり込まれており、臭みもあまり感じない。

 少し肉が固いが、その方が根黒マンサの好みだった。


 だけど、表情はどこか暗い。



「……うーん」



 うーん、あの時のお肉と比べると、あまりおいしくないなぁ。


 新鮮さはあまり変わらないはずだけど、何が違うのか。

 あの時のイノシシはなぜか甘く感じた。


 それがなんでおいしく感じたか、理由がわかっているからこそ、根黒マンサは「……はあ」とため息をついた。



「すまない。探知に時間がかかってしまって。かなり厄介な相手みたいだ。ダミーがいくつも用意されている。手口から見ると、召喚士。しかも最低でも英雄クラスの。しかし、僕の力量不足には変わりない」



 根黒マンサのため息の理由を勘違いしたのか、勇者が頭を下げた。


 本当はそうじゃないって説明したい。

 だけど自分の口が信用できなくて、根黒マンサはすぐに諦める。

 いつものことだ、と。



「なら、しょうが、ない」

「そう言ってもらえると助かる」



 それから、お互いに黙ってご飯を食べきった。

 根黒マンサと勇者は一緒にいると、無言の時間が多い。


 勇者は常に何か話題がないかと考えている様子だが、根黒マンサの頭の中は他の男のことでいっぱいだ。



「あの男のことを考えているのかい?」

「じょ、しゅ」



 苦虫を噛みしめたような表情を浮かべる勇者。



「あの男のこと、そんなに好き?」

「うん、すき、だよ」

「――っ!」



 根黒マンサの顔を見て、勇者は目を見開いた。


 どんな顔をしていたのだろう、と彼女は考える。



「一体、どんな出会いをしたんだい? 僕よりも劇的なのかい?」

「んー。なが、い」

「……じゃあ、やめておこう。僕の心臓がもたなさそうだ」



 それから、勇者は立ったまま目を閉じた。

 おそらくは臨戦態勢で寝ているのかな。

 勇者はそういうことが出来るからなぁ。


 魔力を持った誰かに呼ばれれば強制的に転移させられ、戦うことになる。

 その呪いにも似た力のせいで、勇者は現代日本に転移してきているからなぁ。


 正直、それについてはごめんって思っている。

 でも、意外とこっちでの生活を満喫しているみたいだし、いいのかな?


 普段は工事現場で働いているみたい。



「…………」



 そこまで考えて、根黒マンサは空を仰いだ。


 満点の星空。

 思い出すのは、旅館の一室で見たプラネタリウム。


 そして、その時一緒にいた、青年の顔。



「んー、げんき、かなぁ」



 助手。

 会いたい。

 寝顔を眺めたいし、こっそりほっぺにキスもしたい。


 横顔も好きだし、いつもの顔も好き。

 困っている顔も、カッコつけている顔も、情けない顔も、全部全部覚えている。


 手を握った時は心臓が高鳴って、全身が甘く痺れて、天国に行きそうになっちゃった。

 ネクロマンサーだけど。


 わたしの気持ちってどこまで伝わっているのかな。


 助手は変なところではぐらかすから、よくわからない。



「…………ぁ」



 フラッシュバックしたのは、助手の絶望した顔。

 じゃま。

 その一言で、傷つけてしまった。

 手をグチャグチャにしちゃった。


 あの時は本当に焦っていて、気が動転していて、おかしかった。


 すぐ謝れてもないし。

 これって、嫌われるよね。


 ああ、でも、弟も助手と同じくらい大事。

 孤独なわたしを救ってくれた、はじめての人だから。


 どうすればいいんだろう。



「……じょ、しゅ」



 弟の名前に似ているし、彼をこう呼ぶのがすごく好きだった。

 わたしの口は、この4文字をどれだけ発したのかな?

 100回? 1000回? もっと?


 たった1年ちょっとで、いっぱいいっぱい呼んだ気がする。


 でも、まだまだ呼び足りない。わたしの言葉のすべてを彼で埋め尽くしたい。

 一緒にいる時も好きだったけど、離れた今はもっと愛おしい。好き。大好き。

 離れたくない。

 一緒にいたい。

 ずっとずっと話していたい。

 手を繋いでいたい。


 でも、もうダメなのかな。



 ああ、わたしはこれから、どうなっちゃうんだろう。



 根黒マンサはおもむろに水筒を取り出して、水を一気に飲み干した。

 でも、全然満たされてなくて、潤わなくて、ふさぎこむように丸くなるのだった。

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