その時のオレは、森の中で自分の服を燃やしていた。
春風でゆらゆらと揺れる火を見ていると、自分の人生が脳裏に浮かんだ。
たった27年の人生。
思い返すと、とても短くて、ちっぽけなものだった。
特に裕福でもなく、社内恋愛で結婚した両親の元で生まれ、そこそこ充実した幼少期を過ごした。
そういえば、幼い頃に誰かを助けて「ヒーロー」と呼ばれた気がする。相手は誰だったかな。うまく思い出せないし、女の子ではなかったのだろう。だけど、すごく嬉しくて、本当にヒーローを目指そうと思ったことは覚えている。
小学校の頃は、オレの全盛期だった。
テストで満点を取るのは当然。運動神経もよく、学級委員長もこなしていた。
だけど、単純にオレが優秀すぎたからじゃない。頭の中で聞こえてくる、不思議な声のお陰でもあった。
オレが頭の中で疑問に思えば、なんでも答えてくれる。どんな時も寄り添ってくれる。まるで、オレだけの神様みたいな存在だった。
いつの間にかヒーローとかもどうでもよくなって、とにかく自分が中心じゃないと我慢ができなくなった。
多分、周りから見たらヒーローどころか怪人みたいになっていたと思う。
中学生になる頃には、頭の中の声は全く聞こえなくなっていた。
ずっとあの声に頼っていたせいで、オレには何も身についていなかった。
勉強がわからない。定期テストで赤点を取った時は、3日ほど寝込んでしまった。
周囲はメキメキと力をつけていくのに、得意だったサッカーもベンチにいることばかりになった。
何もかもがうまくいかなくなって、どんどん荒れていく日々。
結果、残ったのは『元神童』という冷笑だけだった。
十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人。
それからの人生は、特別なことは何もなかった。
無難な工業高校に入って、特に面白くもない授業を受けて、フライス盤——工作機械で指を飛ばした友達を
慰めたりしていた。
そこそこ楽しかったけど、心の片隅ではずっと思っていた。
こんなはずじゃなかったのに。
そして、約2年前、お母さんがガンだと診断された。
かなりの無茶をしていたみたいで、自覚症状があったのに、無理矢理動いていたらしい。
お母さんは暗い顔で教えてくれた。
これから治療が始まること。余命を宣告されたこと。
この時、隣に座っていたお父さんの顔を、どうしても思い出せない。いや、そもそも見る余裕もなかったのかもしれない。
まあ、どっちにしても結果は変わらなかっただろう。
次の日、お父さんは荷物をまとめて、家を出ていった。
それ以来、行方は知らない。
オレが母さんの面倒を見続けた。
お金に余裕がなかったからアルバイトしながらだったけど、今思えばそこそこ楽しかった。
親孝行。
介護。
確かに大変なことはいっぱいあったし、理不尽に八つ当たりされることもあった。
まだ20代なのに、親のおむつを交換するのも、ドラッグストアで買うのも、かなり辛かった。
でも、大事な人のために必死になっている時間を、どこか嬉しく感じている自分もいた。
とにかく、お母さんの面倒を最後まで見ることだけを考えるようになった。
この後どうなってもいい。
自分の将来は捨てても構わない。
そして、その時はやってきた。
最期に、お母さんは言っていた。
――ごめんね。あなたは私の本当の子供じゃないの。
息を引き取る前は、不思議なことを言うらしい。
きっと、そういう虚言だったんじゃないか。そう思わずにはいられなかった。
葬式を開くと親戚にも出会ったけど、事情を訊く気には到底なれなかった。
それから半年は、なんとか生活できていた。
アルバイトに精をだしていたけど、徐々にミスが増えて、頭が回らなくなって、周囲から心配されるようになった。
そして、ある日。
ベッドから起きると、涙が止まらなくなった。
泣きたくないのに、涙が止まらない。
頭がずっと締め付けられている感じがして、視界をぼんやりとしか認識できない。
辛い。
助けて。
でも、もう助けてくれる人はいない。
自分が助けないといけない人もいない。
それが悲しくて虚しくて、また泣くしかないけど、なんとか力を振り絞って、近くの精神病院に電話を掛けた。
受診すると、適応障害と言われて、軽い向精神薬を出された。
だけど、担当した先生がかなりの若手で、ナースに叱られている姿を見ると、2度と通う気になれなかった。
そして、しばらく経つと、なんかいろいろと、漠然とどうでもよくなった。
だから、オレは今、この森の中に来ている。
念のため火事にならないように注意して、火種が燃え尽きるのを見届けると、最後の準備が完了した。
周りを見渡すと濃い朝靄が覆っているけど、煙が隠れるから都合がいい。
服を燃やしたのは、自分を追い込むためだった。
もう服はない。帰ることもできない。
身分証も、全部燃やしてしまった。
すごく恥ずかしいことを書きなぐった遺書も置いてきた。きっと、誰も見つけないだろうけど。
もう準備は万端。
あとは目の前の輪っかに首を通して、簡素なアウトドアチェアを蹴るだけ。
だからさっさと死ねよ、自分。
何をしているんだ。
もうお前はとっくに詰んでるんだよ。
生きている意味なんてどこにもない。
死ぬのが怖いのか? 生きているほうがもっと怖いだろ。
生きているのが辛くて、悔しくて、居たたまれなくて、寂しくて――
だからさあ。
このいくじなし。
死ねよ。
アホかよ。
死ねよ。
簡単だろ。
死ねよ。
きもいんだよ。
死ねよ。
さっさと死ねよ。
死ねよッッッッッッッッ!!!!!
——————————————っ!
『ねえ、本当にいいの?』
ふと、声が聞こえてきた。
おそらくは未練がましい自分だったのだと思う。
『このまま死んだら、君の生きた意味はなんだったの?』
知らねえよ。
そんなの、考えたくもない。
『地獄におちるかもよ?』
それでもいいじゃないか。
どうせ、お母さんに合わせる顔なんてない。
『僕は君に死んでほしくない』
そりゃそうだろ。お前も死ぬんだから。
お前はオレだ。
『……もう、あの時の君じゃないんだね』
どういうことだ?
お前はオレじゃ――
『お願い、たすけて。■■■■』
おそらくは誰かの名前だったのだろう。
独特すぎて、聞き取れなかった。
次の瞬間、まばゆい光が周囲を包んだ。
まるで太陽が目の前で昇っているような、まばゆい光。
徐々に収まってくると、ようやく目を開けることができた。
「ん…………?」
前の前に、女の子がいた。
さっきまでは影も形もなかったはずなのに。
銀髪で、サファイアの瞳。なぜか服を着ていなくて、とても骨ばった体の全てが空気にさらされていた。
そして、何より目を引いたのは、顔色。
素人目でもとてもひどく、虫に触れられるだけでも倒れそうなほどに不安定に見えた。
呆けて何も言えずにいると、彼女の薄い唇が開いて、振り絞ったような声が響く。
「きみ、だれ?」
「いや、オレのセリフなんだが」
その時のオレは、全く予想すらしていなかった。
この少女——根黒マンサが、オレの人生に大きく食い込んでくることを。