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第36話 いくじなしの自称・名助手 ⑤

 自殺しようと名所である森に入り、自分の人生を終わらせようとしていた。

 しかし探偵と出会い、彼女の存在のお陰で前向きになり、最終的に血のつながった人間の死体が近くにあることを告げられた。


 そこまで話して、助手はお茶に口をつけた。



「まあ、その後いろいろあって、この根黒探偵事務所を探偵さんと一緒に始めることになったんですよ」

「ちょっと待って。話しを端折はしょりすぎよ?」

「親父との会話については話したくありません。あまりにも胸糞だったので。それに、もう死んだ人の名誉を汚す必要はないでしょう」

「あら、今まで散々、探偵業として他人の死体を暴いてきたのに?」

「ダブスタと言われようとも、話すつもりはありません」



 助手は素知らぬ顔で言い切った。

 絶対に話さない、という固い意志が感じられて、一ノ瀬管理人もそれを察したのだろう。



「ねえ、これだけは教えてくれない?」

「わかりましたよ」

「まだ何も言ってないわよ」

「それぐらい、予想できますよ」



 助手は一瞬、言葉に詰まった。

 自分の父親の尊厳を守ろうとする気持ちと、貶したいという気持ちがせめぎ合い、中々文章が定まらなかった。


 結局、完成したのは淡泊な文。



「……近くで死んでいたのは、オレを育ててくれた父親でした。近縁ではありますが、実の父親ではなかった。そして、その男は自己中心的な人間で、オレの母親に頼まれた手前、いい親を演じていただけだった。それだけです」



 これだけで、どこまで伝わるだろうか。

 しかし、助手にとってはこれが精いっぱい譲歩した結果だった。



「そう」



 まるで離婚を切り出した時のような重々しい空気の中、沈黙が続いた。



「随分、複雑な家庭だったのね」



 ため息混じりの、しみじみとした声音だった。



「ずっと知らずに過ごしていましたけどね。どうせなら、永遠に知りたくなかった」

「でしょうね」



 助手にとっては、母親の介護をしていた時期のことよりも、思い出したくない記憶だった。

 父親の顔が思い浮かぶだけで、自然と最悪な気分になる程だ。



「それで、その後どうなったの? マンサちゃんとあなたは」

「知っての通り、一緒にこの根黒探偵事務所を始めたんですよ」

「どっちから持ちかけたの?」

「……オレからですよ」

「それはどうして? 適当に放置しても良かったんじゃないかしら?」



(そこまで根掘り葉掘り訊いてくるのかよ)



 助手は怪訝な顔をしたが、一ノ瀬管理人のどこか包容力のある表情を見て、はぐらかす気になれなくなってしまった。



「放っておけるわけないじゃないですか。色んな意味で」

「色んな意味、ねえ」



 助手は、ニヤニヤするな! と心の中で叫んだ。



「根黒マンサ。この名前、手島くんが付けたんでしょ?」

「何が言いたいんですか?」

「安直すぎない? ネクロマンサーだから根黒ねくろマンサ」

「最初は完全に冗談のつもりでしたよ、なぜか探偵さんが気に入ってしまったので」



 助手が苦笑すると、一ノ瀬管理人が大人しめに顔をほころばせた。



「ネクロマンスのこと大好きだからねぇ、あの子」

「全くですよ。まあ、気持ちは分かりますけど」



 一ノ瀬管理人は「まあ、そういうところもかわいいけど」と付け足した。



「それで、なんで探偵業にしたの? 他にも色々あるでしょ?」

「……あの人の力をうまく使うとしたら、それしか無いと思ったからですよ。探偵さんの弟を探す一助にもなりますし」

「別に飲食店でもよかったんじゃない? マンサちゃんがいるだけでも、そこそこ繁盛しそう」

「探偵さんに接客は無理ですよ。人を殺しかねません」

「……うわぁ」



 銀髪の美少女がセクハラオヤジを半殺しにする。一ノ瀬管理人の頭の中に、そんな光景が浮かんでしまったのだろう。



「……なるほどねぇ。何となくわかったわ」



 パン、と。

 突然、一ノ瀬管理人が手を叩いた。



「さて、そろそろ仲直りしたくなってきたんじゃない?」



(そう持ってくるのか)



 助手は呆れたように肩をすくめた。



「色々と思い出しても、オレの心は揺るがないですよ。逆に、固くなったかもしれません」

「強情ねぇ。誰に似たのかしら」

「あの育ての親に似ていないことを祈るばかりです」

「まあ、いいわ」



 お茶を飲み干すと、優雅に立ち上がる一ノ瀬管理人。

 彼女の顔はどこかご満悦だ。



「満足しましたか?」

「満足はしたわ。そこそこね」

「それは上々ですね」



 一ノ瀬管理人は「ねえ」と呼びかけながら、真剣な表情に変わった。



「私の依頼が終わった後、マンサちゃんと喧嘩したんでしょ?」

「喧嘩と言っていいかわかりませんけどね。倫理観の違いが浮き彫りになっただけでした」

「その時はなんで、ここまで酷い仲にならなかったのかしらね?」

「なんでって……」



 助手の答えを聞かず、彼女はドアを開けた。



「じゃあ、いつでも相談に乗るから」

「……あなたはオレの何なんですか?」

「あら、ママよ?」

「そんなわけないですよ。オレのお母さんはひとりだけです」

「そうでしょうね。でも、私は息子のように思っているの」



 どう反応していいか分からず、助手は眉をひそめた。



「じゃあ、ちゃんと歯を磨くのよー」



 それだけ言い残すと、一ノ瀬管理人は根黒探偵事務所から出ていった。

 またひとりになった助手は、深いため息をつく。



(そういえば今日、本当に歯を磨いていないな)



 洗面所に向かい、歯ブラシを取ろうとして、一瞬手が止まった。

 探偵専用の歯ブラシとコップが置いてあったのだ。

 100均で買ったものだが、助手の歯磨きセットと色違いだ。



「あ、もう探偵さんの歯ブラシ、ボサボサになってる」



(予備はあったはずだよな)



 だけど、なぜか捨てる気にもなれず、とりあえず歯磨きを始めた。

 鏡に映る自分があまりにもみっともなくて、顔を背けて。


 ただ手を動かしている時間が暇で、さっきの一ノ瀬管理人の言葉が浮かんでくる。



――その時はなんで、ここまで酷い仲にならなかったのかしらね?



 助手は、その時——つまり、一ノ瀬いちごの事件を解決した後の会話を思い出していく。



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『本当に、この世界って酷いですよね。なんでこんな所に生まれてしまったんでしょう。それとも、オレにこの世界を生きる才能がないだけですか?』

『じょしゅと、いっしょ、たのしい、よ?』



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『……探偵さんって、意外とかわいくないですよね』

『うん、しって、る』



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『ごはんまでに、かえって、きて、ね』

『……ご飯つくるの、オレですけど』

『つくって、あげる?』

『やめてください。どうせ蛮族みたいな料理でしょう? 豚の丸焼きとか』

『やくの、にがて。にる、なんとか、できる』



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 一言一言思い出していくほどに、確信していく。



(ずっと、寄り添われていた? 探偵さんはオレにずっと向き合い続けていた?)



 一度意識すると、胸の中がザワザワし始めた。

 その感覚は徐々に大きくなり、唇が乾いて、唾を飲み込む。



(だから、すぐに仲直りできた……?)



 その事実が、胸に突き刺さる。

 同時に、助手は自分の頭を強く叩いた。


 拳も頭も痛い。だけど、そうしないと冷静になれそうになかったのだ。



(オレも探偵さんと仲直りしたい、けど……)



 次の瞬間、西空無礼の顔が浮かんだ。

 尊敬するミステリー作家。

 そして、ロマンを追い求め、実現した男。


 ロマン。


 現実を変えたいと願う原動力。


 今のロマンはなんだろうか。

 根黒マンサ。

 助手。


 彼女とどうなりたいのか。

 彼女のことをどう思っていたいのか。


 それが、明確にイメージされていく。



「あ――――――――も――――――――!!!!」



 頭を掻きむしり、絶叫した。



「くそっ! やってやるよ!!!!」



 助手は力の限り、呼ぶ。



「勇者ッッッッ!!!」



 普通ならば、叫ぶだけでは意味がないはずだ。


 しかし、勇者は突然、助手の目の前に現れた。


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