助手に呼び出されてワープしてきた勇者は、周囲を一瞥した後、目を大きく見開いた。
「君が呼んだのかい?」
「呼べる気がしたので。探偵さんと一緒にいるのではないですか? 場所を教えてください」
「……僕を呼び出せるのは、魔力を持った人間だけだ。この世界の人間が呼べるわけがない」
「そんなことはどうでもいいでしょう」
「なんなんだ、君は」
助手はひょうひょうとした態度で肩をすくめた。
実はただのはったりなのだが、そうは見えない。
「まあ、いいだろう。なんだっけ、マイリトルプリンセスの居場所だったかな。別に君は知る必要はないんじゃないかい?」
勇者は助手の、ギプスに包まれた右手を見ながら言った。
つまり、こう言いたいのだろう。
お前は拒絶されたんだから、もう会わなくていいだろ、と。
「そうですよ。だから、慰謝料を請求するために会いたいんです」
「じゃあ、僕が言伝を預かっていくよ。それで問題ないだろう?」
「いいえ。」
「君もわかってないなぁ」
普段はどこか余裕があるのに、今はかなり苛立った声色だった。
「僕は彼女にプロポーズしたよ。そしたら、結婚しようと受けてくれたよ」
言い切った勇者の顔は、とてもプロポーズに成功した男には見えなかった。
どこか陰りがあって、自暴自棄になっているような、危うい感覚。
「ああ、そうですか。だから、なんなんですか」
「わからないのかい? もう、君の出る幕じゃない」
「あなた達が結婚しようが、オレは彼女についていきます。絶対に」
「異世界に変えるよ?」
「いいですね。行ってみたかったんですよ」
「君は常識がないのかい?」
「常識なんて、彼女と出会った時の情熱で、全部炭になってしまいましたよ」
勇者に睨みつけられても、助手は退かない。
それどころか、近づいていく。
勇者も根黒マンサに匹敵する化け物と知っていながら。
「なぜ、そこまでするんだ」
「責任をとってもらうためです」
「責任? 何のだい? まさか『オレの心を奪った責任ですよ』なんて月並みなことは言わないよな?」
「そんなレベルの話じゃありませんよ」
ゆっくりと息を吸って、助手は叫ぶ。
「オレは、彼女に性癖を歪められたんですよっっっ!!!」
勇者の「へ?」という情けない声を無視して、まくしたてていく。
「彼女に出会ってからというもの、女の好みがまるで変ってしまったんですよ。豊満な人を下品にしか見えなくなってしまった。彼女の平らな胸と肋骨にしゃぶりつきたくて、あのしなやかな足に踏まれたくて、華奢な体を抱きしめたくて、押し倒したらどんな表情をするんだろう、って考えない日はなかった!」
わなわなと震える勇者。
「不純な!!!!」
「これは純粋な想いですよ。純愛です。純度100パーセントの下心の何が悪いんですかっ!」
「やめろやめろやめろっ! 君の妄想で彼女を汚すな。気持ちが悪い。吐き気がするっ!」
「あなたは一度も想像したことがないんですか? オレは毎日、彼女に隠れてトイレの中でシコってましたよ」
「シコ!?!?」
勇者は
「なぜ、それを僕に打ち明ける……?」
「あなたなら、理解してくれると思ったのですが」
「……狂っている」
「ああ、今、オレは狂っていますよ。愛に狂っている。恋に恋している。ロマンに溺れていますよ。それがなんですか。オレの自由じゃないですか」
助手の言葉を聞いて、勇者の顔がさらに赤くなった。
しかし、照れではない。
「ふざけるなっっっ!!!!」
クールにすましていた勇者の姿はどこにもない。
「何がロマンだ!!! 何が愛だ、恋だっっっ!!!」
感情的に、顔を歪めている。
「僕は勇者だ。勇者として生まれて、勇者として育てられた。母は薬漬けになって死んだっ! 僕を勇者に――1年で初めて生まれた男にするためにっ!」
本音なのだろう。
「僕には義務があるっ! 強い女性と結ばれ、そして、次の世代の勇者に託す。僕の世代では魔王は殺せないかもしれない。しかし、どれだけの屍を積み重ねようとも、必ず成し遂げる。それが僕の家に課された宿命だッッッ!!!」
あまりにも大きな叫び声に書類が飛び、ガラスが割れる。
しかし、助手は勇者の顔をただ見ている。
少年らしい、青臭い顔を。
「くだらない」
「……なに?」
「愛も恋も自分磨きも知らない男が、1人の女を幸せにできるわけがない」
「さっきから気持ち悪いんだよっ!!!! 敬語をやめろよっ! 余裕ぶりやがってっっっ!!!」
「シイモ・イサマ!!!!!!」
勇者は驚愕したまま固まった。
「なんで、僕の名前を……」
「さあ、教えてください。根黒マンサは今、どこにいるんですか?」
勇者は穴が開きそうなほど、助手の顔を見ている。
いや、それよりも深い場所を見ているように、助手は感じた。
「……そうか。君の魂は」
一気に静まり返った探偵事務所。
勇者は床に散らばっていた紙とペンを取り、何かを書き込んでいく。
「ここだ」
助手が投げ渡されたのは、地図だった。
「彼女の弟を救出することには全力を尽くす。それが、僕なりのけじめだ」
「ありがとうございます。流石勇者です」
助手にとっては、純粋な感謝だった。
しかし、次の瞬間には頬に強い衝撃を受けて、吹き飛ばされていた。
「よし! スッキリした!」
「やり返してもいいんですよね?」
「……殴れるもんなら、殴ってみろ」
助手は挑発に乗って、勇者の頬を思いっきりぶん殴った。
しかし、腰も入っていなければ、拳の握り方すら間違っている。
「全然痛くないな」
「こっちの拳が折れそうなんですがっ!」
「ははっ!」
鼻で嗤った。
「あははははははははははははは!!!」
今度は腹を抱えて、爆笑している。
「こんな弱っちい男がいるのかよっっ!!!」
助手は勇者を睨みつけようとしたけど、彼の顔を見て、頬を緩めた。
「あーあ、あの女、見る目ねえな。僕を捨てて、こんなやつを選ぶなんて! 結婚する前に気付けてよかったよっっっ!」
まるで青年の主張のような、晴れやかな罵倒。
「じゃあな」
「……ありがとうございます」
「ふん。日を跨ぐ頃に夜襲を掛けるからな。もし間に合わなかったら、彼女を奴隷のように扱って、子供を産むだけの存在にしてやる」
「絶対に、そんなことにはさせません」
助手の顔を見た勇者は、一瞬目を輝かせた後、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……多分、僕には勇者の才能がないんだろうね」
「いえ。今のあなたは勇者ですよ。今のオレにとっては」
「どうだかな」
「ありがとう。あなたは、オレに勇気を分けてくれた。迷わずに、彼女の元に向かえる」
「……ふっ。そうかい」
苦々しく口をゆがめながらも、どこか晴れやかな瞳をしながら、勇者は姿を消した。
おそらく、根黒マンサに呼ばれたのだろう。
助手はひとり残された後、深呼吸を数回して、立ち上がる。
「よし、行くか」
意気揚々とドアを開けると「げっ!」と声を上げた。
一ノ瀬管理人が立っていたのだ。
しかも、自動車の鍵を回しながら。
(聞かれていたのか?)
いや、聞かれていても、助手には動じる理由はない。
少しでも早く、彼女に会いたいから。
「車はご入用かしら?」
「いくらですか?」
「一生奴隷」
「望むところです」
鍵を受け取ると、助手は戦場に赴く戦士のような面持ちをした。
そして、古臭い軽トラに辟易しながら乗ると、大音量でエンジン音を鳴らし――そして、盛大にエンストするのだった。