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第41話 脳を焼かれた青年と、心を奪われた根黒マンサ 前編

 目を覚ますと、知らない天井だった。

 青年は思わず顔をしかめる。


 ふと視線を感じて横を向くと、サファイアの瞳がすぐ近くで覗き込んでいた。



「うわ!?」



 思わず声をあげると、銀髪の美少女が涙ぐんで、オレに抱き着いてきた。



「じょ、しゅ」



 どうしていいかわからず、オレは全く動けなくて、少女の顔をじっと見つめることしかできなかった。



「あの女は今、勇者っぽい人が監視してくれているから」



 未亡人のような女性が言った。



「あの着ていた制服も、目についた子から奪っていたらしいわ。実年齢はアラフォーだったんだから、ふざけた話よね」



 オレが黙っていると、銀髪美少女がさらに顔を近づけてきた。



「じょしゅ、なんとも、ない?」



 じょしゅ。

 じょしゅ?


 えっと、オレの名前なのかな?



「どうした、の?」



 全く状況が分からない。

 だけど、どうしても言わないといけないことがある。



「えっと、あなた達は誰ですか?」



 すぐに、その言葉を発したことを後悔した。


 凍った空気。

 まるで、目の前で家族を亡くしたかのような、少女の顔。


 それらのせいで胸に鋭い痛みが走って、苦しくなった。





◇◆◇◆◇◆◇◆





(オレって、一体何だったんだろう)



 退院した青年は、ぼんやりと考えていた。


 自分には記憶が全くない。

 どこで生まれて、どんな風に育ち、昨日までどんなことをしていたのか。

 ひとつも思い出が浮かんでこない。


 どうやら頭に強い衝撃を受けたせいで、一時的に記憶障害になっているらしい。

 だけど、幸いなことにオレのことを知っている人達が支えてくれている。



「ここで、オレは住んでいたのか」

「う、ん」



 隣で、銀髪の美少女が頷いた。

 まるでファンタジーの世界から来たみたいな、幻想的な見た目をしている。

 しかも、なぜか黒いレインコートを着ているが、中には下着もつけていないようで、とても刺激の強い格好をしている。


 オレ達が今いるのは、とある古びたオフィス。

 ガラスには『根黒探偵事務所』と書かれていた。


 根黒マンサ。それがこの銀髪美少女の名前らしい、と青年は名前の可笑しさに苦笑いをした。



「ここで、オレは暮らしていたんですか」

「うん、わたし、と」

「一部屋しかないんですが」

「そふぁ、どかして、ふとん、ねてた」

「え、隣で寝ていたんですか?」

「うーん、そんな、ひ、も」



 青年は自分が根黒マンサと寝ている想像をして、顔を真っ赤にした。



「じゃあ、かいもの」

「あ、オレも一緒に行きますよ」

「いい、ひとり、で」

「……わかりました。」

「なに、たべた、い?」

「うーん、オレ、何が好きだったんですか?」



 オレがなんともなしに訊ねると、根黒マンサは少し悲しそうに目を細めながら困惑した。



「もやし?」

「もやしって、あのシャキシャキしたやつですよね?」

「もやし、いっぱい、かって、た」

「それって貧乏だっただけでは?」

「……うーん、そう、かも」



「……そっか。じょしゅの、すきな、たべもの、しらな、い」


「きっと、オレは」

「うん、がんばって、くる」

「はい。頑張ってきてください」



 買い物へと向かう根黒マンサを見届けると、青年は「はぁ」とため息をついた。

 自分の肩がガチガチになっていることに気付いて、緊張していたことをようやく自覚した。



(オレと話している間、ずっと辛そうにしてるんだよなぁ)



 青年の頭の中は、銀髪の美少女でいっぱいになっていく。


 あんなに美しい少女と一緒に住んでいるのに、なんでオレは記憶をなくしてしまったのだろうか。

 一体、記憶を無くす前のオレはどれだけの善行を積んでいたのか。


 青年は思わず床を「ダン」と踏んだ後、オフィスをぐるりと見渡した。



「探偵事務所」



(たしか、オレが助手で、あの美少女が。なんだよそれ、ややこしい設定だな)



 青年は思わず、眉をしかめた。

 部屋の中は相当散らかっているし、どこか古臭い。



「あんなかわいい子を、こんな場所で生活させていたのかよ」



 ふと、壁に掛けてあるネームプレートを見つけた。

 そこに書かれていたのは『名助手 手島 京助』の文字。

 手島京助。

 オレの名前らしい。

 まるで助手になることを運命づけられたような名前だ、と青年は苦笑した。



「なんだよ、名助手って。名探偵じゃねえのかよ」



 過去の自分が恥ずかしくて、何かすることを探す。



「……片付けるか」



 とにかく、手近なところから手を付けていく。



「うわ、スポーツブラ落ちてるし。臭い、嗅いでいいのか?」



 そんな勇気があるわけがなかった。



「カップラーメンばっかりだ」



 過去の自分は相当堕落した人間だったのだろうか。



「カレンダー、びっしり時間が書いてあるな。何の時間だ? まさか、全部探偵業の依頼?」



 いや、そんなに繁盛しているなら、こんな貧乏生活をしているとは思えない。

 よく見ると、夕方ぐらいに時間が集中しているし、時刻の横にどこかのお店の名前が書かれている。



「ああ、タイムセールか」



 少しスッキリしながら、次は洗面所へと向かう。



「おそろいだ」



 歯ブラシもコップも、色違いのものが並んでいた。



「……これで、付き合ってもいなかったのか? 昔のオレ、ダメすぎるだろ」



 一通り片付けが終わると、助手はソファに座った。

 おそらくは来賓用だけど、気にすることはないだろう。


 それに、記憶を無くしている自分は来賓みたいなものだ。



「……根黒、マンサ」



 なぜか、自然と舌が回った。


 部屋を片付けていけばいくほど、胸の中であるもの・・・・が成長していく感覚があった。


 胸が苦しくて、口の中が甘くなっていく。

 どんどん、抑えが利かなくなっていく。


 一目惚れだ。

 ずっとずっと、彼女のことが頭から離れない。


 過去のオレも、彼女のことが好きだったのだろうか。


 いや、わかる。

 わかってしまう。

 絶対に好きだったんだ。


 この世界の何よりも。

 この部屋を通じて、否応なく伝わってくる。


 だけど、オレはどうすればいいのだろうか。


 悩んでいると。



――ねえ、ちょっと目をつむってくれない?



 突然、頭の中に声が響いた。



「なんなんだ、一体!?」



――大丈夫。僕に任せて。



 少年の声だろうか。



――ほら、さっさと来てよ。あんまり時間がないから。



 だけど、なぜかとても懐かしい。

 声に従って目をつむる。


 すると、白い空間の中で、テレビを見ている銀髪の少年の姿があった。

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