早朝、古びた馬車と御者を父から借り受け、私たちは祖母の別荘へと出発した。数時間、馬車に揺られながら進むうちに、景色は屋敷街から小麦畑へと移り変わる。頬をなでる風が心地よく、のどかな風景が、夜通しの荷造りで疲れた体に眠気を誘った。
(ふぅ……荷造りのせいかしら。なんだか、眠くなってきたわ)
「ねえ、シュシュ……祖母の別荘って、辺境地の近くだったわよね?」
馬車の向かいで本を読んでいたシュシュが顔を上げ、丸眼鏡を指で直して、こくりと頷く。
「はい、ルリア奥様――お祖母様の別荘は、国境付近にあると聞いております。屋敷にあった地図によれば、到着までに半日ほどかかる見込みです」
ということは、到着はおそらく昼過ぎ――。
「ありがとう。少し仮眠を取るわ。着いたら起こしてちょうだい」
「かしこまりました、カサンドラお嬢様」
「それと……母から聞いたのだけれど、この別荘、もう数年は使われていないそうよ。着いたらすぐに掃除を始めましょう。あなたも、今のうちに少し休んでおいて」
「承知いたしました」
彼女の返事を聞きながら、私はクッションを枕に目を閉じる。
これでもう――あの二人とは関係ない。
恐怖のギロチン、さようなら。
面倒な王妃教育、さようなら。
堅苦しい貴族社会も、すべて――さようなら。
(マリアンヌ様。カサンドラは、断頭台を回避いたしましたわ)
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馬車に揺られること半日。昼過ぎ、ようやく祖母の別荘へと到着した。御者に礼金を渡し、屋敷へと帰ってもらった。私とシュシュは荷物を持って、お母様からいただいた別荘の門の鍵を使い、門を開ける。
――まあ、なんて素敵な石造りの別荘なのかしら。
数年間誰も訪れていなかったはずなのに、庭園には見慣れない花々や野草が生き生きと咲き誇り、草木はひとつとして枯れていない。テラスにも傷みはなく、壊れた箇所も見当たらない。
「カサンドラお嬢様。畑にミントやハーブが青々と茂っています」
驚いた様子のシュシュに、私も戸惑いを隠せなかった。
「べ、別荘の中も見てみましょう」
「はい」
庭園を抜け、平屋の建物に足を踏み入れると――中もまた、信じがたいほど整っていた。寝室、客間、レンガ造りのキッチン、猫足バスタブのある浴室、水回り……どこも埃一つなく、傷みもない。
奥の寝室にあるキングサイズのベッドに触れると、シーツは湿ってもおらず、今すぐ眠れそうなほどふかふかだった。
「シュシュ、どうしてかしら……? こんなに綺麗なんて、少し不気味なくらいだわ」
(おかしいわ……門の鍵は閉まっていた。それなのに誰かが勝手に入り込んで、ここに住み着いていたの?)
「はい……確かに少し気味が悪いです。何かあったら、私がお嬢様をお守りいたします」
「私もシュシュを守るわ。……そうね。何かあってはいけないし、今日はトイレ、お風呂もあるこの寝室だけを使いましょう。夕食もここで一緒にとって、二人で並んで寝ましょ」
「かしこまりました、カサンドラお嬢様」
シュシュは頷き、寝室にクリーン魔法を施した。この国では、一定の教育を受ければ誰でも扱える便利な魔法。私も学園で修めており、生活魔法に加え、回復魔法と水属性魔法が使える。
――もし何かあったら、水魔法で撃退するわ! 大丈夫、私ならできる!
「カサンドラお嬢様、清掃とシーツの交換が完了いたしました」
「ありがとう……シュシュ、これからよろしくね」
「はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
「ふふ、ここでは堅苦しいルールはなし。いっしょに好きな本を読んで、庭を散歩して、食べたいものを食べるの。暇になったら、冒険にも出かけましょう」
「冒険……ですか? はい、素敵ですね」
シュシュは私より二つ年下。公爵家の屋敷では、私にだけ冷たく接するメイドは多かったけれど、あの舞踏会の夜を境に――もう、どうでもよくなってしまった。
なにがなんでも、ギロチンの回避をしなくてはならない。ギロチンの回避が上手くいけば、シュシュも助かる。私は、あの舞踏会の夜にシュシューー彼女の最期も知ってしまったのだ。
なんと彼女は私に手を貸して、妹に危害を加えた罪に問われてしまい、私の後にギロチンにかけられる。それを知った私は、自分の処刑の前夜、鉄格子越しに非礼を詫びた。
――それでも、彼女は微笑んで、「気にしないでください」と言ってくれた。
あの頃は、嫉妬に心を支配され、狂っていた。でも今なら言える。私は……優しい彼女のことが、ずっと大好きだった。
だから、今度こそ――同じ過ちは繰り返さない。彼女を、私が守る。