タサの街から戻ったカサンドラとシュシュは、空いている客間に生活魔法を使い、一部屋をきれいに整えた。
「アオ君、ここがあなたの部屋。これが服と生活用品。お風呂とトイレも小さいけれど、この部屋についているから、自由に使ってね」
「オレが……こんなにいい部屋を使っていいのか? ……ドラ、シュシュ、ありがとう」
夕食に呼ぶと、アオ君はお風呂を済ませ、シャツとスラックスに着替えて食堂に現れた。人間用のスラックスには尻尾用の穴がないため、自分で穴を開けて尻尾を出したという。
「ドラに買ってもらったのに……ごめん!」
「いいのよ、アオ君の立派な尻尾なんだから。あとで他のスラックスに、尻尾の穴をつけておくわね」
「ありがとう、助かるよ」
タヌキの姿から――半獣の姿へと変わったアオ君は、短い髪に琥珀色の瞳、頭には耳、腰には太めの尻尾を持っていた。カサンドラたちより背が高く、胸板も厚い。
(あの可愛らしい、モフモフの見た目から……こんなに素敵な男性に変わるなんて)
アオ君は深く頭を下げて言った。
「改めて、オレの名前は獣人のアオといいます。……冒険者パーティを追い出されて、この場所に辿り着きました。これから、どうぞよろしくお願いします」
食事の支度をしている私たちに、丁寧に挨拶をする。その目は笑っていたけれど、どこかに寂しさが滲んでいた。
(よほど、辛いことがあったのかもしれないわね……)
でも、ここに来たからには、彼にも楽しい日々を送ってもらいたい。それに、冒険者だと聞いて、カサンドラが黙っていられるはずもなかった。
「アオ君は冒険者なのですね。シュシュ、やりましたわ……私、一度、冒険者になってみたかったの」
「よかったですね、カサンドラお嬢様」
「えぇ、私はカサンドラ・マドレーヌと申します。アオ君には、何かが起きる前に伝えておきます……私は少し前まで、カサドール国の王子、アサルト殿下の婚約者でした」
「私はカサンドラお嬢様の専属メイド、シュシュです」
「カサンドラは……この国の王子の婚約者だったのか」
「えぇ」
あの日の誕生日舞踏会で、突然婚約破棄を告げられた。そのときに聞こえてきた、小声のささやき。
『おかわいそうに』
『フフ、いい気味だわ』
『わたくしだったら、婚約破棄されないのに』
そう簡単にいうけれど、人が思う以上に、皇太子妃は簡単な立場ではない。
幼少期から王妃教育に追われ、気の休まる日もなく、同世代の令嬢たちとのお茶会にも出られなかった。
(誘ってもらっても、忙しくて断るばかり……それでも諦めずに誘ってくるのは、王族と繋がりたい貴族ばかりだった)
『貴女に任せる』と言われ、王妃様主催のお茶会の準備、デートの段取り、王城パーティーの招待状作成――。
協力しない、アサルト殿下の代わりに、すべて私がこなしてきた。
「カサンドラ……」
「アオ君、何も言わなくていいの。もう王妃教育も終わったわ。これからはシュシュとアオ君と、一緒に楽しい日々を過ごすの」
「楽しい日々か……オレは、ドラをたくさん冒険に連れて行くよ」
「私はドラ様とショッピングや読書、もっとお話ししたいです」
(ふふ、シュシュまで“ドラ”呼び。いいわね)
「冒険に、買い物に、読書に……三人でのお茶会も。明日から楽しみがいっぱいね!」
この日、カサンドラは久しぶりに声をあげて笑った。