国境門を越えた先は、アオ君の故郷――カーシン国。この国では、人族と亜人種族がいがみ合うことなく共存している。
「アオ君、このまま王都まで行くの?」
カーシン国の王都は大陸の中央に位置し、現在の国王は亜人族だ。今年の秋には国王祭が開かれ、デュオン国の皇太子アサルト殿下も招待されていた。
「いや、王都までは行かない。もうすぐ着く第二都市ララサにも冒険者ギルドがあるから、そっちに寄るつもりだ」
「第二都市ララサかぁ」
「ドラ様、楽しみですね」
「ええ、とても楽しみですわ。教育で習ったの。カーシンはそれぞれの種族が特長を活かして、剣や織物、食器、毛皮など多彩な特産品を作っているって。確か言語はシシン語よね?」
「その通り。カーシンではシシン語が使われてる」
アオ君はデュオン国の言語――ロース語を流暢に話す。異国語に堪能ということは、それだけの努力をしたということだ。冒険者として各地を旅するには、それだけ語学も必要になる。
「ドラはシシン語、話せるのか?」
「ええ、一応ね。他にも鉱石が豊富なモタマリン国のリン語、農産物の宝庫サーロン国のサーロン語、そしてアマラン魔法都市の新アマラン語と古代アマラン語も。発音が全部違って覚えるのが大変だったわ。それと、形式的な挨拶程度なら、あと数ヶ国語話せるかしら」
「ハァ……すげぇ」
「ドラお嬢様、素敵です」
「ありがとうシュシュ。でも、必要に迫られてだったのよ」
彼女がこれだけの言語を覚えたのには理由がある。アサルト殿下――婚約していた頃の彼は、形式的な挨拶しか覚えようとしなかった。将来、彼が国王となる時に、自分が補佐するために身につけた知識だった。
「婚約は破棄したけど、覚えておいてよかったかも。いつか、古代アマラン魔法都市をこの目で見てみたいの」
⭐︎
ララサに着く前、昼食のために小道をそれて開けた場所へと馬車を止めた。アオ君は馬を木に繋ぎ、シュシュは桶に水を入れて馬の前に置く。二人とも荷台に戻ると、カサンドラがにこやかに迎えた。
「お疲れさま。さぁ、どうぞ」
彼女はバスケットから塩とレモンの果実水を注ぎ、生活魔法で出した小さな氷をコップに入れる。氷はじわじわと溶けて、飲み物を涼やかに冷やしていった。
アオ君は冷えた、果実水を一気に飲み干す。
「ぷはっ、うまっ! 魔法で氷を作って飲み物冷やすなんて……実用的で面白いな」
「でしょ? 『侯爵夫人の長い夏休み』って物語の主人公がやってたのを真似したの」
「冷えた果実水、最高です。ドラお嬢様の魔法、素晴らしいです」
「だよな。いつもよりずっと美味い」
「ふふ、喜んでもらえて嬉しいですわ」
(この氷魔法も、アサルト殿下には『無駄』って笑われたけど……今となっては、良い思い出かしら)
⭐︎
昼食を取りながら、話題はカサンドラが口にした古代アマラン魔法都市のことへと移っていく。
「さっき、ドラが古代アマラン魔法都市に行きたいって言ってたよな。もし行くなら、オレも連れて行ってくれ。古代のダンジョンや魔道具、魔法――全部見てみたい」
「アオ君も? 私もずっと行ってみたいと思っていたの」
「ドラ様、旅の計画を立てましょう! 古代アマランといえば、ミートパイ包みにアップルパイ、チーズパイ……どれも有名です」
シュシュが挙げた料理は、最近読んだ本に出てきたものだ。
「ふふ、恋人たちが古代アマランを旅して食べていたわね。どれも美味しそうだった」
「それって、『恋と食べもの旅行記』か? 旅先で事件に巻き込まれつつ、その国の名物料理を食べる話だよな」
「えっ、アオ君も読んだの?」
「まぁ、読まれてたのですか?」
アオ君は黙ってうなずいた。
あの本は多くの国の言語に翻訳されていて、言葉のニュアンスの違いもまた一興だった。
「ふふ、まだ冒険は始まったばかりなのに、次の旅の計画ができちゃった。さぁ、アオ君、シュシュ。今日の冒険も楽しむわよ!」
「「おうっ!」」
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一方その頃――
隣国カーシンに旅立ったカサンドラの別荘に、黒いローブをまとった謎の人物が現れた。エントランスに置かれた白く輝く箱に目を留める。
「これは……本人にしか開けられない魔道具の手紙箱か。私宛ではないが……誰宛だ?」
その人物は白い箱を見つめたあと、手をかざして水晶玉を召喚した。そして『遡りの魔法』を行使する。
水晶玉の中に映ったのは、古びた馬車から降りて屋敷の鍵を開ける長い黒髪の女性と、眼鏡をかけたメイド服の女性たちの姿だった。
その人物はふうと息をつき、呟いた。
「そうか。私は娘に屋敷の鍵を渡したが、それが娘の子供、さらにその娘へと受け継がれたのか……」
夫を亡くし、娘が嫁いだあと気ままに旅へ出て、数十年ぶりに戻れば……それも当然の流れだった。
「ご、ご主人様~!」
「ジョロ、どうした?」
一羽のフクロウ、ジョロが肩に飛び乗り、主人と会話を交わす。
「なるほど。ひ孫の名前はカサンドラ。今はカーシンにいるのか。ならば、帰ってくるまで……中でゆっくり待つとしよう」
水晶玉をしまい、白い手紙箱を手に、人物は屋敷の鍵を開けて静かに中へと入っていった――。